桟原 将司

profile

所属球団
元阪神タイガース
元埼玉西武ライオンズ
氏 名
桟原 将司(さじきはら まさし)
ポジション
生年月日
出身地
投手
1982年8月21日
大阪府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
オール大正(ボーイズリーグ)
出身高校
大阪桐蔭高校(大阪府)
出身大学
その他出身チーム
新日鉄広畑

【プロ野球歴】

プロ野球入団
2003年 ドラフト4位 阪神タイガース
所属球団( )内は背番号
2004年~2011年 阪神タイガース     (40→117→79)
2012年        埼玉西武ライオンズ  (43)
引退
2012年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:9年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
123 0 5 2 2 3 154.1 162 15 45 11 155 70 61 3.56

next stage

2013年~2014年 やきとり「CURUCURU」スタッフ
2014年9月      とり焼き 「さじ」 オープン
【 店名 】
とり焼き 「さじ」
【 住所 】
大阪市北区堂島1-3-17 スリーエイトビル3F
【 電話番号 】
06-6343-7332
【 営業時間 】
18:00~24:00
【 定休日 】
日・祝日
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
なし

interviews

「今までの野球人生があったからこそ、今のこのお店が出来てると思います」

  • 真木
    「こんにちは~、はじめまして。営業前の仕込み時間でお忙しいところ今日はよろしくお願いします」
  • 桟原
    「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします」
  • 真木
    「ここのお店をオープンしたのが先月だったっけ?どう?自分でお店をやるって言うのは?」
  • 桟原
    「そうですね。もうすぐ2か月になるところです。やっぱり自分でやるとやりがいはありますよね。その分、なんでも自分でやらなきゃいけないからしんどい部分も多いですけど」
  • 真木
    「そりゃそうだよね。
    早速本題なんだけど、子供のころ野球を始めたのは何歳くらいだったの?」
  • 桟原
    「小学校の2年生くらいでしたね。周りの友達と一緒にって感じで始めましたね」
  • 真木
    「小学生の頃からピッチャーが多かった?」
  • 桟原
    「4年生くらいから試合には出してもらってたんですけど、上級生に混じって試合に出るときは内野も外野も守る事はありましたね。自分の学年で試合をする時はピッチャーをする方が多かったですけど」
  • 真木
    「中学では硬式のボーイズリーグのチームに入ったんだよね?そこでもやっぱりピッチャーを?」
  • 桟原
    「そうですね、小学生の時と似たような感じで、自分の学年で試合をする時はピッチャーをする時の方が多かったです」
  • 真木
    「小学生、中学生の時は、チームの練習以外で自分で家で練習をしたりする事はあった?」
  • 桟原
    「いや~、父親から『素振りして来い!』って言われてするくらいでしたね~。あとは友達同士で学校が終わって何もないと自然とグラウンドに集まって野球で遊んでたって感じですね」
  • 真木
    「そうなんだ~。そこから高校進学は超名門の大阪桐蔭に行ってるけど、大阪桐蔭ってどうだった?」
  • 桟原
    「当時はまだ今ほど常勝高校ではなかったので、僕も結局甲子園には一度も行けなかったんですよ。良い選手は多かったですけどね。1学年下には同じピッチャーの岩田、おかわり君で有名な中村、2学年下には西岡とかもいましたからね」
  • 真木
    「へ~、今でもプロで活躍してるような選手がいて甲子園に出てないなんて意外だね~。今のイメージだったら、大阪桐蔭に入学したら少なくても1度は甲子園に出場するようなイメージだもんね」
  • 桟原
    「僕が入学した時は、何度も甲子園で優勝させた西谷監督がまだコーチで、途中から初めて監督になられたっていう時だったんですよ。いや~、練習はメチャクチャ辛かったですよ。特にピッチャーですからね。とにかく走りました。と言うより、走らされましたね(笑)」
  • 真木
    「へ~、そうなんだ。大阪桐蔭って寮生活だよね?じゃあもう3年間は野球詰めだね」
  • 桟原
    「そうなんです。後にも先にも、この高校時代が一番練習したと思いますね。と言うより、させられたんですけどね~(笑)。僕ね、性格的に地道な練習が苦手なんですよね。全くしてない訳ではないんですけど、コツコツと続ける事ができなくて・・・。その分、無理やりだったとしてもさせられる練習だったから耐えられたんだと思います」
  • 真木
    「確かに、自分の意思で辛い事を続けるって一番難しい事だよね。常に自分のあまえとの戦いだもんね。それから高校卒業後は社会人野球の新日鉄広畑に行く事になるけど、この時の進路は他に大学とかを考えたりはしなかったの?」
  • 桟原
    「実は周りからは反対されて、大学に行ったらどうだ?ってよく言われたんです。でも自分自身、高校である程度野球に対して明確な目標が出来てたので、よりプロに近いレベルだと自分なりに考えて大学よりも社会人を希望したんです。大学に行くと、自分にあまい性格だから遊んでしまうって思ったんですよ」
  • 真木
    「おっ、自分にあまい性格なのにより厳しい環境を選んだって事なんだ?さすがに高校生ともなると自覚って事だね」
  • 桟原
    「そうなのかな~? でも本当にプロを目指したいと思ってたからこその選択だったんです。それでダメだったら諦めがつくとも思いましたしね。あとは大学に行くとプロに行ける可能性は4年後になりますけど、社会人だと3年後から可能になるって言うのもありましたね」
