谷口功一

profile

所属球団
元読売ジャイアンツ
元西武ライオンズ
          元近鉄バファローズ
氏 名
谷口 功一(たにぐち こういち)
ポジション
生年月日
出身地
投手
1973年5月4日
大阪府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
大東畷ボーイズリーグ(大阪府)
出身高校
天理高校(奈良県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1991年 ドラフト1位 読売ジャイアンツ
所属球団( )内は背番号
1992年~1997年 読売ジャイアンツ (25→48)
1998年        西武ライオンズ  (63)
1999年        近鉄バファローズ (52)
引退
1999年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:8年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
7 0 0 0 0 0 7.1 7 2 9 0 9 7 6 7.36

next stage

2000年       ニューアーク・ベアーズ     (アメリカ独立リーグ)
2001年       アトランティックシティ・サーフ (アメリカ独立リーグ)
2002年       ジャクソン・セネターズ     (アメリカ独立リーグ)
2003年~2005年 大東畷ボーイズ (コーチ→監督)
2006年~2007年 スポーツバー「BIG SEA45」支配人
2009年~2010年 長崎セインツ 投手コーチ (四国・九州アイランドリーグ)
2011年~現在   漁師居酒屋「磯のや」番頭
【 店名 】
漁師居酒屋「磯のや」
【 住所 】
大阪市中央区西心斎橋2丁目8-33 大阪センタービル アメ村スクエア
【 営業時間 】
ランチ11:30~14:00 ディナー17:00~24:00
【 定休日 】
日曜日
【 電話 】
06-6211-5540
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://r.gnavi.co.jp/kaea400/

