- 所属球団
- 元 近鉄バファローズ
元 オリックス・バファローズ
- 氏 名
- 水口 栄二(みずぐち えいじ)
- ポジション
生年月日
出身地 - 内野手
1969年1月9日
愛媛県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 保内中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 愛媛県立松山商業高校(愛媛県)
- 出身大学
- 早稲田大学
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1990年 ドラフト2位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1991年~2004年 近鉄バファローズ (32→10)
2005年~2007年 オリックス・バファローズ (7) - 引退
- 2007年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:17年
-
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 1561 4510 565 417 1213 168 15 53 43 279 36 461 24 569 .269
- 2008年~2012年 オリックス・バファローズ 打撃コーチ
2013年~現在 水口栄二の野球教室「野球心」代表
- 【 名称 】
- 水口栄二の野球教室 「野球心」
- 【 住所 】
- 兵庫県西宮市鷲林寺2丁目
- 【 電話番号 】
- 090-1489-8496
- 【 受付時間 】
- 10:00~20:00
- 【 対象 】
- 小学1年生~中学3年生
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://www.yakyushin10.com/
「大学3年生の時にあるコーチとの出会いがあって、そのコーチからプロを目指すように言葉をかけてもらえた事で野球に対する考え方が変わったと思う」
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- 真木
- 「こんにちは、メチャクチャご無沙汰しております」
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- 水口
- 「おう、元気だったか~?」
-
- 真木
- 「なんとか元気に頑張ってます。水口さんとお会いするのは僕が近鉄にいた時以来なので、もうかれこれ15年ぶりくらいになりますよ~」
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- 水口
- 「そうだな~、もうそんなに経つんだな」
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- 真木
- 「いろいろとお忙しいようで申し訳ありませんけど今日はよろしくお願いします」
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- 水口
- 「いやいや、何かとバタバタしてるけどこちらこそよろしく」
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- 真木
- 「では早速ですけど、水口さんが野球を始めたのは何歳くらいだったんですか?」
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- 水口
- 「正式に野球を始めたのは中学生になってからだったんだ。ウチは田舎だったから小学校には野球チームがなくてね。少し離れたところまで行けばあったんだけど、そこまでしなくていいかなって思って」
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- 真木
- 「そうなんですか~!?じゃあ小学生の時は野球は全然してないんですか?」
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- 水口
- 「う~ん、野球っぽい事をしてたと言えば、家の目の前が海だったんだけどそこで父親とキャッチボールしたり、一人で海に向かって木の棒で石を打ったりとかね。あとたま~に、学校の友達たちを集めて校庭で野球をする事もあったかな。でもやっぱり子供の頃から野球は好きだったから中学生になったら野球をやろうとは思ってたんだ。それで足腰を鍛える目的もあって小学生の頃はサッカーチームに入ってたんだ」
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- 真木
- 「へ~、それはビックリですね。まさか水口さんが普通よりも野球を始めたのが遅かったなんて想像もした事なかったです。でも、地域的な理由だったとしたら、その学校に通ってる子はみんな同じ条件だったって事ですよね?中学になって水口さんだけが野球経験がないって訳でもないんですよね?」
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- 水口
- 「そうそう、中学の野球部はみんな同じような環境だったな。最初、中学に入学した時はそれまでサッカーをやってた事もあってサッカー部の先生に誘ってもらった事もあって迷ったんだけど、やっぱり先の事を考えて野球部に入ったんだ」
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- 真木
- 「でも実質中学生から野球を始めて、よく野球が強豪の松山商業に行けましたね?」
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- 水口
- 「始めたばっかりの野球だったんだけど、その中学の野球部の先生がメチャクチャ熱心な先生で、よく練習はさせられたね。そういうのもあって、一学年上の時と、自分たちの学年の時と、両方とも県大会で準優勝で来てね、たぶんそういうところで高校の監督や関係者の人たちに見てもらってたんだろうね。一応声をかけてもらえてたんだ。でも松山商業は県立高校だから私学高校みたいなスポーツ推薦とかもなくてね、ちゃんと勉強もして受験で合格してくださいって感じだったんだ」
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- 真木
- 「そうですね~、県立高校だから受験はしなきゃいけないんですよね。スポーツも出来て勉強もしっかりやって、メチャクチャ優等生だったんですね~(笑)。
それで実際松山商業に進学してどうでした?県立って事は自宅からの通いですか?」
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- 水口
- 「いや、自宅から結構距離もあって通うのは大変だったから、遠くから来てる選手を集めて寮ではないんだけど下宿所みたいなところで野球部員10人ちょっとくらいかな、一緒に生活してたんだ。同じ下宿所に監督の家族も一緒に生活して監督の奥さんが食事の準備とかしてくれてね」
