- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
元横浜ベイスターズ
- 氏 名
- 池上 誠一(いけうえ こういち)
- ポジション
生年月日
出身地 - 投手
1967年6月12日
兵庫県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 友が丘中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 滝川高校(兵庫県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1985年 ドラフト4位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1986年~1998年 近鉄バファローズ (54→29)
1999年 横浜ベイスターズ (68) - 引退
- 1999年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:14年
-
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率 167 16 14 10 1 0 325.2 311 36 178 8 250 168 150 4.15
- 2000年~2002年 焼き鳥屋 経営
2007年~2009年 淳良会 関目病院リハビリテーション科(理学療法士)
2009年~現在 森ノ宮医療学園附属 みどりの風クリニック リハビリテーション科(理学療法士)
- 【 病院名 】
- みどりの風クリニック
- 【 住所 】
- 大阪市東成区中本3-15-18
- 【 診療時間 】
- 午前9:00~12:00 午後13:30~16:00 夜診16:30~19:30
- 【 休診日 】
- 日曜・祝日 第1・3土曜日 第2・4木曜日
- 【 電話番号 】
- 06-6976-3901
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://www.morinomiya-c.jp/index.html
「俺の少年時代は『巨人の星』以上の練習量だったんや」
-
- 真木
- 「こんにちは、お久し振りです。ちゃんと白衣着てるんですね~。 現役時代からはイメージが湧かなかったですけど・・・。 池上さんの資格って『PT』って言うんでしたっけ? 正式には何て言うんですか?」
-
- 池上
- 「おう、久し振り! そりゃ白衣着るやろ!似合ってるやろ? 『PT』は理学療法士の事や」
-
- 真木
- 「まあ、似合ってはないですよね~。現役時代を知ってるだけにしょうがないですよ。 理学療法士って言うんですね。またなんかカッコいい響きの資格ですね~。国家資格ですよね?
それはさておき、お忙しいところありがとうございます。今日は池上さんの野球人生から現在までを振り返ってもらいたいと思いますのでよろしくお願いします」
-
- 池上
- 「おう、了解! それで?」
-
- 真木
- 「池上さんが野球を始めたのはいつ頃でどんなキッカケだったんですか?」
-
- 池上
- 「ちゃんと少年野球のチームに入ったのは小学校4年生の時だったな。でも昔ってチームに入る前からも学校の友達同士で野球をして遊んでたから、そういう意味で言うともっと前から野球はやってたな」
-
- 真木
- 「じゃあ、もうその頃からプロ野球に憧れたり、将来はプロ野球選手になりたいって思ってました?」
-
- 池上
- 「いいや、まったく思ってなかったね。本当にまったく!これっぽっちも思ってなかったね。 子供の頃に、将来何になりたいと思ってたかなんて覚えてないし、プロ野球ってテレビで見るもんだとしか思えてなかったね」
-
- 真木
- 「そうなんですか~? テレビで見てるプロ野球の世界に俺も入りたい!って思わなかったんですか?」
-
- 池上
- 「ないない! って言うかうちの父親が野球好きで、本人が家庭の事情で高校に行けなかったから、だから思う存分俺にプロ野球をやらせたいと思ったみたいで。メチャクチャ厳しかったんや。
あの昔の野球マンガの『巨人の星』の世界を。だから正直言うと、その頃はあまり野球が好きじゃなかったんよ」
-
- 真木
- 「へ~、そうなんですね~、池上さんの家もスパルタだったんですね~。 その父親の話はウチも似たような感じで、ウチの父親も家庭の事情で中学までしか野球が出来なくて、その分、僕に夢を託された感は強かったですね」
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- 池上
- 「そうそう、『巨人の星』の星一徹(父親役)なんて甘いやんって子供ながらに思ってたもんね。 だから、小学校が終わったら野球を辞めようとか、中学が終わったら・・・、高校が終わったら・・・って常に辞める事を考えてたね。
そんな父親だから、途中で辞めるなんて言い出したら絶対に怒られるって分かってたから言い出せなかったんだ」
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- 真木
- 「辞めたいって思うほどそこまで厳しかったんですね~。確かにそんな事を思ってたら、自分がプロ野球選手になるんだ!なんて思える訳ないですね。
ちなみに父親ってどんな厳しさだったんですか?」
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- 池上
- 「どんな? う~ん、まずは朝は学校行く前に早く起こされてランニングに行くやろ。 ランニングが終わったら今度は腹筋・背筋とかのトレーニング。 そこまでやったらやっと学校に行って、今度学校から帰ったら夜は素振りやティーバッティングの時間。 これをとにかく毎日やったね」
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- 真木
- 「やらされてる当時は辞めたいとか嫌だったでしょうけど、こうやって今になって考えると、やっぱりその時の練習量が土台になって良かったんだと思います?」
