- 所属球団
- 元ヤクルトスワローズ
元近鉄バファローズ
- 氏 名
- 西岡 洋(にしおか ひろし)
- ポジション
生年月日
出身地 - 投手
1969年9月27日
大阪府
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 平野中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 興南高校(沖縄県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- 大阪ガス
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1991年 ドラフト2位 ヤクルトスワローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1992年~1996年 ヤクルトスワローズ (37)
1997年~1999年 近鉄バファローズ (54) - 引退
- 1999年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:8年
-
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率 34 1 0 3 0 - 30.1 35 5 25 2 19 28 28 8.31
- 2000年~2004年 近鉄バファローズ 打撃投手
2005年~2008年 オリックス・バファローズ 打撃投手
2009年~2010年 オリックス・バファローズ球団職員 アカデミーコーチ
2011年~現在 16's Baseball Academy
- 【 名称 】
- 16's Baseball Academy (ヒーローズベースボールアカデミー)
- 【 住所 】
- 大阪府大阪市東住吉区鷹合1-4-36
- 【 電話番号 】
- 080-1423-8165
- 【 開講日 】
- 月~金(祝日はお休み)
- 【 対象 】
- 小学3年生~中学3年生
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://www26.atpages.jp/heroesbbacademy/
「ほんの少しずつ頑張り続けるだけで誰にだってチャンスはあると思う!」
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- 真木
- 「ご無沙汰してます。今日はアカデミー終わりの忙しい時に申し訳ありませんがお世話になります」
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- 西岡
- 「いやいや、こっちこそ遅い時間から悪いね」
-
- 真木
- 「とんでもないです。疲れてるところ申し訳ないですが、今日は西岡さんのこれまでの野球人生を振り返ってお話を聞かせてください。早速ですが、西岡さんが野球を始めたキッカケってどんな事なんですか?」
-
- 西岡
- 「俺が子供の時に住んでた家の近所はみんな野球をやってる子が多くて、自然と家の前でみんなで野球をやって遊んでる事が多かったんだ。そんな影響から小学校2年生の時だったかな、近所のみんなが入ってたチームに自然と入ってたって感じかな」
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- 真木
- 「確かに僕たちの頃って、学校終わって遊ぶって言ったらみんなで野球をやって遊ぶのが自然でしたもんね。今では公園で野球をやったらダメってところが多いみたいですね。西岡さんは子供の頃からピッチャーだったんですか?」
-
- 西岡
- 「そうだな~。左投げだったって言うのもあってずっとピッチャーだったかな」
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- 真木
- 「中学生の時はどんな野球少年だったんですか?」
-
- 西岡
- 「当時はまだまだ今みたいな硬式野球のクラブチームなんて少なかったし、学校の野球部だと毎日部活で練習があるからって言うのもあって学校の野球部だったんだ。でも、その時の野球部の顧問は体育の先生なんだけど、高校時代は甲子園にも出てたし大学でも野球をしてた人だったから厳しかったししっかりと野球の練習をさせてもらったと思うな」
-
- 真木
- 「そうなんですね~。小学生、中学生の頃って、チームや部活での練習以外に、家で自分で練習する事とかってあったんですか?」
-
- 西岡
- 「毎日って訳ではなかったけど、小学生から中学を卒業するまでは自宅から天王寺の駅の方まで自分で決めたコースを走り続けたね。後々になって思うのは、高校とか社会人の時代はもちろんチームとしての練習でよく走ったけど、この中学を卒業するまでのランニングは自分の意識としては一番練習をした時期なんじゃないかなって」
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- 真木
- 「自宅からのそのランニングコースってどれくらいの距離があるんですか?」
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- 西岡
- 「う~ん、たぶん7~8kmくらいはあったんじゃないかな」
-
- 真木
- 「それだけあったら小学生や中学生だったら1時間くらいは掛かるでしょうね~。それで今度は高校の話なんですけど、大阪で生まれて育った西岡さんが沖縄の高校に行く事になった経緯ってどんな事だったんですか?」
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- 西岡
- 「そんな特別な事ではないんだけど、とにかく寮のある高校に行きたかったんだ。中学3年の時に卒業した先輩が中学に遊びに来て話を聞いてたら、高校で野球をやってるもんだと思ってたらもう野球を辞めてたんだ。それを聞いて、自分には野球しかないから自分の意思で辞められない環境を作る為に寮だと思ったんだ。そしたら大阪近辺で声を掛けてもらってた学校になかなか寮があるところがなくて、それで中学の顧問の先生の関係で沖縄の興南高校を紹介されて行く事にしたんだ」