  • 真木
    「すべてプロに行くための事を考えた決断をしてたんだね。社会人ではどうだった?実際3年目には都市対抗野球(社会人野球の全国大会)にも出場してるんだもんね」
  • 桟原
    「都市対抗では初戦敗退でしたけどね。社会人では運も良かったんです。1年目から2年目になる時かな。社会人でも金属バットから木製バットに切り替わったんです。プロに行けたのはそれが大きかったと思ってますね。金属バットだとどこに投げても簡単に打たれてしまうと感じてましたけど、木製バットになったらど真ん中に投げても抑えられるって意識が変わりましたからね。もともとコントロールが良い方じゃなかった分、ボールの威力で勝負しようと思えましたから」
  • 真木
    「そんなに違うんだね。確かに社会人の試合を見てると金属バットの頃はボールがオモチャみたいによく飛んでたもんね。そんな社会人生活を送りながら、しっかりと社会人のドラフト解禁の3年目には指名を受ける事になるんだもんね。高校卒業の時に思い描いていた目標が達成って事だもんね。ドラフトは事前に指名されるって事は聞いてた?」
  • 桟原
    「そうですね。阪神から4位でって言う感じでは事前に話を聞いてたので、そこまで不安になったりドキドキしたりっていう事もなく迎えられましたね」
  • 真木
    「いざ目標にしていたプロの世界に入ってみてどうだった?」
  • 桟原
    「それが、入団すぐのキャンプ前で新人の合同自主トレがあるじゃないですか。その時に大した事ではなかったんですけど膝を痛めてしまって。だから1年目のキャンプではほとんど走る事が出来なかったんですよ。なかなかいないですよね。1年目で丸々1か月間まったく走る事もなくキャンプを終えた選手って」
  • 真木
    「そうだね、なかなかいないだろうね。でも、成績を見てみると、その割に1年目の4月後半には1軍で初登板してるんだよね?普通はキャンプでケガとかして出遅れた選手ってそのシーズンは調整が遅れてなかなか思うように結果を残せない選手が多いのにね」
  • 桟原
    「そうですね。まあもともと大した怪我でもなかったですし、コーチやトレーナーからストップを掛けられてる間でも、早くブルペンででも投げさせてほしいってずっと思ってましたからね。昔から走ったりトレーニングしたりするのは苦手だったんですけど、投げる事に関してはスタミナにも自信ありましたしね」
  • 真木
    「うんうん、意外と走ったりトレーニングで体力がないピッチャーでも、投げるスタミナとか球威とかが強い選手っているんだよね~。あの辺は微妙なところだね。
    結局1年目からしっかり1軍で投げてるし、その後もプロ野球トップクラスの人気球団で主にリリーフとして1軍で登板してるけど、プロの世界はどうだった?」
  • 桟原
    「阪神以外をあまり経験していないので比較はできませんけど、でもやっぱりあの甲子園球場で投げれたって事は嬉しかったですね。当時は常に甲子園は満員でしたし、その中で1度優勝を味わう事も出来ましたから」
  • 真木
    「そうだね、結果はホームランを打たれるってなってるけど、日本シリーズでもしっかりと登板してるんだもんね~。俺も経験ないけど、なかなか日本シリーズで試合に出るって経験できない事だもんね。そんな貴重な経験をして、阪神と移籍した西武で2度、戦力外を通告されてるけど、最終的にユニフォームを脱ぐ決断はどんな心境だったの?」
  • 桟原
    「プロで生活してる中で2度手術をしてるんです。1度目は肘で、これは後に大きな影響があった訳ではないんですけど、2度目の膝の手術をしてからは、走ったりトレーニングをしたりは出来るようにはなったんですけど、どうしても踏ん張る力がなかなか手術前と同じようには戻らなくて。特に投げる時の前足の方だったので、たぶん少しの衰えでもピッチャーの投球には致命的だったんですよね。ボールのスピードもなかなか戻らなくて・・・。それもあってキッパリと諦めましたね」
  • 真木
    「そっか~。やっぱりケガで悩まされたんだね。プロでやってる選手って、テレビとかで見る限りはみんな元気そうに見えるけど、たぶんほとんどの選手がどこかしら故障を抱えてたり痛みをこらえながらプレーしてるんだよね。毎日トレーナー室には入れ代わり立ち代わりで選手がたくさんだもんね」
  • 桟原
    「終わったから言える事なんですけどね、やっぱり自分でも苦手だと認識してる、地道にコツコツと練習したりトレーニングをしたりする事が大切な事なんだろうなって思いますね。僕も昔からそういった事でコツコツとやっていれば、もう少し違った野球選手生活が送れたのかな~なんて思った事もありますね」
  • 真木
    「へ~、やっぱりそう思う事もあるんだね~。でもその思いが今はこういう風に自分でお店を始めて活かされるんだろうね。毎日毎日、お客さんが来るように早く来て仕込みをしてって続けてる訳だもんね」
  • 桟原
    「まだ始めたばかりですけど何でも自分でやらないといけないですからね。真木さんも同じだと思いますけど、現役の頃からいろんな場所でいろんなご飯屋さんに行ってたと思うんです。その頃から、人目も気にせず時間も気にせずゆっくりと楽しく過ごせるようなお店が好きだったので、そんなお店にしていきたいな~と思ってるんですよ」
  • 真木
    「そうなんだ~。場所も便利なところだし、現役・OBに関わらず野球選手も食べに来てくれたりするだろうね。堂々とした隠れ家的なお店って事だね」
  • 桟原
    「まあそんな感じです」
  • 真木
    「今日は忙しいところ本当にありがとう」
  • 桟原
    「こちらこそありがとうございます」
  • 真木
    「また改めて食事でも寄らせてもらうのでよろしくです」
  • 桟原
    「はい、お待ちしてます」
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