interviews

  • 真木
    「こんにちは! お久し振りです。 この前、誠さん(前掲載・萩原誠さん)にもお願いして取材させてもらってきましたよ」
  • 谷口
    「聞いた聞いた。俺たち、また同じチームで野球を教えてるんだよな」
  • 真木
    「そうみたいですね~。 それにしても詳しく話を聞いてみたら、谷口さんにしても誠さんにしても2人とも野球エリートだったんですね~」
  • 谷口
    「エリートじゃないやろ。萩原と同じ中学チームの『大東畷ボーイズ』って、俺達が入る前までは全国大会にも出た事ないようなチームだったんだよ。たまたま地元で萩原と同じチームになって、それで全国大会に初出場初優勝してしまったんだよ。」
  • 真木
    「小学校の時も強いチームだったんですか? 谷口さんはその頃から体は大きかったんですか?」
  • 谷口
    「小学校の時は四条畷の軟式チームだったけど、市の大会を3連覇したりとかはしてたかな。身長も小学生で165cmくらいはあって大きい方ではあったけど、隣のチームにいた萩原はもっと大きかったんだよ。俺よりも頭1つ分くらい大きかったからね。小学生では化け物だったんだぞ。」
  • 真木
    「じゃあ誠さんとは隣のチームでよく対戦してたんですか?」
  • 谷口
    「うん、俺が野球を始めてから初めてホームランを打たれたのは萩原だったんだ。小学校の6年生の時だったんだけど、これはすごかったぞ~。」
  • 真木
    「でも谷口さんと誠さんの歴史って面白いですよね~。小学校では隣のチームで対戦してて、中学では同じチームで全国大会に初出場初優勝でしょ。そのあと、お互い別の高校に行って、それぞれ夏の甲子園で優勝経験をしてるんですもんね~。」
  • 谷口
    「俺が2年の夏の甲子園で優勝して、萩原が3年の夏の甲子園で初出場初優勝だったね。」
  • 真木
    「それで、それぞれ巨人のドラフト1位と阪神のドラフト1位ですもんね~。」
  • 谷口
    「そうだな~。俺達ももっとプロで目立つ選手になれてたら話題になってたかもね。PLの清原さん桑田さんとか、今で言うと楽天のマー君とジャイアンツの坂本選手とかね。」
  • 真木
    「それだけ2人ともすごかったら、やっぱり子供の頃からプロは意識してました?」
  • 谷口
    「う~ん、萩原に対しては、子供ながらにこんなヤツがプロに行くんだろうな~と思って見てたね。でも俺自身はそんな風に意識したことはなかったかな。ウチは4歳上の兄貴がいて、4歳も離れてると常に兄貴がすごく感じてたんだ。でも上のレベルってその兄貴が通用しないほどすごいんだ!?って思ってたから、自分がそんな通用するわけないって思ってしまってたね。」
  • 真木
    「4歳も年上だったらそりゃかなわないですよね~。じゃあ常にお兄さんを目標に頑張ってたんですね?」
  • 谷口
    「兄貴だけじゃなくて、中学のチームでは1年生とか2年生の時から試合に投げさせてもらっても、やっぱり対戦相手は3年生で年上だし、ボコボコに打たれて負けてばっかりだったね。 その代わり、上級生が引退して自分が最上級生になった時は周りを見下して試合が出来たから、それですんなり勝てたんだろうね。」
  • 真木
    「下級生の頃から抑えてて勝ちまくってたわけじゃないんですね?」
  • 谷口
    「そうだよ! だから下級生の頃はしんどかったし嫌だったよ~。やっぱり打たれて負けると先輩からも怒られたし、もちろん自分自身も打たれると悔しかったしね。でも、そういう気持ちが反骨心になって強くなれたのかな~と思うね。」
  • 真木
    「子供の頃は野球の練習はどうでした? よく練習した方ですか?」
  • 谷口
    「やってたね~。特に小学校の頃は、監督がスパルタでメチャクチャ厳しいって町でも有名なチームだったんだ。もちろん練習量もハンパじゃなかったし、練習以外でも例えばグランドにゴミでも落ちてようもんならボコボコにされるような監督だったね。だから逆に中学のチームに行ったら練習も楽に思えたし、練習が足りないと思って自主練をたくさんするようになったな。」
  • 真木
    「メチャクチャ厳しいってどんな練習だったんですか?」
  • 谷口
    「今でこそいろんな合理的な練習方法やトレーニングがあるけど、当時はまだ、腹筋・背筋・腕立て伏せ・うさぎ跳びの時代だったから、それは毎日やってたね。 それ以外にも、グランドが使えない日でも監督の家から2kmコース、4kmコース、6kmコースとかを毎日タイムを計ってランニングしたりとかね。」
  • 真木
    「天理高校に行ってもやっぱり練習は厳しかったんですか?」
  • 谷口
    「いや、もちろん厳しいのは厳しかったけど、当時では結構有名な話だったんじゃないかな? 天理高校は練習が楽と言うか、合理的と言うか、時代を先読みしてた練習だったんだ。 当時はまだ野球界にウェイトトレーニングが認められてる時代じゃなかったんだけど、その時から天理高校はウェイトトレを取り入れてたり、ピッチングでもただ多く球数を投げるんではなくて、球数制限をして投げ込みをしたり、試合後にアイシングで身体のケアをしたり。今でこそ当たり前になってる事をいち早く取り入れて時代を先読みしてたよね。 その代わり、周りからは天理高校は変なトレーニングをしてるって言われてたけどね。」
  • 真木
    「その成果もあって、谷口さんが2年生の時に3年生の南さんとのWエースで見事、夏の甲子園で全国制覇ですもんね~。 谷口さんにとってドラフトってどんなものだったんですか?もう事前にジャイアンツから指名されるって情報はもらってたんですか?」
  • 谷口