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- 池上
- 「そりゃ思うね~。俺は自分の親がそんなに厳しくてって言うのが恥ずかしくてあまり人に言った事がないんだけど、近鉄の時にピッチャー陣が何人か話してる時に、誰かが『ウチの親は厳しかったんだ~』って言い出したら、他の選手からも『俺も』「俺も」ってみんな同じような事を言ってたから、そこで初めて『あ~、ウチだけじゃなくてやっぱりみんなそうなんだ』って思ったね」
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- 真木
- 「厳しい親で練習をやらされてたけど、それが良かったんだって感謝の気持ちが持てるようになったのって何歳くらいの時でした?」
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- 池上
- 「どうだろうな~、25、26歳とか30歳手前くらいかな。 やっぱりねプロになって自分の体力の低下を感じた時はより一層そういう気持ちになったね」
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- 真木
- 「僕も同じくらいですね~。 やっぱり若い頃は厳しかった親に感謝なんて思えなかったですけど、ある時期からは厳しくて無理矢理やらされてた事でもそれが良かったんだな~って感謝できるようになったんですよね。
それから話は飛びますけど、高校3年生の時にドラフト指名をされてますけど、その時はどんな様子だったんですか?」
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- 池上
- 「まずね、ドラフトで指名されるなんてないと思ってたね。 一応事前にスカウトが見に来てくれたりはしてたけど、どうせ見に来てるだけで指名される訳ないって思ってたから、ドラフト当日も特に何も考えてなかったんだ。
社会人野球に進むつもりでいたしね」
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- 真木
- 「それでいざ指名されたらビックリじゃないですか?」
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- 池上
- 「まあビックリはビックリだけど、それと同時に指名球団が近鉄だったから嬉しさよりは正直残念な気持ちの方が強かったかな。 俺はもともと子供の頃から阪神ファンだったから、阪神からの指名だったら嬉しかったんだろうけどね。 指名後の記者会見では、意中の球団じゃなくて残念でした。入団するつもりはありません、って答えてたもんね」
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- 真木
- 「本気で行く気はなかったんですか? それからやっぱり入団する事にした気持ちの変化は何があったんですか?」
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- 池上
- 「もともとがさっきから言ってるように、何が何でもプロ野球選手になりたいって望んでた訳でもないし、だから本気で阪神じゃないから行く気はなかったんだ。 でも、たぶん父親は行って欲しかったんだと思うんだけど、近鉄だったとしても入団さえしておけばトレードとかで阪神に移籍できる可能性はあるんだぞって教えられて・・・。 それで入団する事にしたんだ」
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- 真木
- 「そうなんですね~。 実際プロの世界はどう感じました? 14年間の現役生活でいろんな思い出があると思いますけど、良い思い出と悪い思い出を聞かせてください」
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- 池上
- 「良い思い出は、やっぱり優勝を経験出来た事かな~。 ちょうど自分自身も1軍でしっかりと成績を残せたシーズンの優勝だったから尚更そう思えたね。優勝決定の日にビール掛けしたり、テレビに出演したり、そのまま一晩中お酒飲んで優勝気分を満喫したんだ。 ただ翌日も試合だったんだけど、その試合で、球場に着いてから先発する事を聞かされて準備も出来てなかったしフラフラだったのを覚えてるね。
悪い思い出と言ったら、あまり覚えてる人は少ないと思うけど、14年間のうち1年だけアンダースローにさせられた事があったんだ。そのシーズンは本当に最悪だったね。当時のピッチングコーチに言われて挑戦したんだけど、結局そのシーズン終わりでそのコーチが退団する事になって、これからどうしたら良いんや!って感じだったね。 それでやっぱり自分の意志でオーバースローに戻してまた復活したんだ」
-
- 真木
- 「へ~、そんな事があったんですね~。そんな池上さんくらいの長身でアンダースローなんてイメージわかないですね。
池上さんの全ての野球人生の中で、自画自賛と言うか一番印象に残ってる経験ってどんな事ですか?」
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- 池上
- 「そうだな~、中学の時に神戸市の大会で準決勝・決勝を1日で行う時があって、通常は7イニングなんだけど、その日は1人で29イニングを投げ切ったんだ。 あれはさすがにヤバかったわ」
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- 真木
- 「1試合7イニングなのに、2試合だからと言って何で29イニングにもなるんですか?」
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- 池上
- 「2試合とも延長戦になって、準決勝は延長9回を0-0引き分けで抽選勝ちして決勝に進んだんだ。 決勝は延長18回をまた0-0の引き分け。大会自体は2チームの優勝と言う事になったんだけど、県大会に進むチームを決めなきゃいけないって事で、無死満塁のサスペンデッドを2イニングやって勝ったんだ。 それを全部投げ切って結局29イニング。 通常の9イニングの試合だとしても3試合以上は投げてるもんな。 後にも先にも1日でこんなに投げる事はなかったね」