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- 真木
- 「すごいですね~。監督だけじゃなくて家族で野球部を支えるような生活だったんですね。でも、そんな苦労もあって夏の甲子園では準優勝ですよね。しかも水口さん自身は、いまだに破られてない大会最多安打記録を達成してですよね。こうやって取材をさせてもらう事になって改めて水口さんの事を調べてみたんですけど、やっぱりすごいですよね。高校では甲子園で記録を作って、大学でもベストナイン4回、プロでも犠打の記録を何度も作ってるんですもんね」
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- 水口
- 「いやいやそんな事ないよ。高校の時は監督から厳しく指導されてたから、甲子園期間中も常に平常心で臨めたのが記録に繋がったんだと思うな。あれが2、3試合やったところで調子に乗ってたら後半では調子を崩してたんだと思うから」
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- 真木
- 「そんなに厳しかったんですね~。何がそんなに厳しかったんですか?」
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- 水口
- 「いや~、全てにおいてだね。走る事もしんどかったし、守備も鍛えられたしね。バッティングではしんどいと思った事はないんだけど。それが平日でも学校が終わって20時21時までは毎日だし、土日や夏休み冬休みなんかの休み期間中はエンドレスだったもんね。しかも昔の高校野球って休みって言ったら1年で10日あるかないかくらいじゃないかな?でもホントそこで鍛えられたのが良かったんだと思う」
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- 真木
- 「そんな高校野球生活を送って早稲田大学に進学するんですよね?甲子園でもそんなに活躍してたら高校の時にプロに進むって選択はなかったんですか?」
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- 水口
- 「なかったね~。なかったと言うより、さっきも言ったように監督には厳しく指導されてたから当時は『はい』か『いいえ』しか言えなかったんだよね。その監督から、夏の甲子園が終わった後に『お前は早稲田大学に行って野球をしてこい』って言われたもんだから、正直、早稲田がどういうところなのかも何も知らないのにその場で『はい、分かりました』って答えてたんだ。まあそれ以前に、高校生の頃はプロに行きたいとか行けるなんて思ってもなかったからね。体も小さいし、社会人に行って野球が出来れば・・・と思ってたね」
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- 真木
- 「え?そうなんですか?そんな甲子園で記録まで作ったのにプロでは通用しないなんて思ってたんですか?」
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- 水口
- 「そうそう、身近にプロに行った人もいなかったし、プロってどんな世界なんだろうって比較する事も出来なかったからね。大学3年までは自分がプロに行く事なんて考えた事もなかったよ」
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- 真木
- 「そうなんですね。でもその早稲田大学に進学してからも1年生からレギュラーで試合に出るようになったんですよね?それでも1、2年生の頃はまだプロを目指してなかったんですか?反対に、3年生になってプロを目指すようになったきっかけって何かあったんですか?」
-
- 水口
- 「下級生の頃はまったく思ってもなくて、早稲田大学の監督が石井連蔵さんに変わったんだ。そしたら石井監督の教え子で鈴木さんっていう方が臨時でたまにコーチとして来られるようになって、その人にバッティングを教えてもらって理論を勉強してるうちに自分自身のバッティングも良くなったんだよ。そしたら鈴木さんから『お前はプロに行け』って言われてね。最初は『え~?』と思ったんだけど、話をしているうちに挑戦してみようと思い出して。そこからかな、本気で野球に取り組むようになったのは」
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- 真木
- 「え?それまで本気じゃなかったんですか?本気じゃなくても甲子園の記録や早稲田大学での活躍をしちゃってたら周りの人から怒られちゃいますよ!(笑)」
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- 水口
- 「本気じゃないって言ったらちょっと違うけど、それまでは高校の時も大学の時もやらされてる練習しかしてなかったのが、その時を境に、自分から貪欲に練習に取り組むようになったって感じかな。バッティングについてもよく勉強したしね。結局その当時の鈴木コーチにはプロに入っても引退した今でもよく連絡をしてバッティングについて相談する事があるんだ」
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- 真木
- 「へ~、そんなに水口さんにとって大きな影響がある人なんですね。それで実際に近鉄からドラフト指名されて入団ですよね。17と言う長い現役生活のスタートになる訳ですけど、入団当初はどうでしたか?」
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- 水口
- 「よく雑誌の取材なんかでも言うんだけど、最初はとんでもなく場違いなところに来てしまったなと思ったね。当時、近鉄のいてまえ打線の絶頂期で、伝説の10・19の2年後が1年目だったんだよ。だからブライアントもいたし鈴木貴久さんや大石さんとかね、みんな豪快でフルスイングが売りの打線だったから俺みたいな非力なバッティングじゃ当然目立つ事もないしね。ルーキーの時のキャンプなんかショックだったのをよく覚えてるよ」
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- 真木
- 「水口さんがルーキーの時はもうサイパンキャンプですか?」
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- 水口
- 「そうそうメチャクチャ暑くて、その暑さの中、最初のウォーミングアップだけで2時間くらい走るんだよ。そこから練習に入っていくからもうヘトヘトなんだけど、他の何年もやってきてる先輩たちは平気でこなしてるんだよね。バッティングしても軽く柵越えしてるし。化け物かと思ったよ」
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- 真木
- 「あ~、それは僕も正反対の事を経験しましたね。僕がルーキーでサイパンに行った時は水口さんが平気で練習してましたからね。
水口さんの長い現役生活の中で一番印象に残ってる事ってどんな事ですか?
