- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
元東北楽天ゴールデンイーグルス
- 氏 名
- 川口 憲史(かわぐち けんし)
- ポジション
生年月日
出身地 - 外野手・一塁手
1976年6月28日
福岡県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 筑後ドジャース(フレッシュリーグ)
- 出身高校
- 柳川高校(福岡県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1994年 ドラフト4位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1995年~2004年 近鉄バファローズ (61)
2005年~2010年 東北楽天ゴールデンイーグルス (61) - 引退
- 2010年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:16年
-
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 976 2332 257 314 613 132 11 69 9 6 18 263 34 434 .263
- 2012年4月~現在 パンandベーグル『hands hands』オープン
- 【 店名 】
- パンandベーグル 『hands hands』
- 【 住所 】
- 福岡県福岡市西区飯氏773-1
- 【 営業時間 】
- AM10:00~ 売切れ次第閉店
- 【 定休日 】
- 不定休 (詳しくはWEBサイト上でお知らせ)
- 【 電話 】
- 092-407-8244
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://hands-hands2012.com/index.html
「本音を言えば死ぬまで現役選手でいたかったですけど、今は気持ちも切り替えて、嫁さんと仲良くお店を頑張ってます」
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- 真木
- 「久し振り~。すごいね~、こんなのどかな場所で立派なお店をやってて。プロ野球選手の引退後の理想って感じだね」
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- 川口
- 「久し振り~。すごいね~、こんなのどかな場所で立派なお店をやってて。プロ野球選手の引退後の理想って感じだね」
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- 真木
- 「確かに俺もここに来るのにすぐ近くまで来てたけど迷ったもんね~。まあでも元気そうで良かったよ。一段と肉付きも良くなって・・・?」
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- 川口
- 「ハハハ、毎日パンとベーグルを食べまくってますからね~」
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- 真木
- 「じゃあ早速だけど憲史の野球人生を振り返らせてもらいます! 野球を始めたのは何歳くらいから?」
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- 川口
- 「友達同士で遊びで野球をやってたのはもっと小さい頃からですけど、実際チームに入ったのは小学4年生の頃ですね。当時、今からじゃ考えられないくらいメチャクチャ太ってたんですよ。それで3年生の時に学校のマラソン大会でビリになったのを父親に見られてしまって。その時、父親からスポーツをやるように言われて最初は柔道とか剣道とか言われたんですけど、投げられたり叩かれたりは嫌だと言って野球を選んだんです」
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- 真木
- 「じゃあ一番最初のキッカケはダイエット目的だったんだ?(笑)」
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- 川口
- 「そうですよ~。まあでも友達同士でも野球をして遊んでたりしてたので、野球自体は好きだったんですけどね。それで4年生くらいから野球を始めたら、父親が急変して星一徹になっちゃったんですよ」
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- 真木
- 「え?それはスパルタになったって事?」
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- 川口
- 「そうです。学校が終わったらチームの練習が毎日あったんですけど、それも終わって晩御飯を食べた後に、毎日父親からノックとティーバッティングの特訓ですよ。どれだけ雨降ってほしいと願ったかですよ。まあ雨が降ったとしても家の中で素振りはしてたので結局休みはなかったですけどね」
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- 真木
- 「なかなか熱心なお父さんだったんだね」
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- 川口
- 「やるからには一番になれっていうのが父親の考えでしたね。その代わりそれだけ毎日特訓してたから4年生の1年間でみるみるうちにやせて、走るのも速くなりましたね。まあ今になって思うのは僕もしんどかったけど、それに毎日付き合ってた父親もかなり大変だったでしょうね」
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- 真木
- 「そんなキッカケで始めた野球だけど、中学からは硬球のチームに入ったんだっけ?」
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- 川口
- 「はい、そうですね。これもそうですけど、どうせやるならって事で父親がフレッシュリーグって言う連盟の硬球のチームを見付けて来たんです。ここがまた厳しい監督さんがいて、子供ながらにとんでもないチームに入ってしまったなって思ったのを覚えてますね」
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- 真木
- 「中学になってからのお父さんの特訓はどうだったの?」
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- 川口
