福留 宏紀

profile

所属球団
元オリックス・ブルーウェーブ
氏 名
福留 宏紀(ふくとめ ひろき)
ポジション
生年月日
出身地
内野手
1975年5月21日
愛知県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
名古屋東シニア
出身高校
亨栄高校(愛知県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1993年 ドラフト4位 オリックス・ブルーウェーブ
所属球団( )内は背番号
1994年~2004年 オリックス・ブルーウェーブ (56→4) 
2005年        オリックス・バファローズ  (0)
引退
2005年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:12年
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
199 269 24 25 49 7 0 6 0 9 2 15 1 78 .182

next stage

2006年1月~     アーデルバッティングドーム 塾長&店長
【 店名 】
アーデルバッティングドーム & アーデル野球塾
【 住所 】
埼玉県さいたま市岩槻区府内2-1-10
【 電話番号 】
048-798-9988
【 営業時間 】
月~金 12:00~24:00  土・日・祝 10:00~24:00
【 対象 】
バッティングドーム→軟式球&硬式球  野球塾→幼児・小学生・中学生・成人
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://play-ball.jp/index.html

interviews

「いくつものパターンを常にイメージして準備をする事が良いプレーにつながる」

  • 真木
    「久し振り~。いつ来ても立派な設備で大繁盛だね~」
  • 福留
    「そんな事ないよ」
  • 真木
    「相変わらずスタッフのほとんどが元プロの選手ばっかりで、懐かしい顔ぶれが多くて懐かしくなるな。今で元プロ野球選手のスタッフが何人いるの?」
  • 福留
    「今は6人だね。みんな楽しくやってるよ」
  • 真木
    「羨ましいな~。プロ野球の世界って、毎日野球やって毎日グラウンドに出て、仲間と一緒にロッカールームで話したりしてある意味では楽しかったけど、今もその時と似たような環境で仕事を出来てるわけだもんね?」
  • 福留
    「そう言われればそうかな。当時はロッカーで自分たちの事を話し合ったりしてたけど、今はスタッフルームで塾生の子供達の事を話する事が多いかな」
  • 真木
    「俺も含めたプロ野球のOBにとっては、こういう施設や仕事環境がもっと増えてプロ野球OBの人達の活躍の場が広まっていけたら最高なのにね~」
  • 福留
    「同じプロ野球OBでここの社長の高見沢とは、そういうのを目指して一緒に頑張ってるんだよね」
  • 真木
    「毎日毎日たくさんの子供達と接して指導もしてるんだと思うけど、福留本人の子供時代ってどんな野球少年だったの?野球を始めたのはいつくらい?」
  • 福留
    「チームに正式に入ったのは小学校4年生の終わりくらいだったかな。それまでは家の横で一人でカベ当てしたりバット振ったりして遊んでた記憶だね」
  • 真木
    「一人でだったんだ?友達と一緒にじゃなくて?」
  • 福留
    「そうそう、友達は地域の少年野球チームに入ってたからいつも一人だったのを覚えてるな。それで4年生になって自分もチームに入りたいと思うようになって親にお願いしたんだけど、ウチの母親はやるならトコトンやりなさいってタイプだったから、知り合いがコーチをやってるって言うリトルリーグ(硬式球使用)に入れられたんだよ」
  • 真木
    「友達はみんな地域の軟式野球チームだったんでしょ?そのリトルのチームに友達はいたの?」
  • 福留
    「全然いないよ。俺も最初はもう少しぬる~い野球を想像してたんだけど、母親は最初からメチャクチャ熱かったね。入ってすぐに関東に遠征があったんだけど、もちろん入ってすぐだし学年も下だったし最初の試合には出れなかったんだよ。でもやっぱり子供心に試合に出れないことが悔しくて、1試合目が終わった時に一人でこっそりトイレに行って泣いてたんだ。そしたらドアのすぐ向こうで同じようにメソメソしてる声が聞こえてきて、よく見てみたらウチの母親だったんだよ。その光景は今でも忘れられないんだよ」
