- 所属球団
- 元横浜ベイスターズ
- 氏 名
- 中野渡 進(なかのわたり すすむ)
- ポジション
生年月日
出身地 - 投手
1976年9月17日
東京都
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 羽村シニア
- 出身高校
- 東海大学菅生高校
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- 三菱自動車川崎
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1999年 ドラフト7位 横浜ベイスターズ
- 所属球団( )内は背番号
- 2000年~2003年 横浜ベイスターズ (52)
- 引退
- 2003年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:4年
-
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率 78 0 6 1 0 - 102.1 91 8 33 8 70 42 39 3.43
- 2004年~現在 もつ鍋「わたり」
- 【 店名 】
- もつ鍋 わたり
- 【 住所 】
- 東京都国分寺市本町3-9-6 2F
- 【 営業時間 】
- 月・火・木 17:30~0:30(LO0:00) 金・土 17:30~1:00(LO0:30)
- 【 定休日 】
- 水曜日
- 【 電話番号 】
- 042-326-0220
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://tabelog.com/tokyo/A1325/A132502/13039992/
「引退して10年以上たった今でも付き合いさせてもらえてる仲間が出来た事が一番の幸せですね」
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- 真木
- 「こんにちは、はじめましてと言うか何と言うか・・・だね」
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- 中野渡
- 「そうですね。お互い年齢も場所も近かったのでお互い存在は知ってましたけど、こうやって話をするのは初めてですよね」
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- 真木
- 「そうそう、俺が法政大学の時、中野渡くんがいた三菱川﨑の寮が一つ隣の駅だったもんね。しかも、法政の1つ下の矢野英二(後に横浜ベイスターズ)とも仲良かったって聞いてるしね」
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- 中野渡
- 「そうなんですよ。ベイスターズにも僕より1年先に矢野が入団してて、ドラフトで指名された瞬間には矢野から電話もらったりとか、入団して分からない事も全部矢野に教えてもらいましたね」
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- 真木
- 「へ~、そんな仲良しだったんだね。
とりあえず今日は中野渡くんの幼い頃からの野球人生を振り返りたいと思うのでよろしくお願いします」
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- 中野渡
- 「いえ、こちらこそよろしくです」
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- 真木
- 「じゃあ早速ありきたりなんだけど、野球を始めたキッカケってどんな事だったの?」
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- 中野渡
- 「ウチは星一徹(マンガ・巨人の星)も顔負けの父親の影響ですね。メチャクチャスパルタで、小学校2年生の時に有無を言わさず野球をやる羽目になってましたね」
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- 真木
- 「そうなんだ~。自分からやり始めたって言うよりやらされたって感じなんだ?」
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- 中野渡
- 「まあそうですね。弟もいるんですけど、兄弟そろって父親に鍛えられましたね。小学校、中学校の時は毎日学校帰ったら走らされてバットを振らされて・・・の毎日でしたよ」
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- 真木
- 「へ~、昔は結構そういうキッカケの人って多かったよね~」
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- 中野渡
- 「父親は別にチームのコーチでも監督でもなかったんですけど、よく失敗したりすると試合中にも関わらずグラウンドの裏の方に連れて行かれて、怒られたりシバかれたりして泣きながら投げてましたね」
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- 真木
- 「それはすごいね~。今の時代にそんな父兄がいたら問題になっちゃうかもね~。中学生から硬式になったの?」
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- 中野渡
