- 所属球団
- 元阪神タイガース
元西武ライオンズ
元ヤクルトスワローズ
- 氏 名
- 清家 政和(せいけ まさかず)
- ポジション
生年月日
出身地 - 内野手
1959年10月7日
福岡県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 白銀中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 柳川商業高等学校(福岡県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1977年 ドラフト3位 阪神タイガース
- 所属球団( )内は背番号
- 1978年~1982年 阪神タイガース (55)
1983年~1990年 西武ライオンズ (54→9)
1991年~1992年 ヤクルトスワローズ (7) - 引退
- 1992年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:15年
-
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 228 406 41 36 90 19 1 1 2 24 2 24 3 72 .222
- 1993年~1997年 西武ライオンズ 二軍コーチ
1998年~2001年 ㈱アソボウズ
2001年~2002年 韓国プロ野球 LGツインズ一軍コーチ
2003年~2004年 ㈱エレクトロデザイン
2005年~2007年 楽天イーグルス 二軍コーチ
2008年~2010年 西武ライオンズ 一軍コーチ
2012年~現在 ㈱ムーブワン プロスポーツ研究室 室長
- 【 会社名 】
- 株式会社ムーブワン
- 【 住所 】
- 東京都府中市宮町2-1-2
- 【 電話番号 】
- 042-352-8181
- 【 - 】
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- 【 - 】
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- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://www.move-one.jp/
「一つ一つの練習メニューにちゃんと説明をして理解をさせると結果がまったく変わってくるんだよ!」
-
- 真木
- 「今日はお忙しい中ありがとうございます。清家さんは選手としてはもちろんですが、プロのコーチとしても実績のある方ですのでいろいろなお話を聞かせてもらえるのを楽しみにして来ました。よろしくお願いします。清家さんは野球を始めたのはいつ頃だったんですか?」
-
- 清家
- 「小学校の4年生くらいだったかな。地域の野球チームに入ったんだけど、体もあまり強い方じゃなかったんで休んだりする事もあったし、試合に出るっていってもそんなに重要じゃないところで出る程度だったかな」
-
- 真木
- 「そうなんですね~。中学時代はどんな感じだったんですか?」
-
- 清家
- 「そのまま野球は好きで続けたかったから中学校の軟式の野球部に入ったんだけど、1年の時は顧問の先生が大会の直前くらいしか練習に来ないような部だったから、普段は下級生は走らされてばっかりだったね」
-
- 真木
- 「でも、清家さんが行かれた柳川商業高等学校(現・柳川高校)って、当時でも超名門高校でそんな簡単には入れないですよね?」
-
- 清家
- 「そうそう、中学2年生になってから野球部の顧問の先生が変わって、それからはしっかりと練習もするようになって、実際最上級生の時に県大会で優勝までしちゃってね。その時のチームメイトのキャッチャーが体も大きくて活躍してたから、柳川はその子を取りに来てたんだ。そしたらたまたま僕の事も評価してくれたみたいでキャッチャーの子と一緒に声を掛けてもらってね」
-
- 真木
- 「そうなんですね~。じゃあ清家さんの後の野球人生って、その顧問の先生が変わってたかどうかでも大きく違ってたかもしれないんですね~。人間の巡り合わせというかタイミングって恐ろしいですね。 いざ超名門の柳川に入学してからはどうでしたか?」
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- 清家
- 「いや~、当時は1学年で100人以上が入学して来るんだからホント凄かったよ。ここでレギュラーを取れるとも想像も出来なかったしね。とにかく野球で入学させてもらったんだから、両親の為にも絶対に野球を続けて卒業しなきゃって思いばっかりが先にあったね。後になってプロのスカウトの人に聞いた事があるんだけど、昔は、九州の高校生を見てまわる時には、まず第一に柳川を見に行くって言うくらいの高校だったみたいなんだ。まず柳川を見たら九州全体のレベルが見えてくるんだって」
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- 真木
