金子 誠一

profile

所属球団
元阪神タイガース
氏 名
金子 誠一(かねこ せいいち)
ポジション
生年月日
出身地
外野手
1964年7月23日
宮城県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
北仙台中学校
出身高校
東北高校(宮城県)
出身大学
法政大学
その他出身チーム
本田技研

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1988年 ドラフト3位 阪神タイガース
所属球団( )内は背番号
1989年~1995年 阪神タイガース  (33)
引退
1995年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:7年
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
324 457 60 40 103 17 5 11 11 1 0 37 2 129 .225

next stage

1996年~2005年  ソニー生命㈱
2006年~2008年  ㈱保険パートナーズジャパン ㈱ライフプラザパートナーズ
2008年3月~現在  ㈱FPスタジアム 設立
【 会社名 】
株式会社FPスタジアム
【 住所 】
大阪市北区中崎西2-2-1 東梅田八千代ビル2F
【 電話番号 】
06-6130-0031
【 - 】
【 - 】
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://www.fp-stadium.jp/

interviews

「高校時代の辛い経験や監督がいたからこそ、今の自分があるとつくづく感じるな」

  • 真木
    「こんにちは、お忙しい中ありがとうございます。金子さんにはプロ野球界の先輩と言う事はもちろんですが、法政大学野球部の先輩と言う事もあっていつも以上に緊張してますがよろしくお願いします」
  • 金子
    「いやいや、いつも通りでいこうや」
  • 真木
    「ありがとうございます。では早速、金子さんの野球人生を振り返っていきたいと思いますが、野球を始めた頃の事って覚えてますか?」
  • 金子
    「う~ん、ウチの地元はホントに田舎だったから近所に空き地とか広場がいっぱいあって、幼稚園の頃から毎日のように野球のような遊びをしてたな。それで小学校の入学祝でグラブを買ってもらってからは、学校が終わったらすぐに家に帰ってグラブを持って出かけて野球をして遊ぶようになったな」
  • 真木
    「僕が子供の頃も似たような感じで、昔はどこででも友達同士で野球をして遊ぶのが当たり前でしたもんね~。それが最近じゃ、公園とかでもボール遊び禁止の場所があったりしてなかなか不便になってるみたいですね~。じゃあすぐに野球チームに入ったりもしたんですか?」
  • 金子
    「いやホントに田舎だったから、ウチの近所には野球チームがなくて、しばらくは友達同士集まって遊んでるばっかりだったんだ。それで5年生の時だったかな、毎日野球して遊んでるもんだからみんな野球もうまくなってきて、友達同士でチームを作って大会に出ようって話になったんだよ」
  • 真木
    「すごいですね~。小学生の子供達だけでそんな話までして。実際行動したんですか?」
  • 金子
    「そうそう、最初は監督がいなくてみんなの親に頼んで回っても忙しいとか仕事があるからとかで引き受けてもらえなくて、そのうち学校のクラスの女子のお父さんが野球の経験があるとかって話を聞きつけてお願いしてやっと引き受けてもらえて、北仙台ジャガーズって言うチームが出来たんだ」
  • 真木
    「まさに子供同士の手作り野球チームだったんですね~。すごい珍しいケースですよね」
  • 金子
    「でもそれで市の大会でベスト4くらいまで勝ち上がったからね。しかも、そんな俺たちの手で作ったチームが今もまだ存続してるらしいって話を聞いてやっぱり嬉しかったね~」
  • 真木
    「中学生の頃はどんな感じだったんですか?」
  • 金子
    「小学校も中学校も、当時出来たばかりの学校だったんだよ。小学校で言ったら俺たちの学年がその小学校の2期生だったくらいだから。だから中学校でも学校の野球部に入ったんだけど選手数も少ないしあまり勝った記憶はないね」
  • 真木
    「そうなんですか?でもそれで名門の東北高校に進学するなんて、チームは勝てなくても目立った選手だったんでしょうね」
  • 金子
    「体格だけじゃないか?産まれた時から大きかったけど、幼稚園からず~っと同じ年の中では一番大きかったからね。東北高校も、体格を見て3年間鍛えればどうにかなるだろうって思ったんじゃない?」
  • 真木