- 「いえ、小学4年生の頃に6年生に混じってピッチャーしてたんですけど、連投連投もあって4年生にして痛み止めの注射を打ちながら投げてたんですよ。それを父親が辛抱できずにチームを変えて小学5年生の時にリトルリーグに移籍してそれから硬式をやるようになりました。移籍してからはピッチャーはやらずに野手だったんですけどね」
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- 真木
- 「そうなんだ。まあ、4年生から痛み止めを打たなきゃいけないくらいだからピッチャーは出来なくなってるだろうね。でもそれでまたピッチャーに復帰したのはいつからなの?」
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- 中野渡
- 「高校に入ってからですね。中学3年の時に一気に身長も伸びて180cmを越えてたんですよ。それもあって当時高校のセレクションみたいなのに行った時にウチに来てピッチャーをやれって言われて。それでですね」
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- 真木
- 「確かに中学生でそれだけ身長も大きかったら引っ張りだこだろうね。高校生活はどうだった?」
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- 中野渡
- 「父親も人に負けないくらい厳しかった自信ありますけど、高校は父親の100倍厳しかったですね。僕が入学と同時に監督が変わって今でも恩師として足を向けて寝る事が出来ない監督なんですけど、当時28歳で年齢的にもバリバリの時じゃないですか。後に聞いたんですけど、もちろん甲子園に出る事も目標だったけど、とにかく僕をプロに入れようと思って接してくれてたみたいです」
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- 真木
- 「そりゃヤバいね。28歳って野球選手としてみてもまだまだ現役バリバリの年齢だから体も動くだろうし気持ちも充実してる頃だろうしね」
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- 中野渡
- 「そうなんですよ。僕は自宅から通ってたんですけど、毎朝、家から監督の家まで自転車で行って、荷物を監督の家に置いたらそこから走って学校行って、帰りは練習が終わって片付けてる最中くらいに『おい、帰っていいぞ!』って言われて、走って監督の家まで行ってそこから自転車で帰るって言う毎日でしたね。よく先輩から気を使われてましたよ、大変だな~って」
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- 真木
- 「ハハハ、良くも悪くも特別だったんだね。で、その後卒業したら社会人チームの中でも全国トップクラスの三菱川崎に進むんだよね?」
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- 中野渡
- 「そうですね。結構早くから声を掛けてもらってたって言うのが大きくて、しかも高校の時と同じで三菱のユニフォームが縦じまなんですよ。そこにも憧れはあったので」
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- 真木
- 「俺は社会人は経験してないから未知の世界なんだけど、どうだった?全国でもトップレベルのチームは?」
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- 中野渡
- 「高校時代も厳しかったですけど、やっぱり全てにおいてレベルも高くて大変でしたね。特に当時はまだ社会人は金属バットの時代でしたし。三菱川崎のいた神奈川県は他にも、日石、東芝、日産、いすずとか全国一の激戦区でしたからね。ここで勝たなきゃプロには行けない!って必死でしたね」
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- 真木
- 「確かに!俺も法政時代によく神奈川県の社会人野球とは関わらせてもらったからよく覚えてるけどヤバかったね。特にあの都市対抗予選なんかね。川崎球場もメチャクチャ狭いしね~。懐かしいな~」
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- 中野渡
- 「でもね、実は当時の三菱川崎って簡単にはプロに行かせてくれないチームだったんですよ。今でこそ普通に行けるみたいですけど、当時は会社を辞めてテストを受けて行かなきゃいけなかったんですよ。実際、僕も入団テスト受けに行きましたからね」
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- 真木
- 「へ~、そうなんだ。確かにあれだけ名門で一流の選手がたくさんいたのに、その割にプロに行ってる選手って多くないもんね~。そんな事情知らなかったな~。
いざプロに行ってみてどうだった?」
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- 中野渡
- 「これは社会人を経験してるからだと思いますけど、それまで金属バットを相手に投げてたわけだから、そこまですごいバッターがいるとは思いませんでしたね。自分の体が元気で自分の思うようなボールが投げられれば、それぞれのバッターに対して投げちゃいけないコースにさえ投げなければ大丈夫だって思ってましたね。だって社会人の時なんて金属バットだったから、よけながら出したバットに当たってホームランになっちゃうような野球だったんでね」