  • 真木
    「へ~、小学校4年生の子が悔しくて涙を流したってだけでも感心して聞いてたのに、一緒になって母親も悔し涙を流してたなんて胸が締め付けられるような話だね。でも今でも忘れられないってくらいだから、当時はもっと衝撃だったんじゃない?」
  • 福留
    「そうだね、やっぱりその時にこれは何とかして母親を喜ばせなきゃいけない!って思ったよね。ちょっとした名物母ちゃんだったからね。昔ながらに『息子をプロ野球選手にする』的な本があったらしいんだけど、読み終わった後でも枕の下に置いて寝るくらいだったらしいんだよね。よく練習もさせられて、毎朝起こされて走りにも行かされてたね」
  • 真木
    「そんな野球人生のスタートだったんだ~、なかなか濃いスタートだね。そのまま中学ではシニアリーグでプレーして、高校は愛知で私学4強って言われる亨栄高校に進学したんやんね?亨栄高校はどんな野球部だったの?結構厳しい?」
  • 福留
    「う~ん、寮はなくて自宅からの通いだったんだけど、結構練習はしたね。普通に家に帰り着くのが22時半とか23時くらいになってたもんね。それでそんなに長くはないけど朝練もあったしね。高校時代はあんまり寝てないって記憶だね」
  • 真木
    「へ~、俺は高校から寮だったから自宅から通いの野球部の生活ペースがどんな感じなのかイメージがないんだけど・・・。結構大変だよね~。それで家から学校まで遠い人もいるんだろうしね。それで高校卒業の時にオリックスからドラフト指名された訳だけど、子供の頃から高校卒業までの間で、この時期があったからドラフトで指名されるような選手になったんだって原動力になった時期っていつだと考える?」
  • 福留
    「それは中学の時だね。自分の1歳後輩の子の親が元プロ野球選手で、たまに教えに来てくれたりしてたんだ。その人から、守備の事を誉めてもらってこの子はプロ野球選手になれるって言ってもらったりしてたから、自分自身もプロになれるのかなって現実的に意識するようになったね」
  • 真木
    「実際、ドラフトで指名されてプロの世界に足を踏み入れてどうだった?」
  • 福留
    「高校まではそれなりに自分に自信を持ってプレーしてたんだけど、なぜかドラフトで指名された直後から急に『俺、大丈夫かな~?』『すぐにクビになっちゃうかな~』ってすごく不安になったのを覚えてるな。それまでは見た事もなかったのにオリックスの選手名鑑とかを見てどんな選手がいるんだろうとか調べたりね。そんな感じでいざキャンプインして一緒にプレーをしてたら更にその不安が大きくなって、当時、福良さんとか勝呂さんとか守備のスペシャリストの先輩達がたくさんいて、守備に自信を持ってた俺って本当にうまいのか?へたなんじゃないのか?って自問自答してたね」
  • 真木
    「ますます不安が大きくなったんだ~?まあそりゃそうだよね。プロの中でもトップクラスの守備職人の人を目の前にしたらね」
  • 福留
    「それで4年間くらいはず~っと2軍で鍛えられたね。その間に後に阪神・オリックスで監督をされた岡田さんも現役を引退して2軍のコーチに就任されてバッティングも指導してもらってそれなりにバッティングの自信も持てるようになったんだよ」
  • 真木
    「そういう下積み期間があって、あの『初スタメン・初打席・初球ホームラン』と言うプロ野球史上5人目の結果が出たわけだ?」
  • 福留
    「ハハハ、みんなそれを覚えててくれるんだけど、俺の中では一番印象に残ってるのは、その試合でその打席の前に守備で見せ場があってね。自分としてはそっちの守備のプレーの方が印象強いんだよね。初スタメンだったからその後に打席が回ってくるっていうプレッシャーとかもあって緊張してポジションについてたけど、その守備でのプレーがあったからこそ、その初本塁打も出たんじゃないかなって思うね」
  • 真木
    「こうやって昔からの話を聞いてると完全に守備の人だったんだね」
  • 福留
    「う~ん、そうだね。バッティングはやっぱりピッチャーがいる事だから自分の思い通りにならないのが苦手だったんだ。高校の時もプロに入ってからも、バッティングの練習をしてても集中力が長く持たないんだよね。その点、守備の練習だったらいくらでも受けることが出来たな。でも、そういう自分の特徴と言うか持ち味が何なのかって言うのをしっかりと認識するって言う事も大切な事だと思うな。自分が何で勝負できるタイプなのか?って言う事を考えるのがね」
