- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
- 氏 名
- 加藤 正樹(かとう まさき)
- ポジション
生年月日
出身地 - 外野手
1965年6月14日
大阪府
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 東大阪布施(ボーイズリーグ)
- 出身高校
- PL学園高校(大阪府)
- 出身大学
- 早稲田大学
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1987年 ドラフト外 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1988年~1995年 近鉄バファローズ (29)
- 引退
- 1995年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:8年
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試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 205 305 40 30 76 18 3 4 0 12 0 24 1 50 .249
- 1996年~2004年 大阪近鉄バファローズ 球団職員
2005年~現在 株式会社トゥルーマサ 代表取締役
- 【 会社名 】
- 株式会社トゥルーマサ
- 【 住所 】
- 大阪市中央区東心斎橋1-13-11
- 【 電話番号 】
- 06-6121-6873
- 【 - 】
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- 【 - 】
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- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://www.true-masa.com/
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- 真木
- 「こんにちは、今日はお忙しいところ申し訳ありませんがよろしくお願いします」
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- 加藤
- 「いやいや、こちらこそよろしく」
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- 真木
- 「加藤さんと言えば、僕が近鉄に入団した時に球団の広報を担当されてたので本当にいろんな面でお世話になったんですよね。よく覚えてるのは、僕が試合で投げて打たれたりノックアウトされた時に、加藤さんが気を使いながら声を掛けてくれたんですよ。打たれた時って周りの人達はみんな近寄って来ないのですごく孤独なんですよね。だから加藤さんが声を掛けてくれる事は本当に温かく感じてたんです」
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- 加藤
- 「そんな事もあったかな?まあ、それが広報の仕事だからね。仕事だよ仕事」
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- 真木
- 「今日はそんな加藤さんの今に至る野球人生を振り返ってもらいたいと思いますのでよろしくお願いしますね。早速ですが、加藤さんは野球を始めたキッカケって覚えてますか?」
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- 加藤
- 「最初は、今みたいにゲームで遊んだり携帯電話を持ってたりなんてない時代だったから普通に友達同士で野球で遊んでたんだけど、小学校4年生の時に友達に誘われて地元のチームに入ったのを覚えてるね」
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- 真木
- 「小学生の頃の加藤さんはどんな野球少年だったんですか?結構、コツコツと練習をするタイプでした?」
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- 加藤
- 「いやいや全然!チームで試合には出てたけど週末に練習に行くだけで、塾に行ったり習い事にも行ってたから平日は練習なんてしてなかったよ。だからと言う訳じゃないけど、6年生の時かな、城東区の中にいくつもチームがあってその中で選抜チームみたいなのを作ったんだけど、それにも入れないような選手だったからね。選ばれた選手を他人事のように見てた記憶があるね」
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- 真木
- 「そうなんですね~。じゃあ中学生になったらどうでした?ボーイズリーグのチームに入ってたんですよね?」
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- 加藤
- 「最初は中学の軟式野球部に入ったんだ。それで1年生の5月か6月くらいに友達に誘われてボーイズリーグのチームに入ったんだけど、2年になるくらいまでは両方のチームでやってたね。それでも相変わらずチームの練習だけしかしてなかったな。ようやく2年生の終わりくらいになって、仲間同士で練習をするようになったくらいかな~」
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- 真木
- 「そうなんですか?加藤さんと言えばPL学園から早稲田大学とアマチュア野球のエリート街道を通ってきてたので勝手に熱血な野球小僧だったようにイメージしてたんですけど、意外とそんな事もなかったんですね?でも反対に、そんなサラ~ッと野球をしてたのに当時でも全国でトップクラスだったPL学園に入ったって言うのは凄い事ですね?」
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- 加藤
