橋本 啓

profile

所属球団
元広島カープ
氏 名
橋本 啓(はしもと けい)
ポジション
生年月日
出身地
投手(右投・右打)
1979年9月5日
大阪府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
東大阪布施ボーイズリーグ(大阪府)
出身高校
天理高校(奈良県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1997年 ドラフト8位 広島カープ
所属球団( )内は背番号
1998年~1999年 広島カープ  (58)
引退
1999年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:2年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

next stage

2001年        モントリオールエクスポズ(アメリカマイナー1A)
2003年        ロッテジャイアンツ(韓国プロ野球)
2004年~2005年  大和高田クラブ(クラブチーム)
2006年        鍼灸整骨院にて勤務
2007年~現在    「あおぞら整骨院」開業
【 店名 】
あおぞら整骨院
【 住所 】
大阪市東成区深江北2-4-31
【 営業時間 】
午前8:30~12:30 午後15:00~20:00 土曜午後受付は17:30まで
【 休診日 】
水曜日・日曜・祝日
【 電話 】
06-6977-5515
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://www.aozora-s.jp/index.html

interviews

「レギュラーになれなくても絶対に腐らずに努力を続けて欲しいですね。 そしたら必ずいつかチャンスが来ると思うんです!」

  • 真木
    「久し振り~、すごい立派な整骨院を開業してるんだね」
  • 橋本
    「いえいえ、そんな事ないですよ。この近辺は僕の地元でもあるので、この地域に貢献できるような治療院に出来たらと思ってるんです」
  • 真木
    「この辺が地元なんだ? じゃあ子供の頃は、この近辺で野球を始めたんだね? 何歳くらいから野球を始めたの?」
  • 橋本
    「野球を始めたのは小学校の3年生の時ですね。兄が野球をしていた事がキッカケで。 でも、勉強に集中するって言って5年生6年生の時は野球は辞めてたんですよ」
  • 真木
    「そうなんだ~。 小学校の5年6年って言ったら一番野球の基本を身に付ける時期なのに、その時期にやってなかったなんて、後々大変じゃなかったの?」
  • 橋本
    「中学生になって最初は学校の野球部だったんです。その時は身体も大きい方だったしそんなに周りの子との差は感じなかったんですけど、ケガをした事もあって学校の野球部を辞めてボーイズのチームに変わったんです。そこで初めて硬球を握ったんですけど、そこでは『ヤバい!』と思いましたね~。明らかに周りの子との差を感じました」
  • 真木
    「すごいね~。そこからプロ野球選手になったんだもんね。 5年6年の頃は野球はやってなくても好きではあったの?」
  • 橋本
    「そうですね。小学校の時の卒業文集ってあるじゃないですか。あれには、将来の夢を『プロ野球選手』と『医者』って書いてたんですよ。当時は、森監督の西武ライオンズのファンでしたね」
  • 真木
    「プロ野球選手と医者だったら、病院のドクターじゃないにしても医療に関わるって言う意味では両方の夢を叶えてるんだね、素晴らしいな! そのボーイズのチームでは力の差を感じたって言ってたけど、どうだったの? その頃からピッチャーで?」
  • 橋本
    「一応ピッチャーもやってましたけど、結局3年になってもエースにはなれなかったんですよ。外野手兼ピッチャーって感じで…」
  • 真木
    「でも、それでも天理高校に行けるんだから目立ってたんじゃないの?」
  • 橋本
    「全然そんな事ないんです。天理高校も最初から声を掛けてもらってた訳でもなかったし。 最初は近大附属高校に行けるって話だったんですけど、一応スベリ止めって言う意味で他の高校を探してたら天理高校を見つけて両方受験したんです。そしたら両方に受かってしまって、子供ながらに悩んだんですけど結局天理高校を選んだんです」
  • 真木
