- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
元西武ライオンズ
- 氏 名
- 村上 隆行(むらかみ たかゆき)
- ポジション
生年月日
出身地 - 内野手・外野手(右投右打)
1965年8月26日
福岡県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 歴木中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 大牟田高校(福岡県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1983年 ドラフト3位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1984年~2000年 近鉄バファローズ(46→5)
2001年 西武ライオンズ (60) - 引退
- 2001年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:18年
-
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 1380 3552 452 464 916 178 32 147 68 63 26 250 19 847 .258
- 2002年~現在 朝日放送にて野球解説・コメンテーター
2003年~現在 野球塾「Slugger's Studio」運営
2009年~2010年 関西独立リーグ「大阪ゴールドビリケーンズ」監督
- 【 塾名 】
- 野球塾 「Slugger's Studio」 (スラッガーズ スタジオ)
- 【 住所 】
- 大阪市平野区加美北4-6-19
- 【 開講日 】
- 月~金 18:00~
- 【 受講生 】
- 小学1年生~中学3年生
- 【 問い合わせ 】
- 直接現地へお越しください
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://ameblo.jp/shinamokamiru5/
「野球を続けたいけどチームが無くてやめる選手が多い。もっともっとたくさんの選手が野球を続けられるように環境作りを目指します。」
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- 真木
- 「お久し振りです。プロ野球の現役時代とまったく変わらず、まだまだ熱く野球に取り組まれてるようですね。」
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- 村上
- 「そうだな~。引退してからもずっと子供達に野球を教え続けてきたから、野球から離れた感覚がまったくないんだよな。子供達に教えてると、まだまだ野球の奥深さを感じて永遠に終わりがないんだよ。」
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- 真木
- 「子供達も、村上さんみたいな元プロ野球選手から直接教えてもらえてたら、絶対にプロ野球選手になりたい!って目標も高く持てるでしょうね。」
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- 村上
- 「俺の子供の頃も、俺が通ってた幼稚園・小学校の先輩にはジャイアンツの原辰徳さんがいて、中学校の先輩には阪神の真弓明信さんがいたりして、プロ野球選手を身近に感じてたんだよ。だからプロ野球選手になりたい、じゃなくて、プロ野球選手になるもんだと思い込んで野球をしてたかな。」
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- 真木
- 「そうなんですか?それはまた僕なんかとは次元の違うレベルだったんですね~。」
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- 村上
- 「しかも、昔、俺の出身の福岡県大牟田市にある三池工業高校が夏の甲子園で優勝をした事があるんだけど、地元に帰ってきて優勝パレードをしてる日に俺は産まれたんだって。だから子供の頃から、俺は野球には縁があるんだな~って、常にプラスにばっかり考えてたね。」
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- 真木
- 「村上さんはいつから野球を始めたんですか?」
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- 村上
- 「父親が草野球をやっていた事もあって、物心がついた頃から野球ばっかりやって遊んでたかな。今と違って、どこでも野球をして遊べたしね。で、小学校の1年生から地域のソフトボールチームに入ったんだ。普通は4年生くらいから試合に出るんだけど、俺は1年生の時から試合に出してもらえてたんだ。」
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- 真木
- 「その頃からチームの中でも飛び抜けた選手だったんですね。その分、やっぱり練習もたくさんしてたんですか?」
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- 村上
- 「小さい頃は遊びに行くときも家族で旅行に行くときも、常にグラブを持ってた記憶があるな。小学校の3年くらいからは、毎日ランニングと素振りは欠かさなかったね。途中からはピッチャーもやり出したから、シャドウピッチングもしてた。それを高校生まで、ほとんど毎日やり続けてたよ。」
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- 真木
- 「やっぱり子供の頃からそれだけ努力をしないとダメですね。それって父親からやらされてたんですか?」
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- 村上
- 「いいや、父親は野球に対してはほとんど口を出して来なかったかな。よく言われたのは 『自分の目標に対してブレるな!』 『自分の限界を自分で決めてしまうな!』 って言うような事はよく教えられたよ。何事も、継続すればいずれ可能になる、可能にならないのは自分の思いが足りないし努力が足りないんだって。」
「中学の頃だったかな、ある時期、バンドとかの音楽をやりたい時期もあったんだけど、野球の練習がおろそかになって野球の為には邪魔になると思って我慢したんだ。そういうのも父親の教えがあったからだと思うね。」
「とにかく、プロ野球選手になる為には何をやらなければいけないのか、常にそれを中心に考えてたよ。」
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- 真木