- 「一応、中学3年の時に全国大会に出たんだよ。その時にブルペンで投げてるのを見て声を掛けてもらえたんだって後になって聞かされたね」
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- 真木
- 「え?加藤さんってその時はピッチャーだったんですか?」
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- 加藤
- 「ピッチャーもしてたね。ピッチャーが3人いる中の一人って感じだったかな。ま、高校に入学してからは外野手だけだったけどね」
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- 真木
- 「実際、PLに入学してからはどうでしたか?当時でも甲子園常連でしたよね?」
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- 加藤
- 「そうだね、入学直前の春の甲子園でも優勝したばっかりだったしね。結局、入学直前の春の甲子園と、2年の時は春の甲子園、3年の時は夏の甲子園で、合計3回の甲子園出場で1回も負けてないんだよ」
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- 真木
- 「え?そうなんですか?甲子園に出場した時は全部優勝してるって事ですか?」
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- 加藤
- 「そうそう、甲子園では16勝0敗。まあ、自分がグラウンドに立ってたのは最後の3年の夏だけだから6勝だけなんだけどね」
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- 真木
- 「それでも凄いですね~。3回も甲子園の優勝を経験してるなんて、なかなかいないですよね~」
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- 加藤
- 「いや、PL学園と言う学校が強かっただけなんだよ。それでそんな経験をさせてもらったもんだから、その後の野球人生では勘違いしてしまうんだよね~。俺はもうスタメンから外される事はないんじゃないかってね。3年の夏の予選では優勝したから全部で30打席くらい立ってるんだけど3安打しか打ててないんだよ。しかもそのうち2本は内野安打でね。それでも試合には外されなかったんだ。良いようにとらえると自信なんだけど、一歩間違えるとこれは勘違いに過ぎないんだよな」
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- 真木
- 「そうなんですか?でもそれだけ打ててなくても試合からは外されないって言うのは、それまでにチームのみんなに認めさせるだけの何かがあったからだと思いますけどね~。それで高校最後の甲子園で全国優勝して満を持して早稲田大学に進学するんですよね?PLに続き、早稲田も大学界では全国トップクラスの名門ですけどどうでしたか?」
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- 加藤
- 「結局、早稲田では1度もリーグ優勝できなかったんだよ。結果は仕方がないんだけど、それが残念だったかな」
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- 真木
- 「それは確かに珍しいですね~。8度あるリーグ戦の中で1度も優勝がないなんて早稲田らしくないですね。それでも、高校時代に続いて大学でも全日本メンバーに選ばれてるんですよね。加藤さんがアマチュアのトップレベルでプレーして、しかも全日本メンバーに選ばれるような選手になった原点って何なんですか?」
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- 加藤
- 「いやいや、たまたまそこにいただけだよ。決して自分が上手で凄かったわけではなかったんだ。その中で唯一言える事は、野球が好きだった事は確かかな。とにかくもっと野球を続けたいとか、将来は野球に関係する仕事に就きたいとか、そう言う事ばっかり考えてたのはあるね」
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- 真木
- 「そうなんですね。やっぱり好きだったからこそ追求して貪欲に取り組んでたんでしょうね。そしてプロ入りについてなんですけど、時代と共にドラフト制度も変わってきてて、僕の頃もそうですけど今はドラフト外での入団って制度がなくなってるのでピンと来ないんですけどどんな感じなんですか?」
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- 加藤
- 「う~ん、結局は技量が足りないって事なんだよ。球団からはドラフトでの指名はないけど取るから、とだけ言われてたんだ。それでドラフトが終わって数日後に連絡をもらって入団の契約をする事になったって流れかな。大学4年の夏くらいに肩を痛めてしまってね、秋のリーグ戦はバッティングは何とかごまかしながらでも打てたんだけど、全く投げる事はできなかったんだ。そんな状態でもやっぱりプロに行きたかった自分にとっては、ドラフト外って言う制度はありがたかったよ」
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- 真木
- 「そう言う事なんですね。故障を抱えてた加藤さんには救いの制度だったんですね。今度プロ入り後はどうでしたか?常にアマチュアのトップを走り続けてきて、プロの違いは感じましたか?」
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- 加藤
