大門 和彦

profile

所属球団
元横浜大洋ホエールズ
元横浜ベイスターズ
           元阪神タイガース
氏 名
大門 和彦(だいもん かずひこ)
ポジション
生年月日
出身地
投手
1965年5月31日
京都府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
木幡中学校 (軟式野球部)
出身高校
京都府立東宇治高校
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1983年 ドラフト4位 横浜大洋ホエールズ
所属球団( )内は背番号
1984年~1993年 横浜大洋ホエールズ
            横浜ベイスターズ   (54→14)
1994年        阪神タイガース    (41)
引退
1994年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:11年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
233 104 36 52 3 807 818 93 261 23 558 375 346 3.86

next stage

1995年~2002年 ソニー生命保険株式会社
2002年       有限会社アイディーリンク 設立
2003年       近畿都労務管理協会 設立 (労働局認可)
2005年       アイディーコンサルティング株式会社 設立
2007年       アイディーケア株式会社 設立
2011年       特定非営利活動法人アイディーファーム 設立
【 会社名 】
IDC-アイディーコンサルティング株式会社
【 住所 】
京都府京都市中京区蛸薬師通烏丸西入橋弁慶町234番地ゆたかビル5階
【 電話番号 】
075-222-8410
【 事業内容 】
個人コンサルティング(保険・税金・老後・不動産・資産運用・ライフプランニング)
【 事業内容 】
企業コンサルティング(経営・財務・人材育成)
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://www.e-idc.cc/