- 「大牟田高校時代は、どんな高校球児だったんですか?高校からドラフト指名を受けたって事は、やっぱり有名な選手だったんですよね?」
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- 村上
- 「やっぱりプロに行く為には、とにかく勝って甲子園に出ないといけないって、そればっかり考えてたな。後輩達とも一緒に朝練をして、学校が終わってまた練習。そして家に帰ってからご飯を食べた後もランニングと素振り・シャドウピッチング、とにかく甲子園に行く為に・・・、プロに行く為に・・・、やらなければいけない事をとにかくやり続けたよ。」
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- 真木
- 「でも実際に、村上さんが現実的にプロに行けるって思えたのはいつくらいからですか?」
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- 村上
- 「大牟田高校は甲子園までは勝てなかったんだけど、対戦チームの選手を見る為にプロのスカウト達が来てる時なんかは、とにかく打ってアピールしなきゃって必死だったね。ピッチャーもやってたんだけど、打つ方には本当に自信があって、右打ちだけどライトスタンドにホームランを打ったり、バックスクリーンを越えるホームランを打ったりしてたから、正直、これならプロに行けるやろ~と思ってやってたね。(笑)」
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- 真木
- 「それで、いよいよドラフトが近付いてきてどうだったんですか?」
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- 村上
- 「横浜、ヤクルト、近鉄が熱心に声を掛けてくれてたみたいで、ドラフトの前日も 『指名しますので』 と連絡をもらってたからそれほど心配もしてなかったんだけど・・・。
上位で指名すると聞いてたのが、授業中になかなか呼ばれなくてちょっとドキドキしてきた頃、体育の授業中、体育教官室のドアが開いて 『村上!指名されたぞ!』 と言われ、クラスメイト達が一斉に盛り上がったのをよく覚えてるな」
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- 真木
- 「村上さんの中で行きたい球団とかはあったんですか?」
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- 村上
- 「イメージ的には大阪より東京の球団に行きたいって気持ちはあったんだけど、当時の近鉄の担当スカウトが、後に近鉄の監督になる佐々木恭介さんで、恭介さんになら預けるからよろしく頼む!と言う事で近鉄で勝負する事になったんだ。父親には、4年間だけ勝負してくる。4年で一軍に上がれなかったり芽が出なかったら実家に帰ってきて家業を継ぐからって。そう約束して大阪に出て行ったんだ。」
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- 真木
- 「村上さんの中で "プロ野球" の世界で良い思い、悪い思いってありますか?」
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- 村上
- 「う~ん、良い思いって言うか、やっぱり日本野球のトップであるプロ野球の世界で18年間プレーできた事自体が何よりも幸せな事だったな。反対に、悪いと言うか嫌な思いは、18年間の現役生活の中でたった1シーズンだけ、一度も一軍に上がれなかったシーズンがあったんだ。ファーム(二軍)で先発出場するくらい身体も元気だったし調子も悪くなかったんだけどね。」
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- 真木
- 「知ってます知ってます。そのシーズンは、まだ僕も近鉄で一緒にプレーしてましたから!」
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- 村上
- 「これはあまり大きな声じゃ言えないけどね。プロ野球って "実力の世界" って言われてるし俺もそうあるべきだと思うんだけど、一部ではそうじゃなく選手の好き嫌いとか大人のしがらみの事情もあったりしてしまうんだよな。プロの世界ってそういうもんじゃないだろ!って思うし、どうにか変えていきたいと思うね。」
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- 真木
- 「確かにありますね~。世間には "実力の世界" って思われてるんですけど、意外と一般社会でもあるような大人の事情とかもあったりしますよね。僕もそうだったんですけど、村上さんもそういうのは大っ嫌いなタイプでしたよね~。(笑)」
「村上さん自身、村上さんを象徴するようなプレーって何かありますか?」
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- 村上
- 「よく、記録より記憶に残る選手だって言われたかな。サヨナラヒットや先頭打者ホームランとかいろいろあるんだけど、やっぱり象徴と言われると近鉄の伝説になってる10・19ダブルヘッダーの優勝争いの試合かな。
代打で出場してフェンス直撃の同点タイムリーを打ったんだけど、あと10cmで逆転ホームランになるところだったんだよ。俺の野球人生って、いつも 『あとほんの少し!』 何かが足りないんだよ。
それがまた俺らしいんだけどね!」
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- 真木
- 「その後、どんな選手であれ避けては通れない 『引退』 が、村上さんにも迫ってきたと思いますけど、村上さんにとっての 『引退』 ってどんなモノでした?」
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- 村上
- 「2001年に西武で戦力外通告を受けてから、まだまだ現役でやれると思って、もちろんトライアウトも受けたし最後まで自主トレも続けていつオファーが来ても良いように準備をしてたね。」
「他球団の編成の人と話をしても、今の戦力で30歳だったら間違いなく契約してるよ、と年齢で切られてた気がして悔しかったな。 『給料なんて要らないから、とにかく野球をやらせてください!』 ってよく言って回ったよ。」
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- 真木
- 「いつまで準備をしてオファーを待ったんですか?」
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- 村上