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- 真木
- 「野球の為に県外の高校に進むって話はよく聞きますけど、それが沖縄となるとなかなか聞かない話ですよ~。確かにそう簡単に帰って来れないでしょうしね。大阪から沖縄に行って何か大きな違いってありました?」
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- 西岡
- 「いや~、野球をやってて特に違いって言うのはなかったけど、でもやっぱり言葉と言うか方言と言うか、それは全然違ったからね。最初はホント何を言ってるか分からない事も多かったからね。あっ、それと一つ思った事があって、大阪とかだったら冬は寒くてボールを握った練習が出来ないから体力強化のトレーニングがメインになるのが普通やんか。でも沖縄は充分暖かくて野球も出来そうなのにやっぱり冬は強化トレーニングばっかりだったんだ。あれには違和感を感じたな~。笑」
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- 真木
- 「確かにそうですね~。寒くてボールを握れなかったり体が危なかったりするからトレーニングだと思ってますもんね。それが全然普通に温かいのにトレーニングとなると『えっ?』って思いそうですね。興南高校野球部はどうでしたか?」
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- 西岡
- 「ピッチャーはとにかくよく走らされたね。学校をスタートして、いくつか決まったコースがあるんだけど、短いコースで7~8kmかな。一番長いコースになると20~30kmくらいあったんじゃないかな。とにかくピッチャーはそのランニングを終えて帰ってきてからピッチング練習が始められるんだ。しかもピッチングが終わるとグラウンドの横にある50mくらいある坂道をまた延々と走らされてね。まあよく走ったよ」
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- 真木
- 「それだけ走ってからピッチングなんてもうヘロヘロでしょうね~。しかもあの沖縄の暑さの中で。でもそれが夏の甲子園の沖縄勢の強さになるんでしょうね。今度は高校卒業後の進路はどうでしたか?」
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- 西岡
- 「高校卒業の時にプロからの話もあったらしいんだけど、上位でもなかったし体も大きい方じゃなかった事から監督からプロは断って大学を勧められてたんだけど、それだったら社会人でってお願いしたんだ。最初、北海道のチームの話もあったんだけど、さすがに沖縄から北海道って言うのには抵抗があって、何とか地元の関西でお願いしたら大阪ガスを紹介してもらえて」
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- 真木
- 「大阪ガスって言ったら企業だけじゃなくて野球でもトップクラスのチームですもんね」
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- 西岡
- 「でもその当時は高校生だったし社会人のチームはどこがあるのかとかも全然分かってなかったね。入ってみると、学生の時とは違って、年齢の差もすごいんだよね。高校卒業したばっかりの18歳と、30歳を越えたベテランさんとが一緒に野球をやるなんてそれまで中学や高校ではありえなかったからね」
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- 真木
- 「高卒の新人さんからしたら普通にオジサンですよね~。でもそんなトップクラスの社会人チームにいたからこそ得たものも大きかったんじゃないですか?」
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- 西岡
- 「それはそうだね。一番大きく変化を感じたのは社会人3年目だったかな、日本選手権って全国大会で準優勝をして、全日本メンバーに選んでもらったり世界の舞台で野球をやらせてもらうようになったんだ。『JAPAN』を背負ったプレッシャーの中で野球をしてみると、普段のチームの大会や国内の大会とかにそこまで大きなプレッシャーを感じなくて済むようになって、それが自分の力以上のものが出るようになったんじゃないかと思うな」
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- 真木
- 「そんな貴重な経験もあってヤクルトからドラフト2位指名ですよね。ドラフト指名の事は前もって話は聞いてたんですか?」
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- 西岡
- 「いや、具体的な話は聞いてなかったね。実際、ドラフト当日も社会人の公式戦の試合だったしね。よくマスコミなんかで見るような、どこかで待機しててとかは全くなかったね」
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- 真木
- 「そうなんですね~。いざプロに入ってみてどうでしたか?一番の思い出と言うか西岡さんにとって印象深い事ってどんな事ですか?」
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- 西岡
- 「良い話ではないんだけど、入団してすぐのキャンプで既に肩に痛みと言うか違和感を感じてたんだ。でもドラフト2位で指名されて即戦力だとも言われてたし、同じドラフトの1位が石井一久だったんだけど当時からすごいボール投げててね、そんないろんな事を思って焦ったんだよね。痛みや違和感を隠して投げ続けたんだ。それで結局は肩を壊してしまって手術までする事になってしまって。後悔って訳ではないんだけど、あの時、正直に痛みや違和感を打ち明けてたらまた違う野球人生があったのかな~なんて思う事はあるかな」