- 「へ~、それも長年やってるプロのスカウトならではの眼なんでしょうね。でもそれだけ常に九州のトップだったって事ですよね。実際、甲子園でも優勝してる高校ですしね。
結果100人以上の中で勝ち抜いていったその道中はどうでしたか?」
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- 清家
- 「いやいや、勝ち抜いたなんて思ってないよ。1年の時も2年の時も試合には出られなかったし、練習が大変なのはもちろんだけど、やっぱりそれと同じくらい寮生活も大変だったからね。ホント、何度も逃げ出したいと思った事は事実だね。でも今の時代はいろいろと問題視される事も多いけど、そう言う事を耐えてきたからこそ後に良い思いをする事が出来たって言うのもあるし、人間として強くなったとも思うよね」
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- 真木
- 「確かにそうですよね。僕の時代もそういうのはまだあってその当時はすごく嫌に思ってましたけど、でもこうやって大人になってから振り返るとそういう厳しさがあったから・・・と思うことはありますもんね。
ところで話は戻りますが、僕の勝手なイメージでは清家さんと言えば内野手で守備の職人って感じなんですけど、その頃の守備ってどんな感じだったんですか?」
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- 清家
- 「高校に入学してしばらくはずっと外野手をやってたんだよ。どちらかと言うと守備よりも打撃の方が得意だったから、守備は守れれば良いって程度だったと思うな。もちろん1年生でも2年生でも試合には出れてなかったから、その頃はまさかレギュラーになれるとも思ってなかったしね」
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- 真木
- 「そうなんですか?じゃあ実際に内野手をやり出したのはいつくらいだったんですか?」
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- 清家
- 「しばらくはそんな高校球児だったんだけど、新チームになる時に各ポジションを見ていくとやっぱりそれぞれレギュラークラスの選手がいて固まりつつあったんだけど、たまたまサードだけが固定されていなくて、それではじめてサードにコンバートされてね。それまでずっと外野をやってたもんだから、そりゃ内野手の捕り方になってないとか言われて、とにかく午前も午後も守備練習ばっかりだったね。それで新チームになってから初めての背番号発表で一ケタの番号をもらえたのが少しずつ自分の意識が変わっていったキッカケかな」
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- 真木
- 「そこで初めて本格的に内野手になったんですね?」
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- 清家
- 「そうだね~。それで必死に守備も練習して、一冬越して春先くらいかな、やっとサードでレギュラーを取れたって言えるのが。今度そうなるとやっぱり欲と言うかね、高校の大先輩でもプロで活躍する人が多かったり、実際に1学年先輩でもドラフトで3人プロ入りしてたのを目の当たりにしてたもんだから、柳川商業高校でレギュラーを取れたって言う自信がプロを現実的に意識しだしたかな」
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- 真木
- 「プロ入りする時には内野守備と言うのは自信はあったんですか?」
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- 清家
- 「いやいや入団してから阪神時代の5年間は、どちらかと言うと打撃が売りのタイプだったから守備はそうでもなかったんだよ。入団した時はショートが藤田平さんってもうベテランの先輩だったからそこでレギュラーを競えと、そしたら翌年トレードで真弓さんが来たから、今度は中村さんのセカンドで競えと、そしたらまた今度は岡田さんが来て、と言う感じで結局ショート・セカンド・ファースト・外野って、出場機会を求めてコンバートされる事の繰り返しだったんだ」
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- 真木
- 「へ~、僕のイメージの清家さんとは違うんですね。 じゃあ反対に、あの名手・清家さんはどこで築き上げたものなんですか?」
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- 清家