- 「実際には2月キャンプインの前までくらいかな。藤井寺球場でも自主トレを続けてたら、大阪の朝日放送さんから、近鉄特番のリポーターとしてキャンプに行かないか?と言うオファーをいただいて、初めてユニフォーム以外でキャンプに参加したんだ。その時には自分の中でも気持ちを切り替えて、また今までとは違った形で野球に取り組むようにしてたね。」
「ただ、やっぱり無理だとは分かっていてもユニフォームへの憧れと言うかこだわりは捨てきれなくて、OBの試合とかでまだまだ体が動く事をアピールしたり、一軍の試合前練習にジャージで手伝いに行ったりして 『まだ行けるやんか』 とよく言われていたかな。とにかく野球が好きで、野球をプレーしたかったんだよね。」
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- 真木
- 「そういう形でまた野球を見つめ直して、それから今の 『スラッガーズスタジオ』 が誕生したんですね。」
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- 村上
- 「そうだね。当時はよく 『子供達のチームを作ってほしい』 って言ってもらってたんだけど、チームにしてしまうと勝ちにこだわらないといけないし、そうなると試合に出れる選手と出れない選手で差が出来たりして、俺自身の理念から外れてしまうのが嫌で、1人1人に同じように接して指導が出来る形を目指したんだ。」
「それからは熊本の知人のところに勉強に行ったりして、何とか手探り状態で始めたんだ。最初は本当に狭い場所を探して始めて、少しずつ広くしていけて、この今の場所への移転で3か所目になるんだ。」
「もう既に、この 『スラッガーズスタジオ』 の卒業生でプロ野球選手になった子も3人いたり、毎年、甲子園に出場してくる子がいて、すごく子供を教える事のやりがいを感じてるね。」
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- 真木
- 「村上さんにとって、更なる夢や目標って何ですか?」
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- 村上
- 「一時期から比べると、社会人野球チームも減りクラブチームも少なくなって、せっかく高校や大学まで一生懸命野球を頑張ってきたのに、やれるチームがなくて野球をやめなければいけなくなる選手が多いんだよ。もっともっとたくさんの選手が野球を続けられるような環境を作っていけたらと思うね。それが野球界の発展の為だと思うし。」
「だからまずは出来る事から動かないと始まらないと思って、大阪で新しい独立リーグのチームを結成する事に動き出してるんだ。たくさんの人たちに応援してもらい協力してもらい、少しずつ形になってきて、やっと今は選手を募集するところまできたんだ。」
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- 真木
- 「プロ野球選手を18年間も続けた村上さんにとって、現役引退後の一般社会で大変だと思った事ってありますか?」
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- 村上
- 「やっぱり野球選手って一般常識には欠けてると思うね。現役時代はチヤホヤされるし、だから人とコミュニケーションを取るのがちょっと普通とは違うんだよね。それがユニフォームを脱いだ途端にOBになりチヤホヤされる事が無くなるだろ。今までの人との接し方では通用しなくなるんだよね。」
「そういうところは現役のうちから教育をしていかないとダメだと思うんだよね。恐らく引退した選手はほとんどみんなが感じてる事だと思うんだ。だから尚更、現役のうちにどうにかした方が良いよな。」
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- 真木
- 「間違いないです。僕も同感ですし、僕の周りの元プロ野球選手も、みんな同じような事を言ってますね。」
「村上さんのようなスター選手から、全国の今からプロを目指して頑張る子供達に対して伝えられるアドバイスがあればお願い出来ますか?」
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- 村上
- 「夢を持つ事も、それを諦める事も、いつでも出来る簡単な事なんだ。その中で自分は何が出来るのか、何を実行するのか、そしてそれを毎日続けて習慣に出来る事で夢に手が届くようになってくるんだ。多くの人達は自分で限界を決めてしまったり、最初から無理だと思い込んでしまってるんだ。今は劣っていても、毎日継続する力で手が届くようになるんだ。」
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- 真木
- 「じゃあ、その子供達を支えて応援している家族の人達に対しては?」
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- 村上
- 「子供に対して、あれしなさい、これしなさい、って言い過ぎる事が子供自身の可能性を潰してしまってる事もあるかもな。もちろん基本的な事や大きくそれていく事は修正してあげないといけないと思うけど、細かい部分については子供自身の意思を尊重してあげて、そうする事で 『自分で考える』 と言う事も覚えていってほしいね。」
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- 真木
- 「それじゃ最後に、現役時代も含めて応援してくれている皆さんに伝えたい事があればこのサイトを通じて伝えてください。」
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- 村上
- 「とにかく皆さん、すべての人達に感謝です。
そして、プロ野球の世界から引退していった選手って毎年毎年たくさんいるんだけど、たとえユニフォームを脱いでも頑張っている人がいる事も知っていてもらいたいね。現役時代と変わらず、プロ野球の世界に歴史を刻んだ選手の事をいつまでも忘れずに、応援し続けて欲しいと切に願います。」
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- 真木
- 「そうですね。僕自身も引退して何年も経ちますけど、最近知り合った人で現役時代の事を覚えてくれてる人とかがいると、涙が出るほど嬉しい思いになりますもんね~(笑)。」
「それじゃ今後の野球界の発展の為にも、村上さんの今後の活動を頑張ってください。僕も微力ながら野球少年達の為に何が出来るかを考えて頑張ります。また何か一緒に出来る事があれば、その時はよろしくお願いします。」
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- 村上
- 「ありがとう。」
「とにかく今は、子供たちへの指導と、独立リーグの新チーム結成に向けて俺の持てる全勢力を捧げるよ。
お互いに野球界の為に頑張らなきゃな!」