- 「変わらずです。小学校、中学校の時は全く同じで毎日ノックとティーバッティングの嵐でしたね。高校では寮生活だったので、高校生になるまではずっとほぼ毎日でした」
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- 真木
- 「そうなんだ~。で、高校は名門の柳川高校に行く訳だけど、その進路はどんな風に決まったの?」
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- 川口
- 「中学3年になったら進路相談ってあるじゃないですか。チームの監督と話をした時に、最初、福岡県内のある県立高校を志願したんですよ。そしたらお前はバカか!ってすごい勢いで怒られたんです。え?何が?と思ったんですけど、監督が柳川高校出身で、柳川で野球をやってみないか?って言われて行く事になったんです」
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- 真木
- 「そもそも、その県立高校って何だったの?何でそこに行きたいと思ってたの?」
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- 川口
- 「嫁さんですよ。僕達、中学の頃から付き合ってて、嫁さんが1歳年上なんですよ。それで嫁さんが先にその県立高校に行ってたから僕も行こうと思ってたんです」
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- 真木
- 「マジで~、そんな純愛してたんだ~。しかもその当時から現在までずっと一緒にいるんだからすごいよね。柳川高校ってどうだった?やっぱりあれだけ名門で伝統もある学校だから厳しかったの?」
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- 川口
- 「はい、メチャクチャ厳しかったですよ。とにかく1年生の1年間は地獄でしたね。ちょうど先輩が甲子園に出場した直後の入学だったんで新入部員も多くて、最初1年生だけで120人くらい入部してきたんです。まあ中には体操服で来ちゃうような生徒もいて、1ヶ月くらいしたら練習に耐えられなくてどんどん辞めていって結局は30人くらいに落ち着くんですけどね」
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- 真木
- 「でも憲史は1年生から試合に出てたもんね~。俺も福岡県の高校だったから一回だけ柳川高校と練習試合をした事があって、その時サードを守ってたのが俺たちの1つ下の学年の子ですごいバッターらしいって聞いてた記憶があるんだ。その時、名前までは覚えてなかったけど、それが憲史だったんだもんね。それで高卒でドラフトで指名される訳だけど、ドラフトはどうだった?指名される事は分かってたの?」
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- 川口
- 「いえ、全然ですよ。一応ドラフト直前までスカウトの人達が来てくれたりしてたみたいですけど、すでに高校の頃に肩を痛めてた事もあって監督からもたぶんドラフト指名はないだろうって聞かされてたんです。だからドラフト当日も授業を受けながら早い時間は一応気にしてたんですけど、もう授業も最後の時間になってしまって夕方だったから、もうドラフトも終わって指名はなかったんだろうなと思ってたんです。今でも覚えてますね、その日の最後の授業が音楽の授業で、もう緊張も切れてたから居眠りしてたんですよ。そしたら指名されたから校長室に行くように呼びに来てくれたんですけど、正直、かなり寝ぼけてて夢の中の話だと思ってたんです」
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- 真木
- 「ハッキリ目が覚めてドラフト指名を実感したのはいつくらいだったの?」
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- 川口
- 「校長室行って監督から話をされた時も結構寝ぼけたままで、その後、記者とかカメラマンとかが来て写真を撮られたりした時ですかね~」
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- 真木
- 「そんなドラフト指名をされていざ入団してみてプロの世界ってどうだった?」
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- 川口
- 「僕の場合高卒から4~5年くらいはファーム(二軍)生活が長かったので厳しかったですよ。ハッキリ言ってプロとは言っても当時の二軍なんて草野球みたいなもんでしたからね。観客だっていないしお金も少ないし。その後はだいぶ変わって二軍の選手でもだいたいの選手はメーカーから道具は提供されてたでしょ?僕が入団した頃は、まだ二軍の選手は道具も買わなきゃいけなかったんですよ。給料からの天引きにはなるんですけど、年俸400万円に対して道具代が150万とかでしたね。だからよく当時近鉄の一軍にいた中根さんとか村上さん中村ノリさんとかにバットをねだりに行ってましたね」
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- 真木
- 「へ~、俺が入団した時はもう二軍の選手でもほとんどの選手はメーカーから用具提供を受けてたけど、少し前まではそんな感じだったんだ。まあ、近鉄だからって言うのもあるんだろうね。憲史がプロ生活の中で一番印象に残ってる事ってどんな事?」
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- 川口
- 「やっぱりあの2001年の優勝ですかね~。あの優勝を決めた試合と、その前の何試合かって言うのはすごく印象深いですね。あのシーズンは特に、こんな試合でも逆転しちゃうの?っていうくらい他のシーズンとの違いを感じる事が多かったですね。何かが違ってたんですよ。で、あの最後の決め方でしょ~。『代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン』でしょ。ホームランの前に付く全ての言葉が付いちゃってますもんね。でもあの場面、近鉄らしいんですよ~。あの試合がシーズンの大阪ドーム最終戦だったんですよ。優勝決めるにはやっぱり本拠地がいいじゃないですか。それで最終回に無死満塁ですよ、普通ならみんながベンチの最前列に乗り出して大盛り上がりになるじゃないですか。近鉄は違いましたね。みんないつも通りベンチにドカッと座ったままで、はいどうせゲッツーでしょ、って感じだったんです。実際打った北川さんはゲッツーが多かったんですよ(笑)」
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- 真木