    「でも、どっちの高校も野球は名門だし、自分からとは言っても野球部の枠に入れてもらえたんでしょ?」
  • 橋本
    「そうですね。野球の上手い下手は別として、その時から身長が180cmくらいあったんで、人よりは力も強い方でしたし、その意味では目立ってたのかもしれませんね」
  • 真木
    「前にこのサイトで天理高校からジャイアンツに行った谷口さんに取材をお願いして聞いたんだけど、天理高校って強豪校のイメージにあるような時間も長くて辛いばっかりの練習とは正反対で、合理的な練習をするって言ってたけど、やっぱり橋本君の頃もそうだったの?」
  • 橋本
    「良く言えばそうですね。 ちょうど谷口さんの時代くらいからそういう練習方法を取り入れたみたいで、それから年数は経ってたんですけど、その練習方法がそのまま継承されてたと思いますよ」
  • 真木
    「少し話に聞いたけど、当時プロ野球選手も取り入れてだした関節の可動域を広げながらトレーニングする方法だよね? それを真剣に取り組んで天理高校で活躍したんだ?」
  • 橋本
    「いや~、そこも違うんですよ。 僕は天理高校でも最後まで3番手か4番手くらいのピッチャーだったんです。高校卒業後に同志社大学に行ったエースピッチャーと、社会人からロッテにドラフト指名された長崎って言う名前の2番手ピッチャーがいたんで、僕はその次に投げさせてもらうくらいだったんです」
  • 真木
    「そうなの? それなのに橋本君が高校から直接ドラフトで指名されたんだ? それは何で? 何か特別活躍した事とかあるの?」
  • 橋本
    「そうですね。春の甲子園に出た時にエースと2番手のピッチャーがたくさん投げたんですよ。それで甲子園直後の大会では2人を休める言う事で僕が投げたんです。甲子園で2人のピッチャーが活躍をしてたのでプロのスカウトもたくさん来てたんです。 そこで僕が5回コールドの参考記録ではあるんですけど、2試合連続でノーヒットノーランをしちゃったんです。そしたら新聞でも騒がれて、そこからですかね少し注目されるようになったのは」
  • 真木
    「そりゃ注目されるよね~。 いくら参考記録とは言っても、1試合でもなかなか出来ない事なのに、2試合連続でノーヒットノーランをするなんて。 俺なんて長年ピッチャーをやってきたけど、1回も出来なかったもんね…」
  • 橋本
    「でも本当に活躍をしたのってその時くらいだったから、自分がプロになれるなんて想像もした事なかったですよ。 ドラフトの前日に、順位は分からないけど指名する予定ですって聞かされても実感はわかなかったですもんね」
  • 真木
    「そうは言ってもドラフトの当日はやっぱりドキドキしてたんでしょ? 学校でもドラフト指名に対しての会見場の準備とかもあって?」
  • 橋本
    「それが、本当に下位指名ってこんなもんなんだな~ってガッカリだったんですよ。 前年に天理高校から阪神のドラフト2位で関本さんが指名されて、その時はもちろん会見場もあって監督もビシーッとスーツでいた記憶があったんですけど、僕の時は会見場の準備もないし、監督もジャージ姿でしたし、記者の人達も指名後にパラパラと来てくれた程度だったんです」
  • 真木
    「そうなんだ~。 同じドラフト指名でも、人それぞれいろんなケースがあるんだね。 それから実際に指名されました!って聞いてからはどうだったの? やっぱり大喜びでしょ?」
  • 橋本
    「それが、自分の事ながら人って怖いな~と思うんですけど、いざ指名されると欲が出てくるんですよね~。 今だから言えますけど『よっしゃ頑張ろ!』って気持ちもありながら、反面『8位かよ…』って思ってしまってた自分もいましたね。 ドラフト前なんかは、自分なんかが指名される訳が無いって思ってたのにですよ。 怖いでしょ~(笑)」
  • 真木
    「じゃあ今度、プロ生活の中で良い思い出と悪い思い出ってある?」
  • 橋本
    「良い思い出は、日本ではなくてアメリカでの話なんですけど、向こうって球場全体のブーイングってあるんですよね。 それが僕がリリーフで出て行くと相手チームのベンチとスタンドのファンからブーイングが起こるんです。 それだけを聞くと嫌な事って思いますけど、裏を返せばこのピッチャーが出てきたらまた抑えられるって思ってのブーイングなんです。 だから自分の中ではそのブーイングが心地良かったりしてましたね」
  • 真木
    「確かにそれはある意味光栄な事だよね。 相手チームからもファンからも『あなたは良いピッチャーですね』って言われてるようなもんだもんね」