interviews

「プロに入るまでは努力と言う努力はした記憶はないな~。その代わり、プロに入ってからはその分死にもの狂いで練習したよ」

  • 真木
    「こんにちは、今日はお忙しいところ貴重なお時間をありがとうございます。大門さんの子供の頃から現在に至るまで、野球生活からセカンドキャリアについてまでいろいろとお話を聞かせてください」
  • 大門
    「はい、分かりました」
  • 真木
    「では早速ですが、野球を始めたのは何歳の頃からですか?」
  • 大門
    「小学校1年生の時に、住んでいる地域の少年野球チームに入って始めたのが最初なんですが、その後4年生が終わった時期に引っ越しをする事になって転校することになったんです」
  • 真木
    「って事はその少年野球チームも変わることになるんですか?」
  • 大門
    「それが転校していった先の学校では危険だからという理由で野球が禁止だったんです。それでソフトボールしか出来なかったんですけど、どうしても野球をやりたかったので転校していったばかりなのにクラスの友達を誘って公園のグラウンドで野球をして遊ぶようになったんですよ」
  • 真木
    「なんかそれを聞くだけで今のこの成功されている大門さんの姿が象徴されてる気がしますね」
  • 大門
    「そんな感じで野球をして遊んでたら自然と他のクラスの子供たちも仲間になっていって、最終的にはそれを学校側も受け入れてくれて先生の立会いのもと学校で野球をやって良いって事になったんですよ」
  • 真木
    「やっぱり子供の頃から、人の心を動かせるようなパワーを持った方だったんですね」
  • 大門
    「でもね、そんな事をしておきながら自分はもっと野球がうまくなりたいと思って、5年生の途中から硬式野球のリトルリーグのチームに入ったんです。でも結局、小学校を卒業するまでレギュラーにはなれず試合の出場機会も少なかったので、やっぱり野球は試合に出て楽しむのが良いんだと自分で考えて、中学校では学校の軟式野球部で野球をすることにしたんですよ」
  • 真木
    「そうなんですね。いったん硬式野球を経験した人がまた軟式野球をやるケースって珍しいですもんね。それで中学校では野球を楽しめたんですか?」
  • 大門
    「それがね~、中学2年生の時にツベルクリン注射で引っかかってしまって完全に運動を禁止されたんです。上級生も夏で終わって、さあ今から!って時に学校の体育の授業でさえ禁止されたくらいですから、野球なんて全くやらせてもらえなかったですね。それでもやっぱり野球は好きだったので、禁止されてた8か月間は制服のままマネージャーとして野球部に出席してたんです。今思うと、その時が人生の岐路の一つだったんでしょうね。その時に諦めて野球を辞めてたら、その後の野球人生や今の自分ではなかったでしょうからね」
  • 真木
    「確かにそうですね。2年生から3年生の春にかけてって一番やりがいのある時期ですもんね。それでもそこで辞めなかったのは、よっぽど野球が好きだったからなんでしょうね」
  • 大門
    「まあそんな中学野球だったからもちろん高校は野球の名門校なんかには行けませんよね。それでちょうど自分が中学3年生の時に地元の公立高校が甲子園に出場してて、子供ながら地元で甲子園に行ける学校なんだって事で必死に勉強して受験したんです。それが入学してみると、いまだにお付き合いさせてもらって自分にとっての恩師の一人なんですけど、当時の野球部の監督は本人は野球経験の無い人だったんです。もちろんノックもろくに打てなくて、冗談じゃなく『野球入門』みたいな参考書?を見ながら選手の指導をしてたんですよ!」
  • 真木
    「そうなんですか?えっ、それで甲子園に出場してたんですか?」
  • 大門
    「そうそう、春に野球部に就任して3か月後には甲子園に出場してたんですって。自分たちの時もそうだったんだけど、ノーアウトでランナーが出ると、バッターが1番だろうと4番だろうと必ず送りバントをするような指揮だったから、恐らく監督の采配とか指導で甲子園に出たって言うよりは、選手が良かったんだと思いますね」
  • 真木
    「野球経験の無い人だったら尚更そう思いますよね」
  • 大門
    「そのかわりその監督は、京都大学の理工学部の出身でとにかく勉強には厳しかったんです。テストの度に、赤点の警告をされたり、実際に赤点を取ってしまうと野球をやらせてもらえなくてずっと勉強をさせられるんですよ。それでね2年生になってからは3年生に交じって4番を打たせてもらってメンバーにも入ってたんですけど、夏の大会の開会式が終わって1回戦までの間にちょうどテストの結果が返ってきて、1教科だけ赤点を取ってしまったんです。そしたら次の日に背番号を取り上げられて、それから夏休みまでの間ずっと勉強ですよ。夏の大会にも出れずでね」
  • 真木
    「え?脅しだけじゃなくて本当に大会にも出させてもらえないんですか? 4番バッターを抜いてしまうなんてメッチャ徹底してますね」
  • 大門
    「そうそう、そういう部分はすごく厳しい監督でしたね。 それで3年生も引退して、さて今から!って時に、今度はチームメイトの不祥事が発覚して今度は対外試合禁止の処分。3年生になるまで練習試合もできなかったんですよ」
  • 真木
    「え?そのセリフさっきも聞きましたよね。中学時代と言い高校時代と言い、大門さんって野球が出来なかったり試合が出来ない時期だらけだったんですね。 でもよく考えてみたら、そんな高校野球生活なのに、高校卒業時点でのドラフト指名ですよね? それってすごくないですか? ドラフトでは指名される事って事前に情報はあったんですか?」
  • 大門
    「ね~、それは自分自身もビックリしたし、周りの人たちも『何でお前が?』って言ってましたね。指名されるって話は全く聞いてなかったですね。まあ、もしかしたら・・・程度には聞いたことはあったけど、まさかね、自分でも自分に対する評価は低かったから一切期待もしてなかったですしね」
  • 真木
    「実際ドラフト当日はどう過ごしてたんですか?」
  • 大門
    「普通に学校に行って、普通に家に帰ってましたね。自分が指名される時間帯にはもう学校も終わって家に帰ってテレビ見てたかな。そしたら監督から家に電話があって、ドラフトで指名されたからもう一回学校に来いって。学校に行くと周りの友達たちも呼び出されてたみたいで、いかにも今指名されたところ、みたいな祝福の演出をさせられた記憶がありますね」
  • 真木
    「じゃあ、それからルーキーとしてのキャンプインが初めてのプロの世界の第一歩だったと思うんですけど、どうでしたか?何か違いとかを感じる事はありましたか?」
  • 大門