- 「そうなんだ~、それ面白いね!今度その時の映像を見る事があったらそこに注意して見てみよう!確かにその時の近鉄のメンバーを考えたら近鉄らしいね。じゃあ今度悪い方の思い出は?」
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- 川口
- 「悪いって訳ではないんですけどね。そのリーグ優勝とセットになっちゃうんですけど、ちょうどその年の9月にアメリカでテロがあったんですよ。だから優勝はしたんですけど、ビール掛けも優勝旅行も自粛って事で経験できなかったんです。優勝した気分が味わえたのも、優勝決めて胴上げして、くらいまででしたね・・・。それがちょっと残念でした」
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- 真木
- 「確かに!プロで優勝した時くらいしか経験できない事が出来なかったとなると残念だね。その後、球団合併があって楽天に移籍することになったんだよね?楽天はどうだった?」
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- 川口
- 「楽天は大変でしたよ。当たり前ですけどフロントにプロ野球経験者が誰一人いなかったわけですから、1年目なんか全てが手探りでしたね。キャンプって言っても、当時の沖縄・久米島には球場が1つしかなかったんで、一軍と二軍が合同でキャンプしたんですよ。シートノックで全員守備についたらとにかく時間がかかるんですよ。他にも新球団だから報道陣も多い訳じゃないですか。その報道陣を取り仕切るのも手探りで、ある時、首脳陣と選手がマウンドで円陣を組んでミーティングをしようとしたら、そのすぐ近くまでテレビカメラが入ってきちゃったりとかね。いろいろありましたよ~」
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- 真木
- 「楽天と言えば三木谷オーナーが有名な人だけど、選手から見た三木谷オーナーってどんな人だったの?」
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- 川口
- 「僕もよくテレビで見る有名な人だって思ってたんですけど、いざ球団のオーナーとして接してみるとすごく気さくな人で驚きましたね。だいたいプロ球団のオーナーって言ったら年配の方が多くて僕達選手はなかなか会話したり関わる事が少ないケースが多かったですけど、三木谷さんは自ら声を掛けてきてくれたり、キャンプ中に行なわれたオーナー会食では、三木谷さんが直々に選手のテーブルを回って話し掛けてくれたりして親近感がありましたね。やっぱり今時な考え方をするんだなって思いましたね。そんな三木谷さんは球団運営について野村克也さんにいろいろと教わったらしいんですよ。それで楽天球団2年目に野村監督が誕生したって感じらしいです。それまで何年も近鉄でプレーしてましたけど、野村監督の下でプレーして改めて野球観が変わった気がしますね」
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- 真木
- 「野村監督の下でプレーした人から同じような事を聞くんだけど、それってどういう事なの?」
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- 川口
- 「言葉の通りで緻密な野球と言うか、勝つ野球を目指すんですよ。点を取られない為にどうするか?1点を取りに行くためにどうするか?もしかしたら試合を見ている観客とかファンの人達は面白くないかもしれないんですけど、プレーしてる僕達は、あ~確かにこうしたら点が入りやすいなとか、こうすれば相手はプレッシャーになるだろうなって改めて気付く事が多いんですよ。バントしたりセカンドゴロを打ったりとかね。これが常勝チームを作ってきた戦術なんだな~って思いましたね」
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- 真木
- 「同じプロ野球選手でもそういう監督の下で野球が出来たって貴重かもしれないね。そんなこんながあって16年目のシーズンで戦力外通告になったんだよね?現役続行は考えたの?」
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- 川口
- 「はい、1回だけ合同トライアウトには行きましたね。でもそれで声が掛からなかったので諦めました。もっと若い時にそうなってたらもしかしたら海外とかNPB以外とか、野球が出来る環境を探してたかもしれないですけど、もうその時点で35歳って歳でもあったし、ここからの人生の方が長いって言うのも考えたしですね。やっぱり本音は死ぬまで現役でいたいってくらい未練がないって言ったらウソになりますけど、でも嫁さんとも野球を辞めたらお店でもやりたいねって何となく話してた事もありましたし気持ちを切り替えましたね」
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- 真木
- 「それでここのお店になった訳だね。昔、奥さんがパン屋さんで働いてた事があってするようになったんだっけ?じゃあこれからは奥さんが現役選手で、憲史が影で支えていかなきゃいけないんだね。野球選手時代と正反対だ」
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- 川口
- 「そうですね~。ホント野球しか知らなかったので今は毎日大変でいろいろと勉強させられてますけど、でも新しい事に取り組んで刺激もあって楽しい日々ですよ。パン屋だから朝が早いのだけが辛いですけどね。毎朝、4時くらいには起きてるんですよ。野球選手時代と真逆ですよ。当時、ナイター終わって一息ついて寝付いたくらいの時間に今は起きてる訳ですから。まあ、嫁さんは3時くらいに起きてるからもっと大変でしょうけどね」
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- 真木
- 「まあ、お互い野球人が一般社会に出てきた訳だから一般社会ではルーキーなんだし、いろいろと経験して学びながら焦らずに前進していこうや。そのうち落ち着いたら、それだけの貴重な経験をする事ができた野球を子供達に伝えていける機会があればいいね。今日はありがとうね。久し振りに会えていろんな話も聞けて楽しかったよ」
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- 川口
- 「いえいえ、こちらこそ。今はそれどころじゃないですけど、実は胸の奥の方では野球の虫がムズムズしちゃってるんですよ。その事もゆっくりと考えて何か実現できたらいいなと思ってます」