  • 橋本
    「反対に悪い思い出は、これは広島にいた時ですけど背骨を折ってしまった事ですね。 バッティングゲージを片付ける時にゲージが倒れてきて僕が下敷きになったんです。前屈してるような格好で身体が折れ曲がった状態で重たいゲージに潰されて背骨の横突起と言う箇所が3本折れたんです。手術もなく入院もなく、最低3か月くらいは掛かるだろうって事で寮で安静にしてたんです。5月の事故だったんですけど3か月安静にしてたらシーズンも終わってしまうしクビになってしまうかも…って心配してたんですけど球団の人から『来年頑張れよ』って声も掛けてもらえたから安心してたんですけど、実際にはそのシーズンが終わった頃に戦力外の通告を受けて…。すごい悔しかったですね。でも、こればっかりは抵抗出来る事でもないですし、気持ちを切り替えてもう一度挑戦しようと思ってアメリカに渡ったんですよ」
  • 真木
    「じゃあアメリカに行ってからは、それまで以上に真剣に野球を取り組んだんだ?」
  • 橋本
    「そうですね~。それまで高校でもプロでも、ただやらされてる練習だったような気がするんですけど、アメリカに行って初めて自分から積極的に練習に取り組むようにもなりましたし、チームでも監督に自分をアピールして試合に登板させてもらえるように考えましたね。いろんな意味でアメリカに渡ってしっかりと自分を見つめ直せたような気がします。 実際、球速もアップしましたし自分で納得のいくピッチングが出来るようになりました」
  • 真木
    「俺も1シーズンだけだったけど海外で野球がやれて良い経験が出来たと思うもんな~。 もう一回、1からやり直してそれでもダメだったらもう諦めようって気持ちになれたな~」
  • 橋本
    「そうですね。僕の場合は日本に帰って社会人チームが最後でしたけど、毎年のように、シーズンオフに行われるプロ野球の12球団合同トライアウトに挑戦してたんです。自分の決めた年齢までに日本のプロ野球界に復帰できなければ現役は諦めようって決めてたので、それまでの間は一生懸命野球をやって結局ダメでしたけど意外と早く気持ちも切り替えれましたね」
  • 真木
    「それでこの治療の仕事に就いたんだ。 やっぱり野球を辞めてから仕事をしてきた中で大変だった?」
  • 橋本
    「亡くなった祖父がこの仕事もしてたし、今までの野球経験を活かしながら出来る仕事かなとも思って1から勉強して目指したんです。 野球を辞めてすぐは医学の勉強も大変でしたし、人間関係でも大変でしたね。自分ではそんなつもりはなくても、やっぱり周りからは元プロ野球選手って言うプライドがあるように見えてしまってたみたいなんです。 それからは周りのいろんな人に助けられました。 プロに入った時はいろんな人が声を掛けてくれましたけど、いざ辞めると声を掛けてくれる人が減るんですよ。でも、その辞めてからも声を掛けてくれた人達って、プロ野球選手としてじゃなく一人の人間として接してくれてるんですよね。それがすごく嬉しかったんです」
  • 真木
    「それ正直な話だね~。 寂しいけどそれが実際の話だよね。  じゃあ、そのプロ野球の世界まで経験した橋本君から、これからプロを目指して頑張ろうと言う子供達に伝えたい事ってありますか?」
  • 橋本
    「伝えるって難しいですけど、とにかく僕はレギュラーになれなかった事ばっかりなんです。 でも、レギュラーにはなれなくても決して腐らずに努力を惜しまない事が大切だと思うんです。そうすれば、いつかどこかでチャンスが来ると思うし、どこかで誰かが見てくれてると思うんです。 それは野球だけに限らず、勉強だろうと何だろうと一生懸命続ける事によっていつか道が開けるんだって教えたいですね」
  • 真木
    そうだよね~。 橋本君の経歴を聞いてると、本当に天理高校の時の2試合連続ノーヒットノーランって言うのがワンチャンスを掴み取ったって感じがするもんね~。 こんな話を聞いてもらって、なかなかレギュラーになれない子供達にも勇気と希望を持って欲しいよね」
  • 橋本
    「そんな大げさなもんじゃないですけど、少しでも希望を持ってもらえると僕自身も嬉しいですね」
  • 真木
    「じゃあ俺も橋本君の反骨精神を見習って頑張るよ! 今日はありがとう」
  • 橋本
    「そんな言い方やめてくださいよ~。 こちらこそありがとうございました」
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