    「それがね、大変な状態でそのキャンプインを迎えたんです。実はキャンプインの数日前、学校の体育の授業でラグビーをしていて足首を捻挫してしまったんです。だからまともに歩けなくてキャンプイン初日の練習メニューは歩行練習から始まりましたね。もちろん監督やコーチからは、ルーキーの選手がキャンプ初日に怪我してくるとはどういう事だ!って怒られましたけどね」
  • 真木
    「そりゃ怒られますよね~。プロの世界ではキャンプ初日には体も出来上がって100%以上のパフォーマンスが出せる状態で入ってくるのが常識の中で、怪我をして歩けないなんてありえないですもんね。しかもそれがルーキーとなると言い訳の余地もないですね。 大門さんの成績を見ると2年間はみっちりと二軍で鍛えて、3年目には開幕一軍スタートだったんですよね? その2年間で何か変わった事はあったんですか?」
  • 大門
    「まず怪我はしてたんだけどルーキーのキャンプインをしてすぐに自分の自信の無さを痛感したんですよ。どこを見ても自分よりはるかに格上の人ばっかりで、俺はこんな世界でやっていけるんだろうか・・・、いつ辞めようかな・・・なんて悩みましたね。でも、結局1年目が終わった時シーズンを振り返ってみると、同じルーキーで自分の次の順位のドラフト5位で入団したピッチャーの方が、自分よりも登板試合数も多い事に気が付いたんです。初めてだったかな『悔しい』と言う思いがこみあげてきて。それで2年目が始まるまでの間、死にもの狂いで練習しましたね」
  • 真木
    「やっぱり何事も『悔しい』と言う思いがパワーの源になるんですね。大門さんにとってプロ生活で良い思い出ってどんな事ですか?」
  • 大門
    「う~ん、良い思いはたくさんあるんですけど、色々な人と出会えた事やその人達に色んなことを教えてもらえた事ですね。それは同じプロ野球選手同士の中でもありますし、グラウンド以外の一般の人との話でもあるんですよ。そのうちのある一つの事を例に挙げると、誰もが知っているような大企業のお偉いさんとも交流をさせてもらっていて、ある日一緒に食事をしてお酒を飲みに行っていたんです。いつも通り他愛もない話をしていてその方がお手洗いに席を立ったんです。そしたらそのお店の女性が『この方はいつもきれいなお酒の飲み方をするでしょ~』って言ってきたんですけど、自分にはその意味が全く分からなかったんです。それでその女性が教えてくれたのが、お店には何百人って人がお酒を飲みに来られるけど、この方だけ、女性がお酒を作るたびにさりげなく『ありがとう』って言ってくれるの。女性からしたらこれ以上気持ち良いことはないんですよって」
  • 真木
    「へ~、さりげない事なんでしょうけど、今聞いてるだけでも鳥肌が立つような良い話ですね」
  • 大門
    「プロ野球選手ってお酒を飲むお店に行ったらお酒を作ってもらって当たり前、反対に天狗になってる時なんかは『早く酒を作らんかい!』くらいの勢いの時もある訳でしょ。これが紳士なんだな~って教わりましたし、普段からそういう方とお付き合いさせてもらえてるって事が財産でしたね」
  • 真木
    「そうなんですね~。現役時代からそういう経験をされてるから、野球を辞めてからもすぐにビジネスの世界に入っていけたんでしょうね。大門さんが現役を引退する決意になった事は何かあるんですか?」
  • 大門
    「もう自分はずっと肩の故障との戦いだったんです。一番最初はプロ2年目で肩を痛めて、それからはずっと痛みを抱えながらの現役生活でしたから。もう次に大きな故障をしたら再起は難しいだろうなと思い続けてたんですけどやっぱり肩の故障を再発させてしまったんでね。それがユニフォームを脱ぐ事の決意になりましたね」
  • 真木
    「そうですか。痛みを抱えていると毎日痛みとの戦いがある訳ですもんね。それで実際ユニフォームを脱いでからはどうでした? やっぱりそれまで野球中心の生活から一変する訳ですから何か感じる事はありました?」
  • 大門
    「引退してすぐにいろんな人が相談に乗ってくれていろんなお仕事のお話も頂戴したんです。でも、プロ野球選手の大門と言うのは3年4年経てばいずれは薄れていくもんだから、第二の人生は自分の足で歩いていける仕事を選ぼうと決めたんです。それで人からいただいた話はすべてお断りさせてもらって自分から門を叩いた会社にお世話になることにしたんです。 引退してから1年目は、スーツを着てエアコンの効いた部屋で仕事をしていると少し違和感を感じる事はありましたね。それまではジーンズにTシャツで球場に行って汗をかいてっていう毎日だった訳だから。でもそこに戻りたいと思う事はなかったですね」
  • 真木
    「その時に大門さんが決意したその通りに、今こうやって進んで来ている訳ですね。野球を辞めてから何年くらいしたらこのビジネスの世界で自信を持てるようになりました?」
  • 大門
    「自信と言う訳じゃないけど、自分が引退したのが30歳の時だったんです。と言う事は大学卒業の新卒者と比べたら8年のビハインドがあるんですよね。それで一般の人は一日8時間働く訳ですよ。だからその倍、一日16時間働いたら8年で追いつけると考えてずっと16時間働きましたね。ついでに土日も働きましたから仕事をしだして7年半経った時に独立したんです」
  • 真木
    「やっぱり思考回路が普通の野球選手とは違うような気がします(笑)。 じゃあそろそろ時間の都合で最後になりますが、今までのすべての大門さんの経験を踏まえた上で、これから将来のある子供やそのサポートをする家族の人たちに向けて伝えられることをお願いします」
  • 大門
    「今は土日に子供たちの野球チームの監督をしたりしてるんですけど、そこでもよく言う事は、とにかく好きだと思って始めた事をどこまでとことん頑張り続ける事が出来るか。とことん頑張れれば結果は二の次なんですよね。プロの場合は結果も追及されますけど子供達にとっては結果よりもプロセスの方が大切だと思うので、その頑張り続けると言う事を挑戦してほしいと思いますね。結果が出ない事や継続できない事を、すぐに何かの外部環境のせいにして辞めてしまう。例えばこのチームは合わないから他のチームに移籍しよう、そう考えて行動する人って一回では済まなくて同じことを繰り返す人が多いんですよ。それは大人になって社会に出ても全く同じことが言えるんでね」
  • 真木
    「確かに自分も辛抱して継続していく中で得るものっていうのは大きいものだと思います。辛くてもしんどくてもとにかく継続できた人にしか味わえない領域ですもんね。簡単にあきらめて辞めてしまう人には味わう事が出来ない事ですから、やっぱりその部分は自分にとって大きな財産になりますよね。 長くなりましたけど今日はお忙しい中本当にありがとうございました」
  • 大門
    「いえいえ、こんなまとまらない話で良かったらいいんですけど」
  • 真木
    「全然です。とても貴重なお話が聞けました。またこれからもよろしくお願いします」
  • 大門
    「こちらこそ」
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