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- 真木
- 「その辺はやっぱり神奈川県の社会人を経験してる強みだね。プロの世界はどうだった?何か良い思い出とかって残ってる事ある?」
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- 中野渡
- 「う~ん、そうですね~、一回両親を満員の横浜スタジアムのバックネット裏に招待して登板した時の事は覚えてますね。父親はもともと巨人ファンで、巨人戦だったんですよ。しかも、リリーフで登板して走者一掃のタイムリーを打たれたんですよね。父親は息子が登板した事よりも巨人が打った事の方が嬉しかったんじゃないですか?笑」
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- 真木
- 「ハハハ、その点セ・リーグはいいよね~。パ・リーグは寂しいもんだよ」
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- 中野渡
- 「あとは、もう引退して10年くらい経つんですけど、いまだにお店にも来てくれるし付き合い続けてる先輩や仲間が出来た事は嬉しいですよね。まだ現役で頑張っている人もいますし、監督やコーチ・解説者とかで活躍してる先輩方もいますし、反対に野球を引退して僕と同じように一般社会に出て頑張っている人もいますしね。ホントいろんな人がお店に来てくれたり付き合い続けてる事が何より嬉しい事なんですよ」
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- 真木
- 「確かに、野球界から離れて頑張ってる人で、現役の選手とも引退した人たちとも、両方とも交流があるって言う人はあまり多くなさそうだな。何かそういう人を引き付ける魅力があるんだろうね」
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- 中野渡
- 「去年西武から戦力外になったばっかりの坂本弥太郎って子がいて、昔から僕の事を慕って来てくれてたんですけど、やっぱり野球をやめて何をしようかってずっと悩んでるんですよ。それで今度ウチで勉強をして、本人も同じように飲食店をやりたいって言いだしてるんです。ホント大変だからやめとけ!って言ってるんですけど、たぶん近々来ることになると思うんですけどね」
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- 真木
- 「俺は経験はないから分からないけど、飲食店って続けていくのが難しいってイメージがあるもんね~」
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- 中野渡
- 「大変ですよ~。10年くらい経ってやっとなんとかって感じですけど、やっぱりしんどい時はありましたからね。でも、そういうしんどい時にいつも誰かが助けてくれるんですよね。野球の先輩たちもそうですし、それ以外でも応援してくれてる人とかもね。まだお店をやり始めたばっかの時なんか、一日中お客さんが来ない日とかもあるんですよね。そんな様子を見て、ある会社の社長さんなんかわざわざ一人で来てくれたりするんですよ。朝まで飲むぞ!ってね」
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- 真木
- 「いいね~、そういう心が温まる話って。みんなそういう大変な時に誰かに支えられて生きてるんだよね。今度は中野渡くんが坂本弥太郎くんとか他の後輩たちにも同じ事をしてあげる番だね。
じゃあ最後になるけど、中野渡くんの今後の目標とか考えてる事はあるの?」
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- 中野渡
- 「そうですね~。やっぱり横浜の街には思い入れがあるので、こじんまりとしてても良いので横浜の街でお店をやって勝負してみたいですね。現役の時から応援してくれてるファンの皆さんとか、もうその頃にはみんな仲間は引退してるでしょうけど、コーチや監督をやってる人たちも気軽に来てもらえるようなお店をですね」
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- 真木
- 「この国分寺でもそうやってみんな来てくれるくらいだから、横浜スタジアムの近くでやったら毎日賑やかなお店になりそうな想像が出来るね」
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- 中野渡
- 「そうなりたいですね~」
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- 真木
- 「じゃあその時は俺も法政の後輩の矢野と一緒に行くよ。あっ、その前にここのお店にも矢野と一緒に来なきゃね!」
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- 中野渡
- 「そうですよ、一緒に来てくださいよ」
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- 真木
- 「今日はお店の開店前で忙しいところありがとう。必ず矢野と一緒に来るよ。その時はまたよろしく!」
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- 中野渡
- 「こちらこそよろしくです!矢野と来てくださいね」