- 「トップって訳じゃないけど・・・(笑)。 実は、俺の1年目って近鉄にとって伝説となった10・19のシーズンで1軍と2軍を行ったり来たりしてたんだけど、その10月19日はたまたま1軍にいたんだ。近鉄対ロッテのダブルヘッダーで、近鉄は2連勝したら優勝、1つでも引き分け、もしくは負けたら優勝を逃すって言う日だったんだけど、その1試合目の9回2アウトランナー2塁で俺に打順が回ってきたんだよ。ここで俺が凡退したら試合終了で近鉄の優勝を逃してしまうっていう場面で・・・。そこで俺が感じたのは、入団1年目の俺がこんな場面で打席に立って良いのか?って。早く代打を送ってくれって、打席に向かうフリをしながらずっとベンチをチラチラ見て、早く交代を告げてくれって。結局、仰木監督が代打に梨田さんを起用して梨田さんのセンター前タイムリーで勝ち越して2試合目につないでホッとしてたんだ」
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- 真木
- 「あ~、知ってます知ってます。でも結局は2試合目に引き分けてしまって優勝は逃してしまうんですよね?」
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- 加藤
- 「結果はそうなんだけど、その時に、ふと我に返って考えさせられた事があって、自分に代打を送って欲しいとか、自分の代打の人が打ってホッとしたとか、そんな感情は学生時代には考えた事もなかったし、反対にそんな場面だったら、ここは俺しかいないだろうとか、絶対に俺まで回せよって考えてたのに・・・と思ってね。この時、俺がプロでやっていく自信が完全に打ち消されたね」
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- 真木
- 「え~、まだ1年目ですよね?しかも、失敗した訳じゃないのにですか?」
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- 加藤
- 「そうなんだけど、それまでの1年間で少しずつ感じていた自信のなさにトドメを刺された感じかな。でも、だからと言ってその後の現役生活で手を抜いてた訳でもないし自分のベストは尽くしてたと思う。それからシーズンが過ぎて6年目の終わりくらいかな、当時球団の管理部長だった足髙さんから、現役中に野球の勉強をしときなさいって声を掛けてもらってね。本当ありがたかったね。それで現役を8年もやらせてもらった後に球団職員として残らせてもらってね」
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- 真木
- 「そんな経緯があったんですね。球団の広報って一般的にはあまり分かりにくい部分だと思いますけど、広報と言う仕事はどうでしたか?」
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- 加藤
- 「基本的にプロ野球の広報はチームや選手を売り込むと言うより、マスコミとかから仕事を受けてそれを処理をしていくって言う仕事だったよね。それと球団の監督に仕えてたから、普通じゃ会えないような人とも知り合えたし、いろいろな話も聞かせてもらえたし、すごい財産になったな。それが今のこの会社の土台にもなってるんだけどね」
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- 真木
- 「そうなんですね~。そういう流れがあって当時の近鉄の梨田監督との信頼関係も出来て、近鉄球団が合併でなくなった後、梨田監督のマネージメントもするようになったんですよね?」
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- 加藤
- 「そうだね」
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- 真木
- 「じゃあ、そろそろ最後になってしまうんですが、そんな野球人生を送ってきて今も野球と密に関わり続けている加藤さんから、全国の野球少年やその家族の人達に何かアドバイスをしてもらえますか?」
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- 加藤
- 「アドバイスなんて偉そうな事じゃないんだけど、子供達には真正面から野球に取り組んで欲しいと思うな。特に子供のうちなんかは、誰の為でもなく、自分が上手くなりたい、試合に勝ちたいって素直に思えるようにね。そして家族の人達は、子供達がそういう気持ちになれるように環境を整えてあげる。今の親御さんたちは子供以上に熱くなりすぎて、それが子供に伝わってしまってるケースが目につくね。もちろん子供の為に一生懸命になるのは良いと思うんだけど、それをどこまで子供に伝えて見せるのか?それがあまり強すぎると、子供がプレッシャーに感じてしまったり目的が何なのかを見失ってしまうケースもあるような気がするね」
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- 真木
- 「そうですね~、どうしても今の時代は親が関わってくる事が必然になってきてしまってますもんね。だから親も気持ちが入りすぎてしまうのは自然なことなんでしょうけど、それを子供に対してどう見せるのか?と言うのは大人として考えなければいけなのかもしれないですね」
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- 加藤
- 「冷めるのとは違うんだけどね、見守ってるよって言うくらいがちょうどいいんじゃないかなと思うな。子供がやるもんなんだからね」
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- 真木
- 「そうですね。そろそろ時間なのでまだまだ聞きたい事もたくさんあったんですけど・・・。お忙しいところ本当にありがとうございました」
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- 加藤
- 「いやいや、こちらこそありがとう」
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- 真木
- 「梨田さんのWBC、陰ながら応援してます」
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- 加藤
- 「よろしく」