- 「まあ、そうは言いながらもちろん阪神でも練習はする方だったんだよ。そんな中5年目の終わりで西武にトレードで移籍して、そこで広岡さんや近藤さんと巡り会って、まず移籍した最初の春のキャンプではとにかく守備練習ばっかりだったんだ。朝の早出で守備練習、チーム練習の中でも特守を受けて、練習後の夜も道場みたいなところで守備の基礎練習みたいな事をして、毎日毎日ホントにそればっかりの繰り返しだったんだよ。そしたら実践の紅白戦で守備についてみると、何かそれまでとは違った感覚が生まれてて、自然の流れの中で打者のインパクトに合わせて体が動いてたし、動きの中で「捕る」「投げる」って動作が出来るように自分でも感じるようになったんだよね」
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- 真木
- 「それはやっぱり反復練習で数をこなした事が理由なんですかね?」
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- 清家
- 「たぶんそうだろうね~。それに、広岡さんや近藤さんは、そういう基礎練習の時でも何の為にこれをやってるのか?これをやったらどうなるのか?と言う事を説明しながら教えてくれたって言うのも違ったのかな?実際、阪神の時でも同じような練習方法はやってたからね。それでも結果は違ったから。 僕がコーチになってからでも、メジャーに行った西武の中島選手でも似たような事があって、たぶん僕の想像では、当時の中島よりも若い選手達って守備だけで言ったら中島選手よりも自分の方が上手いって思ってる選手はいたと思うんだ。もちろん口には出してないから分からないけどね。でも、2008年だったかな?西武のコーチにデーブ大久保が来て、アメリカで取り入れてるアーリーワークをキャンプで取り入れようと言う事になって、若手に混じって中島も参加して守備練習にも取り組んだんだ。その時に同じように一つ一つのメニューを説明しながら取り組むようにしたら見るからに足さばきだったり動きが明らかに変わったんだよね。みんな同じような練習はしてるんだよ。それをちゃんと意味を考えてやるかやらないかで結果が変わってくると思うな」
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- 真木
- 「今、一つ一つのメニューに説明をしてたって言われましたけど、清家さんの考える内野守備の基礎中の基礎を言葉で表現するとしたらどんな事ですか?」
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- 清家
- 「僕は、野球全般に言える事だと思ってるんだけど、いかに力が抜けるかと言う事が重要だと思ってるんだよね。バッティングだったら手でバットを持つし守備だったら手にグラブを持ってるから、つい上体に力が入りがちなんだけど、上体に力が入れば入るほどスピードも遅くなるし力が伝わらないんだよね。と言いながらも、僕もそういう事に気が付いたのはユニフォームを脱いでからなんだけどね」
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- 真木
- 「力を抜くって言うのは本当に難しい事ですもんね~。永遠のテーマですね。
清家さんは現役生活も長いしコーチ暦もありますけど、清家さんにとってプロ野球生活の中で一番思い出に残ってる事ってどんな事ですか?」
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- 清家
- 「う~ん、何?って聞かれたら、やっぱり日本シリーズでホームランを打った事かな。僕の通算成績を見てもらうと分かるんだけど、15年の現役生活でシーズン中のホームランは1本しか打ってないんだよね。しかもその1本と日本シリーズでの1本と、どっちが先かって言ったら日本シリーズの方が先なんですよ。しかも貴重な追加点のホームランで、その試合で日本一を決めた試合なんですよ。だから尚更格別ですよね」
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- 真木
- 「日本シリーズに出場できるって言うだけでプロ野球選手としてでも格別ですけど、その上ホームランを打っちゃうなんて憧れますね。
じゃあその反対で、悪い思い出ってありますか?」
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- 清家
- 「よく野村監督が言ってるけど、野球って絶対に失敗がつきまとうスポーツなんですよね。だからよくエラーもしたし失敗も多かったですよ。あんまり悪い思い出って覚えてないけど、強いて言えば怪我をしてしまったことかな」
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- 真木
- 「どこを怪我したんですか?」
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- 清家