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- 真木
- 「それは化け物ですね~。 しかもそれを全部0点で抑えてるんですね。 でもやっぱりそれって『巨人の星』のような父親の練習があったからこそ投げ切れたんでしょうね」
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- 池上
- 「あ~、俺自身は『巨人の星』以上だと思ってるけどね」
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- 真木
- 「池上さんは近鉄から横浜ベイスターズに移籍して最後引退する事になったと思いますが、引退の時はどんな心境だったんですか?」
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- 池上
- 「近鉄の最後の年に肩を痛めたんだけど何とか投げられるとこまで回復して、当時横浜の監督が権藤さんで近鉄時代にピッチングコーチでお世話になってたからもう一回チャンスをもらって横浜に移籍できたんだ。でも移籍してすぐ春のキャンプでまた肩を痛めてしまって・・・。権藤さんにお世話になって拾ってもらったのに故障して投げられないなんて事になったら権藤さんの顔に泥を塗るようなもんだと思って痛みを隠しながらずっと投げ続けたんだ。もちろんそんな状態だから成績なんて散々だったけどね。 だから、もう肩を痛めたキャンプの時点で今年で終わりだなって覚悟をしながらのシーズンだったんだ。
その辺は性格的にもサッパリだったんだよね」
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- 真木
- 「そうなんですね~、初めて知りました。 ちゃんと肩の痛みを隠さずにしっかりと治してすればまた違った形になってたかもしれないのに、そこが池上さんらしいですよね~。
それじゃ最後になるんですけど、そんないろんな自身の経験も踏まえ、今の理学療法士としての経験も踏まえて、今から将来のある野球少年やその家族の人達に何か伝えられる事があればお願いします」
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- 池上
- 「今こうやって理学療法士の仕事をするようになって改めて思う事があって、それは自分自身もちゃんとしたトレーニングやケアをしていればまた違った野球人生があったんじゃないかな~ってね。父親からのとにかく厳しい練習っていうのももちろん大切だと思う一方で、その練習量の中でもっと精度を上げた、正しい練習方法や正しいトレーニングの仕方、考え方があればもっともっとパフォーマンスが上がってたんじゃないかって。
もちろん小学生や中学生にそんな事を勉強して理解する事は難しい事だと思うから、出来る事ならチームの指導者や家族の人達にもっともっと勉強してもらいたいって思いがあるね」
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- 真木
- 「あ~、確かにそれは大切な事かもしれませんね。 勘違いしそうなとこですけど、正しくて効率の良いトレーニングをすれば練習量を減らして良いって事にはならないと思うんですけど、ただ同じ練習をするのであればその練習の効率を上げる事は特に今からの時代は求められる事かもしれませんよね。
もっともっと池上さんみたいな本人がしっかりとした選手経験があって、しかもその経験を活かして理学療法士の勉強をして資格を持った人が、たくさんの子供達やその指導者・家族の人達に指導していける環境を作っていければ良いですよね」
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- 池上
- 「そうだね。俺自身もそういう思いは持ってるんだけど、なかなか実行に移すには一人では難しいんだよ。 今はとにかくこの病院に来る選手たちに伝えられるように日々勉強してるとこだね。
ただ、その中で時間の取れる範囲で、チーム単位で勉強会を依頼されたりしたら行く事もあるんだ。そういう事は気軽に言って欲しいと思うね。 こういう仕事をやってる以上は、やっぱり一人でも多くの野球少年・野球選手が、故障で悩まなくて済むようなお手伝いが出来る事が一番嬉しいんだよ」
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- 真木
- 「なんか、現役時代では考えられないような話が次から次に出てきますね~。 本当にあの頃の池上さんと同一人物ですか~(笑)?」
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- 池上
- 「当たり前や! あの頃は思ってても口にしてなかっただけ! それに、やっぱり現役を引退して一旦は野球から離れたからこそ、改めてこういう気持ちが強くなった気がするね。
子供の頃は父親の厳しさであまり野球が好きとは思えなかったけど、やっぱり本能では心の底から野球が好きなんだと思うね」
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- 真木
- 「なんか最後に、心に響く話が聞けて良かったです。 僕も野球界や子供達の発展を希望してるので、池上さんみたいな人がもっともっと活躍できるような手助けが出来たらと思います」
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- 池上
- 「よっしゃ、よろしく!」
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- 真木
- 「今日は本当にありがとうございました。 かわいい後輩として、今後ともよろしくお願いします」
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- 池上
- 「ん? なんか変な言葉が聞こえたけど・・・、まあこちらこそ」