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- 真木
- 「そうだったんですね。僕は手術とかは経験してないのでその辺はよく分からないんですよね~。西岡さんはセリーグのヤクルトとパリーグの近鉄の2球団に所属したと思いますが、やっぱり球団によって違いって感じました?」
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- 西岡
- 「天と地ほどの差を感じたよ。まず入団したヤクルトは当時野村監督のID野球の全盛期でね。すべてにおいて管理する体質だったからそれが当たり前だと思ってたら、近鉄に移籍してすぐのキャンプで、初日、全首脳陣、全選手、全スタッフが集合した時のまず最初のミーティングで『まず門限を決めようか!』って。しかもそれを、あるベテランの選手に『どうする?』って聞いてたんだ。その大雑把なところが大好きだったな~」
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- 真木
- 「へ~、僕も近鉄にはお世話になりましたけど何となくイメージできますね~。さすがいてまえ打線と言われるような豪快な球団でしたね。近鉄で戦力外通告を受ける事になったと思いますが、その時に現役続行の動きは取らなかったんですか?」
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- 西岡
- 「う~ん、実はかなり迷ったんだ。戦力外通告と同時に、球団のスタッフとしてバッティングピッチャーをやらないか?と言う話もしてもらったからね。親だったり当時お世話になってたコーチだったり、いろんな人にも相談して、悩んで悩んで出した結論は、スタッフとしてチームの力になろうって」
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- 真木
- 「スタッフになってる人たちはみんな経験するんでしょうけど、メチャクチャ悩むでしょうね~。それから10年くらい球団のスタッフとしてバッティングピッチャーだったりスコアラー、後半はアカデミーで子供たちに野球教室をやる事も経験されたんですよね?西岡さんにとって、それまでずっと野球をやり続けてきた中で、こうやって社会に出てまず最初に感じた事ってどんな事ですか?」
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- 西岡
- 「いかにプロ野球界が恵まれてるかって事だね。選手の時でもスタッフの時でも、食事に困った事ってないんだよね。と言うのは、球場にはサロンって言うところがあって、試合前とかに食事が用意されてるし、遠征に行ってもホテルで食事は出てくるし、やっぱりビジター球場でもサロンがあって試合前とかに食事もできるしね。それが当たり前に感じてた分、社会に出てみると自分でご飯を買ってきて食べたり、簡単に食事をとる事が出来ない事にプロ野球界が恵まれてるんだって事に改めて気付かされたかな」
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- 真木
- 「確かにそうですね。食事だけじゃなくて。移動する時の新幹線や飛行機だって球団の人が準備してくれるから一方的にチケットを渡されて乗るだけですもんね。ホント恵まれてると言うか、特別な世界ですよね。まあそれが弊害になってる部分もあるんでしょうけどね。そんないろんな経験をしてきた西岡さんは今子供たちにその経験から学んだ事を伝えていってると思いますが、子供達に対して何が大切な事だと伝えてるんですか?」
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- 西岡
- 「まずハッキリ言える事は、ホント子供の頃なんか大した事なかった自分がプロにまで行けたんだから、誰にでもチャンスはあるって事だね。俺も子供の頃から、他の子よりも毎日少しずつだけ頑張ってきたつもりなんだ。その少しでも良いから毎日頑張れるかどうか、それによってみんなチャンスが広がっていくと思うんだ」
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- 真木
- 「そうですね。いきなりたくさん頑張ろうと思うと大変だし長続きしないでしょうしね。ほんの少しだけと思うと頑張れる気がしますね」
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- 西岡
- 「そうそう。あともう一つここに通って来てくれてる子に言ってるのは、子供のうち、または学生のうちは『野球をやらせてもらってる』と言う感覚を持ちなさいってね。よく感謝の心とかって言うけど、それと一緒で、自分だけの力では決して野球は出来ないと思うんだ。もちろん両親、兄弟、チームのスタッフや父母の人たち、たくさんの人たちの支えや応援があるから野球が出来てるんだってことを子供だとしても理解をしてほしいと思うな」
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- 真木
- 「確かに『感謝、感謝』とはよく言われますけど、『やらせてもらえてる』と思うとまた受け止め方が違う気がしますね。そういう気持ちの部分も含めて、野球人の育成に頑張ってください。
今日はホントにアカデミー終わりで疲れてるところをありがとうございました」
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- 西岡
- 「いえいえ、こちらこそ遅い時間からで申し訳なかったです」
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- 真木
- 「また近所ですので遊びにも来させてもらいますね。ありがとうございました」
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- 西岡
- 「こちらこそありがとう」