    「小学校、中学校では歴史の浅いチームでやってきて、いきなり高校は名門のチームになったわけですけどどうでしたか?」
  • 金子
    「いや~、正直厳しくてびっくりしたね。生きて卒業できるんだろうか・・・って思ったね。先輩後輩の厳しさもあったけど、それより何より監督が厳しくて厳しくて。その後、大学に行ってから仲間同士で高校時代の思い出話をし合ってたんだけど、ウチの高校の厳しさにはみんなびっくりしてたね」
  • 真木
    「たとえばどんな厳しさだったんですか?」
  • 金子
    「竹田監督って有名な監督なんだけど、とにかく野球は連帯責任って事で、バッティング練習中でも守備練習中でも誰か一人がエラーをしたとしたらその場で練習をストップさせるんだ。それで全員でグラウンド1周を全力でダッシュするって言うのが恒例。それが1日に20~30周くらい走るのが当たり前だったね」
  • 真木
    「連帯責任って言うのはすごいプレッシャーですよね。自分のせいでみんなも走らされるんですもんね」
  • 金子
    「そうそう。ピッチャーのピッチング練習中だけは免除されるんだけど、その代わり、ピッチャーってピッチング練習以外は外野で走ってる事が多かったんだ。野手はバッティングとか守備練習中だからそんな事ないけど、ピッチャーは走って息が上がってるときにまたダッシュだからやっぱり遅いわけよ。そしたら何でピッチャーが遅いんだ!って怒られたりね」
  • 真木
    「あ~、ピッチャーってそういうのよくありますよね。基本的に練習中って走ってる時間が長いですもんね~」
  • 金子
    「それとか、あるダブルヘッダーの練習試合の日に先発して、初回2アウトから3番バッターにヒットを打たれたんだ。そしたら監督がマウンドに来てピッチャー交代って。訳が分からないままベンチに戻ると、試合中なのに『そこに座っとけ!』って怒鳴られてベンチのすぐ横で正座よ。高校生でも1試合1時間半か2時間はあるやんか。もう試合が終わった時には一人では立てないくらいの足になってて後輩に肩を借りて集合に行くと2試合目の先発ピッチャーも俺って言われて・・・。投げれるのかな?って思ったけど、それよりもまたランナーを出したらヤバいって言うのが先に来て・・・いざ2試合目が始まったらもう必死よ。結局4回途中までパーフェクトで、その後フォアボールを出してしまったんだよ。そしたらやっぱり交代って・・・。で、やっぱり『座っとけ!』って」
  • 真木
    「え~、どういう意味だったんですかね~?何か狙いがあったんですかね?」
  • 金子
    「いや~、どうだろうな。結局わからないままよ。でもたぶん、とにかく精神修行みたいな感じだったんだろうね。一人でもランナーを出したらヤバいって言う緊張感の中でどう出来るか?っていうのを試されたんじゃないかな。そんな理不尽と言うか厳しい事が日常茶飯事だったからね」
  • 真木
    「良い悪いは別として昔はそういうのが当たり前の時代でしたもんね~。今の時代はそうはいかないんでしょうね~」
  • 金子
    「そうだな。当時高校生ながら納得がいかない事もあったけど、そんな事言えるはずもない時代だったからね。今の子たちは嫌なものは嫌って主張するんだろうしね。でも大人になってからは、当時の辛かった事とか理不尽な事に耐えてきた事があったからこそ今の自分がいるんだってすごく思うし、監督のお陰で俺がいるって感謝しかないね」
  • 真木
    「そうですよね~。僕もそうなんですけど、そういうのが野球人の良さだと思うんですよね。精神的な強さになってると思いますね。大学に進学後はどうでしたか?大学の時にピッチャーから野手に転向したんですよね?」
  • 金子
    「そうだね。大学3年の途中まではピッチャーやってて、怪我とかもあって一回も神宮のマウンドには立てなかったんだ。せっかく東京六大学まできて野球をやってるんだからどうにかしたいって言う悔しさもあり、同期の猪俣(後に阪神)や石井丈(後に西武)がピッチャーで活躍をしだした事もあって3年の夏頃かな、野手に転向しようと思ったんだ。でも、当時の監督が、そう簡単には野手として認めないって言われて、レギュラーチームの練習ではグラウンドに入れてもらえず隣にある陸上競技場でずっと走ってたんだ。レギュラーチームの練習後に新人練習って言って1~2年生の練習時間があって、そこではじめて下級生に交じって練習させてもらえてて」
  • 真木
    「高校でも大学でも、結構厳しい監督だったんですね~」
  • 金子