  • 真木
    「確かにね~。みんながみんな体が大きくてホームランをたくさん打てるわけじゃないもんね。全く練習をせずに全然打てなくて良いって訳ではないけど、コツコツと安定的なバッティングさえ身に付けられれば自分の勝負する部分が守備だったり走塁だったりでもプロを目指せるって事だもんね。そういう夢を広げてあげたいよね」
  • 福留
    「そうそう、やっぱり周りの選手よりも光るようなバッティングをするくらいは練習しないといけないけど、だからと言ってポンポンホームランが打てたり遠くに飛ばせる必要はないんだよね。別にそんな選手だけが集まるのが野球じゃないしね」
  • 真木
    「福留も、自分の勝負できるポイントをしっかりと捉えて取り組んできたから、プロ野球で12年間もプレーできたんだもんね。やっぱり12年って凄いと思うな~。最後ユニフォームを脱ぐ時はどんな心境だったの?」
  • 福留
    「オリックスから戦力外を通告されたのが30歳の時だったから、自分ではまだ出来るんじゃないか?って気持ちもあったしトライアウトを受けたんだけど、台湾とか海外からのお誘いはもらったんだけど日本球界からは声が掛からなかったからそこでキッパリ引退したんだ。実は引退する2年位前かな、守備でダイビングした時に肩を脱臼してしまって、何とかリハビリをしてプレーに支障がないとこまでは回復したんだけど、どうしても自分の中でダイビングするのに恐怖心と言うか躊躇してしまう自分がいて、守備で勝負してる自分がダイビングできなかったら戦力にならないなって自分で感じてたんだ。だからそれ以上現役にこだわる事もなかったんだ」
  • 真木
    「そうなんだ~、やっぱりそういうケガもあったんだ。守備の人はボールにくらいつくのって本能的な事だろうし、その本能の反応に鈍りが出てしまったらちょっと自信がなくなっちゃのかもね。ピッチャーで言ったらバッターのインコースを狙う時に、デッドボールを気にしてしまうのと同じような事なんだろうな。ピッチャーでも少しでもそういう迷いが生まれてしまったらインコースの厳しいところに生きたボールが投げられないと思うんだ。それで引退してからの事は何か考えてた事はあったの?」
  • 福留
    「実はトライアウトを受ける前の段階で、既に高見沢はここのバッティングドームで仕事をしていて、高見沢から一緒に仕事ができる仲間を集めたいからって連絡をもらってたんだ。だからトライアウトがダメになってすぐに高見沢に連絡をしてお世話になることになったんだ」
  • 真木
    「そうなんだね。野球選手が現役を引退してからも野球に携わって生きていけるってすごく幸せな事だと思うな。最後に、俺自身も興味があると言うか、俺は左投げ出し完全にピッチャーとして育ってきたから全く分からない事があるんだけど、守備のコツってどんな事?」
  • 福留
    「守備以外でも同じような事が言えるとは思うんだけど、とにかくイメージを大切にする事だね。守備で例えたら、次のピッチャーの投球に対してより多くの打球のイメージを持って、どう処理をするのかをイメージして準備をしておく事。今のケースでこういう打球が来たらこう処理するんだ、こんな打球だったらこんな処理をする・・・とか、よりイメージが多ければ多いほど慌てなくて済むからね。いざ打球が飛んで来た時に『来ちゃった』って思うんじゃなくて『あ~、この打球ね』って言う感じでイメージ通りに反応するだけで余裕をもったプレーが出来るんだよ」
  • 真木
    「それってプロとかの高いレベルでの話じゃなくて?」
  • 福留
    「いやいや、イメージする種類の数が少ないとしても、小学生だって高校生だってイメージする事は出来るはずだよ。まずはイメージする習慣を教えていきたいね」
  • 真木
    「そっか~、確かにイメージだけなら誰でも出来るだろうし、そう考えようとする慣れの問題かもしれないね」
  • 福留
    「余裕を持ったプレーが出来れば必ず結果は付いてくるよ」
  • 真木
    「ありがとう、その言葉は俺にとっても参考になったよ。そろそろ時間も来てしまったのでこれで終わらせてもらうね。仕事の合間で忙しいところありがとう」
  • 福留
    「いえいえ、こんな話で良かったのかな?」
  • 真木
    「もちろん!良い話しが聞けました。またお互いに頑張ろうね」
  • 福留
    「こちらこそありがとう」
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