    「いやいやそんな事なかったよ。ジャイアンツも上位で指名する予定とは聞いてたけど、他球団の指名状況との兼ね合いもあるから未定だと聞いてたし、他の球団の方が評価が高いところもあったしね。 その年のドラフト指名選手って凄いメンバーがそろってたんだよ。大学生では、斉藤隆さん、若田部さん、落合さん、高村さん、金本さん、桧山さん、田口壮さん、町田さん、下位指名の方でイチローとか中村紀とか石井一久とかね。」
  • 真木
    「じゃあ結構ドキドキしながら待ってたんですか? 実際はどの球団から指名されると思ってたんですか?」
  • 谷口
    「まあ、どこかしらの球団からは指名されるだろうとは思ってたから、そんなにドキドキって程ではなかったけどね。 ドラフト前の聞いてた話では、当時のダイエー(現ソフトバンク)が間違いなく上位指名するって聞いてたんだけど、ダイエーは競合の若田部さんをクジで当てたからクジを外した巨人から外れ1位で指名される事になったんだよね。」
  • 真木
    「やっぱりジャイアンツっていったらブランド球団ですもんね~。ジャイアンツのドラフト1位なんて光栄な話ですよね?」
  • 谷口
    「そりゃそうだよ。 でもよくよく考えてみると、当時槙原さんが28歳で投手陣最年長だったんだよ。それに斉藤昌樹さんや桑田さんがいて、鉄壁のローテーションだったんだよ。 更に水野さん、香田さん、宮本さん、廣田さん…、ホント投手王国だったんだよ。 木田さん、石毛さん、橋本さんなんかが1軍では投げられない・・・、そんな投手王国な球団に行って投げられるのかな?って言う思いは正直あったね。」
  • 真木
    「それで、実際にプロに入ってどうでしたか? やっぱり良い思いも悪い思いもありました?」
  • 谷口
    「やっぱり子供の頃からの憧れのプロ野球で自分自身がプレー出来た事、それに憧れだった選手と一緒に練習をしたり私生活でもお世話になったり、裏方さんや球団関係者の人との出会いとかその環境にすごく感謝してるよね。 悪い思いって訳ではないんだけど、天理からプロに入ってきてもちろん伝統の巨人軍で練習をしてて、言われた事を聞かなきゃいけないとか指示に従わなきゃいけないって言うのも分かるけど、もう少し個人個人の体調管理や気持ちとかを重視してくれたら良かったかなと思うね。痛いって言っても投げろと言われれば投げないといけない時代だったし、言う事を聞かない奴はもう投げさせない!って言うのも当たり前だったからね。」
  • 真木
    「プロは実力の世界!ってよく言いますけど、実際のところは決してそれだけではないのが現実ですよね~。   谷口さんの子供の頃から考えて長い野球人生の中で、自分で自画自賛できるプレーやピッチングって何か記憶にありますか?」
  • 谷口
    「高校3年の夏の甲子園1回戦で、3点差で勝ってて9回に2アウト満塁で4番バッターってとこまで攻められた時があって、追い込んでから自分の中でキメにいったストレートを審判に『ボール』って判定されて、キャッチャーにもう1球まったく同じボールを同じコースに構えろ!って要求して、次の球で空振りの三振に取ったんだ。 あの時は、一打同点・逆転の場面なんだけど、周りの事も考えずにとにかく自分のこだわりでバッターと審判に真っ向勝負して勝ち取った気分だったね。」
  • 真木
    「谷口さんの現役引退のキッカケや決意はどんな感じだったんですか?」
  • 谷口
    「プロに入ってからすぐに肩を痛めて、それからはずっと故障との闘いでだましだましで投げ続けてきたけど、もう肩や肘の状態が限界だと思ったかな。 140kmとか145kmとか投げれてても、自分の思い描いてる球筋じゃなくなってきたんだよね。 コンスタントに理想の球筋も投げられないし、投げた翌日の痛みの具合とかを考えて限界だと思ってしまったかな。」
  • 真木
    「現役を引退してからの一般社会での生活はどうですか? 苦労した事とか反対に嬉しかった事ってどんな事ですか?」
  • 谷口
    「やっぱり野球しかしてこなかったから知らない事だらけだな~って感じるのは頻繁にあるね。こうやってお店を運営してても物の仕入があったり原価の計算をしたり、他にもスタッフの配置やフォローをしたり、お客さんへの接客をしたりとか、全ての事が初めての経験で勉強になる事ばかりだよ。 何でも経験が財産になると思ってるから意欲的に取り組んでるつもりだけどね。  反対は、俺の事を知ってくれてる人もいれば、俺の事を知らない人ももちろんいるし、でも今こうやってる俺に対して嬉しい言葉を掛けてくれたり励みにさせてもらえるような事もあるし、引退してもいろんな人達に応援してもらえてる事が嬉しいね。」
  • 真木
    「じゃあ谷口さんの今までの野球経験から、今の野球少年やその家族の人達にアドバイスやメッセージをもらえますか?」
  • 谷口
    「これは野球には限らない話になるんだけど、何のスポーツであろうと1つの事に一生懸命取り組むって事がすごく大切な事だと思います。それに取り組む事によって、人間関係や人への思いやり、努力の仕方や我慢強さ、日々変化する事を体験できる事がすごく為になると思うから、とにかく辛かろうとしんどかろうと、続ける事にこだわって欲しいと思います。」
  • 真木
    「ありがとうございます。 それでは最後に、谷口さんファンや全ての野球ファン、このサイトを見てくれているすべての人達へメッセージをお願いします。」
  • 谷口
    「良い時でも悪い時でも、気に掛けてもらったり声を掛けてもらってきた人達にすごく感謝してます。 もちろん腹が立つ事を言われたりする事もありますけど、でもそれがあって自分自身が成長していくんだと思う。 だからどんな事にでも感謝の心を忘れないでいたいと思いますね。」
  • 真木
    「今日は本当にありがとうございました。 またすぐ近くなのでご飯食べに来ますね。 その時もよろしくです!」
  • 谷口
    「おう、いつでもどうぞ!」
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