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- 水口
- 「う~ん、良い事も悪い事もたくさんあったからな~。球団の合併とかも経験したけど、やっぱりあの北川のホームランかな~」
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- 真木
- 「やっぱりあれは印象的ですよね。と言うか完全にプロ野球の歴史に残り続けますよね。ホームランの前に付くものが全て付くんじゃないですかね?代打逆転満塁サヨナラホームランですもんね。しかも優勝決定でもありますし。あの時は僕はもう移籍して近鉄にはいなかったんですけど、その場面でベンチにいた人たちは一生心に残るでしょうね~。
そんな経験もしながら、最後現役を引退する決断って言うのはどういう心境だったんですか?」
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- 水口
- 「引退は合併後だったからオリックスだったんだけど、年齢も年齢だったから自分の中ではもう1年現役を続けて、自分でもプレーをしながら若い選手の指導もできたらなと思ってたんだけど、いろいろとあって球団からは来年は1軍でバッティングコーチとしてやってほしいと言われてね。1か月くらいかな、かなり悩んで迷ってしたんだけど、バッティングコーチと言う事ならと思って引き受けたんだ。それまでにバッティングについてはかなり勉強して持論を持ったつもりだから、これが守備コーチや走塁コーチで打診されてたら、もしかしたら他球団でプレーする事も考えたかもしれないけど、打撃コーチって話だったから余計に迷ってね。それでもやっぱり現役には未練もあったよ。まだ俺の方が打てる!って自信あったもんね(笑)」
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- 真木
- 「そうなんですね~。水口さんぐらい選手をやっても引退には未練が残るもんなんですね~。未練がないとか、後悔をしないなって言うのはムリな話なんでしょうね。
それで引退後オリックスでコーチを5年やって、今の『野球心』につながる訳ですね。
水口さんと言えばバントの名手でもあったと思いますけど、水口さんにとってバントってどういうものなんですか?」
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- 水口
- 「バントはね、練習しなきゃうまくならないもんなんだよ。反対を言うと、練習さえしっかりやれば必ずうまくなれる。バンティングで遠くに飛ばすのとは違って、誰でもできるようになるものだからね。ただ、バントは勇気がないと出来ないよ。あのピッチャーが投げてくる速いボールに対してバットと一緒に顔も持っていかなきゃいけないからね。あれが怖いんだよ。だから、できるようになったからと言って練習をしなくなると、投球に顔を持っていく事が怖くなったりボールが速く感じたりするんだ。そういう意味で慣れの為にもバントの練習は継続していかなきゃいけないんだ」
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- 真木
- 「そういうもんなんですね~。バントの記録を次々に塗り替えた水口さんに言われるとかなり説得力がありますよ。
そろそろ時間の都合もあって最後になるんですけど、今こうして水口さんの元で教わってる子供達以外にも、今までの水口さんの経験から何か伝えるべき事ってありますか?」
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- 水口
- 「そうだね~。やっぱり野球は楽しんでやってほしいな。楽しむって言ったらヘラヘラ笑いながらって言う意味ではなくて、厳しさも辛さも味わって、それをバネにして前進していくっていう、大きな意味の楽しさを感じてほしいって事ね。ここに通ってきてくれる人はみんな子供もそうだし親の人たちも熱心なんだ。プレーする子供だけじゃなくて、親やチームの指導者の人たちも一緒になって野球を勉強してほしいと思うな」
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- 真木
- 「そうですね。野球と言っても日々進化する事も多いでしょうし、昔は常識だった事が今は非常識になってる事もあるくらいですから、相手が子供だったとしても指導するっていう事はそれだけの責任もあるって事ですもんね。
そろそろ時間もなくなってしまいましたので、まだまだ聞きたい事は山ほどあったんですけどこの辺で終わらせていただきます。お忙しいところ申し訳ありませんでしたがありがとうございました」
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- 水口
- 「いやいや、こんな話で良ければ」
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- 真木
- 「いえ、充分です。また改めて水口さんのバッティング理論とコーチ時代の話も聞かせてもらえたらと思います。ありがとうございました」
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- 水口
- 「こちらこそ」