    「そんな練習を3年の夏から4年になる頃までの約半年間じっと辛抱してたら、4年の春には4番を打たせてもらえるようになったんだ。それがすごく嬉しかったんだけど、今度、春のリーグ戦の開幕1週間前にぎっくり腰になってしまってね。半年間も辛抱してやっとつかんだチャンスだったから何が何でも離したくないと思って、痛みをどうにかこらえて練習を続けたんだ。そこでぎっくり腰になりましたって言ってしまったらメンバーから外されると思ってね。腰自体は3日4日したら痛みもなくなったから開幕には間に合ったんだけど、結局その時に無理をしてしまったからなのか、ぎっくり腰がクセになってしまってその後の野球人生はずっと腰の痛みとの闘いばっかりだったな」
  • 真木
    「そうなんですね~。半年間も辛抱してきたならそう思うでしょうね。僕は現役時代はあまり大きな故障はなかったですけど、故障を抱えてる選手は大変そうでしたもんね」
  • 金子
    「プロ野球の現役生活も結局は7年間だけだったんだけど、毎年2回か3回くらいはぎっくり腰を発症してたね。だからプロ時代の思い出って言っても、痛みとの闘いばっかりを思い出すな。自分なりにケアをしようと思ってほぐしてもらったりコルセットを使ったり薬を使ったりしてたけど、なかなか効果的な方法は見付からなくて、最後の方では足が棒みたいになってしびれてしまったりとかもしょっちゅうあったな。俺は現役を引退したら車椅子の生活になってしまうんじゃいか?って心配してた記憶があるよ」
  • 真木
    「腰の痛みを抱えてる人達はホント大変そうでしたもんね。そんな中でもプロ生活の中で印象に残ってる事って何かありますか?」
  • 金子
    「う~ん、強いて言えば岡田さん(後に阪神監督)にかわいがってもらった事かな。岡田さんは本職は内野手だったけど途中からは外野も守るようになって、同じ外野手同士だったんだけど、よく食事に連れて行ってもらったし、遠征先のホテルでは常に隣の部屋だったり新幹線の席も隣だったりで、その間にいろいろな事を教えてもらったね。岡田さんのバッティングの考え方とかね」
  • 真木
    「前に取材したOBの人も岡田さんにバッティングを教えてもらって良くなったって聞きましたけど、岡田さんって意外と面倒見が良い人なんですね」
  • 金子
    「面倒見も良いし、教えるのも上手だと思うよ」
  • 真木
    「それで故障に悩まされて現役を引退して、それからは野球とは離れて仕事を始めたんですよね?仕事をするようになってから苦労した事とか思い出すような事ってありますか?」
  • 金子
    「野球を辞めても別の道でプロになりたいと思って保険の仕事を始めたんだけど、やっぱり最初は保険の勉強からスタートしたわけよ。約1ヶ月くらいかな、朝から晩までずっと机に向かって覚えることだらけで・・・。あの時はホント頭から湯気が出てそれこそ頭がパンクするんじゃないかって思ったね。とにかく毎日、勉強勉強また勉強の連続で。勉強なんて中学までしかしてないもんだからホントあれには参ったよ。それからいろいろと経験をさせてもらって、様々なお客さんのベストな保険を提供する為には1社の商品だけでは応えられなくなって、それでいろんな保険会社の商品を扱えるように今の会社を立ち上げたんだ」
  • 真木
    「野球を辞めた人達にとって、金子さんが引退後に歩んできた事ってすごくお手本になると思うんです。今ではこうやって国内各地にいくつも支社を持つ会社になってて。そういう意味も含めて、今からプロを目指して頑張る野球少年たちやその家族の人達、それと、プロアマ問わず長年野球を続けてきて引退した人、または引退が近付いてる人達に何か金子さんだから伝えれる事ってありませんか?」
  • 金子
    「今からプロを目指して頑張ってる選手やその家族達には、とにかく野球を辞めずに続ける事。辞めてしまうのは簡単な事だけど、一度辞めてしまったらなかなかもう一回やり直すことって難しい事だし、続けている中で得るものって言うのはたとえプロになれなかったとしてもすごく大切な事が多いんだよね。俺自身すごく感じているのは一つは仲間だな。野球を同じチームでやった仲間はもちろん、対戦した事があるとか、共通の仲間がいたりとか、大人になって野球を辞めてからでも、そういう共通の絆があるだけで輪が広がっていくんだよ」
  • 真木
    「確かに野球って独特の仲間意識があると思いますね。野球を通じた人脈って不思議と深いものだと思います」
  • 金子
    「だから、とにかく野球を長く続けていれば必ず得られるものは大きいと思う。野球を辞める事になった人も、そこを感じて欲しいと思うな。もちろん、野球ばっかりやってきた訳だから、野球以外のことをイチから必死に勉強しなきゃいけないけどね」
  • 真木
    「ありがとうございました。今日のお話は他の人達だけじゃなく、僕自身もしっかり頭に刻み込んでおくべき事だと思います。これからもプロ野球の先輩後輩だけじゃなく、法政大学の先輩後輩も含めてよろしくお願いします」
  • 金子
    「よし、分かった」
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