- 「膝の半月版を壊してしまって、それを隠し続けて試合には出てたんだ。1988年のちょうどショートのレギュラー争いをしてる時だったから特に言えなかったね。試合の前夜に痛み止めの薬を入れて、試合開始直前にも痛み止めを飲んでたんだけど、痛み止めって3時間くらいしかもたないから、試合の終盤頃には足を引きずってるような状態だったもんね。
その怪我について、その時はトレーナーも一生懸命に治療してもらい、監督やコーチには内緒にしてもらったんだ。、シーズン後に手術するのも最初球団からは球団の主治医じゃないと治療費は出さないとか言われてね。さすがに手術はしっかりとやりたかったから自分で病院をいくつも回って病院を見付けたんだ。結局球団は治療費を出してくれたけど」
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- 真木
- 「手術をしてからは元のプレーに戻りましたか?」
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- 清家
- 「いや~、手術は自分で探して納得のいく先生にお願いしたんだけど、その後のリハビリについては球団任せにしてしまったんだよね。そしたら、ボディビルダーのようなムキムキの人が通うようなスポーツジムに行くようになってしまって。そんなリハビリを経てグラウンドに復帰してからある日、他球団で首位打者をとった選手が僕の守ってるショートのすぐ横に打球を打ってヒットになったんだ。
そしたらその選手が僕の近くに来た時に、前までの清家だったらあれくらい捕って捌いてたはずなのにどうしたんだ?と聞かれるくらい、やっぱりガクッと落ちたね~」
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- 真木
- 「じゃあやっぱり最後ユニフォームを脱ぐと言う決断は膝の限界でもあったんですか?」
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- 清家
- 「そうだね~。最後はヤクルトに移籍したんだけど、やっぱり体が動かないんだよ。ちょうどその時が現役生活15年と言う節目でもあったし、さっぱりとユニフォームを脱ぐ事は決断できたかな。特に気持ちを引きずるような事もなかったしね」
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- 真木
- 「僕も含めて大多数の人たちは現役選手に未練を持ったままユニフォームを脱ぐことになるんですけど、そこまでスッキリユニフォームを脱ぐことができたなんてすごく羨ましいです。
まだまだお聞きしたいことはたくさんあるんですけど、時間もなくなってきてしまったので最後に、これからプロを目指して頑張っている野球選手たちに何か清家さんからのアドバイスをお願いできますか?」
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- 清家
- 「野球に限らず勉強とかも同じだと思うけど、何事も急にはうまくならないよね。それを常に頭に入れてコツコツと継続する事が大切だと思うね。それが出来れば誰だってある程度のレベルまでは上達するはずなんだよね」
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- 真木
- 「そうですね。地味で単調な反復練習とかが一番継続するのが難しいんですよね」
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- 清家
- 「そうそう、もう4~5年くらい前の話だけど、ヤクルトの内野手の宮本選手が新聞の記事で読んだんだけど、その時で既に宮本選手は15年くらいやっていて現役プロ野球選手の中でもトップクラスの内野手の彼が「そろそろ壁あての練習をやらなくてもいいかなと思い始めました」ってコメントしてたんだ。壁あてっていう練習は、自分で壁にボールを投げて返ってくるボールを捕ると言う単純な作業なんだけど、宮本選手はその練習が内野手のグラブさばきの基礎だと考えてるんだろうね。あのクラスの選手でもそれだけ基礎練習を大切にしているって事なんだから、若い選手はもっともっとやらなきゃいけないって事なんだよな」
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- 真木
- 「そうなんですね~。それは自分も初めて聞きましたけど、あの宮本選手がそんな練習をしている生の姿を見たら感じる事も多いでしょうね~。
僕はピッチャーしかやってこなかったので、やっぱりこうやって内野手の話をじっくり聞いてみるとすごく新たな発見もありましたし刺激も多かったです。清家さんは子供たちだったり、いずれはまたプロのユニフォームを着て指導することもあるでしょうから、もっともっと多くの人にこういう生の話をしていって欲しいと思います。
今日は本当にありがとうございました」
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- 清家
- 「いえいえ、こちらこそありがとう」