杉本 剛太 (旧姓:国木) 

profile

所属球団
元広島東洋カープ
氏 名
杉本 剛太 (旧姓:国木)(すぎもと ごうた)
ポジション
生年月日
出身地
投手(左投左打)
1984年1月31日
大阪府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
ジュニアホークス(ボーイズリーグ)
出身高校
上宮高校(大阪府)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
2001年 ドラフト6位 広島東洋カープ
所属球団( )内は背番号
2002年~2005年 広島東洋カープ (62)
引退
2005年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:4年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

next stage

2007年~2010年   「Gスポーツ」野球用具店
2011年~現在    「GS野球塾」
【 塾名 】
野球塾 「GS野球塾」
【 住所 】
大阪府堺市東区北野田118-6
【 開講日 】
月・火・木・金 16:30~
【 受講生 】
小学生から大人まで
【 問い合わせ 】
090-3922-3435
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://gs-yakyuujyuku.p1.bindsite.jp/index.html

interviews

「現役を引退しても野球から離れるなんて考えた事もないですよ」

  • 真木
    「子供たちの指導の後で疲れてるところ申し訳ないけどよろしくね」
  • 杉本
    「いえいえ、全然大丈夫ですよ。こちらこそよろしくお願いします」
  • 真木
    「今日はグラウンドを借りて試合形式での野球塾だったんだね?」
  • 杉本
    「そうですね。春・夏・冬休みの期間はたまにグラウンドを借りて近くのチームと試合をさせてもらう事もあるんです。普段は基礎練習ばかりなので子供達もたまに試合をすると楽しんでくれますね」
  • 真木
    「ホントそんな感じだったね。試合を見せてもらったんだけど、普段の練習で取り組んでる課題を試合の中でちゃんと発揮できるように・・・って意識してるように見えたよ。
    子供に野球を教えるのって大変でしょ?難しい事を言っても通じないだろうし・・・」
  • 杉本
    「以前は子供ってあまり好きじゃなかったんですよ。僕自身が生意気な子供だったからなんですけどね。
    始めの頃は野球を教えて欲しいって言われて見てあげたりしてたら、みんな真剣に話を聞いてくるしうまくなりたいって一生懸命練習してる姿を見て、教えてる僕自身も嬉しくなってきたんですよ」
  • 真木
    「へ~、もともとは子供が好きじゃなかったのに今は子供に野球を教える事が仕事になってるなんてすごいね~。
    杉本君自身はどんな野球少年だったの? 野球を始めたキッカケは?」
  • 杉本
    「僕は完全に兄の影響ですね。僕が小学校2年生の時に学校ではバスケが流行ってたんです。テレビのBS放送でマイケルジョーダンを見たりするくらいバスケをやりたかったんですけど、ちょうどその頃2歳上の兄が野球を始める事になって、そしたら親から一緒に行きなさいってほとんど無理やり行かされてました。最初はいやいや行っていたのを覚えてますね」
  • 真木
    「いやいやだったんだ? しかも小学校2年生って言ったらまだ試合に出れるほどでもなかっただろうしね」
  • 杉本
    「そうですよ。いやいやだったからか、いつも練習の帰りに兄とケンカをして別々で帰ってた記憶があります」
  • 真木
    「野球を始めたキッカケはいやいやだったって言う人も珍しいかも。 そこから野球が好きになるまでにどんな事があったの?」
  • 杉本
    「いつからかははっきり覚えてないですけど、とにかく負けず嫌いで、投げたり、打ったり、走ったり、何をしても兄の方が上だったんですよ。それが悔しくて悔しくて・・・。そういうのもあって、学校から家に帰ってくるといつも一人で壁当てしたり、自分の影を見ながらバットを振ったりしてました。 友達と遊んだりするよりも一人でそういう事をする方が楽しいと思えてましたね」
  • 真木
    「小学生の頃から努力家だったんだ?」
  • 杉本
    「う~ん、その頃はそれを努力だとか練習だとか思ってやってた訳じゃないんですよね。ただそれが楽しかっただけなんです。
    と言うのも、夜に父親が帰ってきたら兄と一緒に近所のランニングコース10周のタイム走を走らされてたんです。そういうのはいやいややってましたもんね」
  • 真木
    「やらされるのは嫌だったんだね。 そういう事は中学生になっても続いてたの?」
  • 杉本
    「多少友達と遊んだりすることも増えましたけど、でも一人で黙々とバットを振ったり、自分の中で目標を決めてそれに向かってやったりしてましたね」
  • 真木
    「ジュニアホークスって硬式のボーイズリーグのチームだよね?練習は厳しかった?」
  • 杉本
    「厳しかったですね~。僕らよりも上の先輩たちはもっと厳しかったそうですけどね。ウォーミングアップが2時間くらいあってずっと走りっぱなしだったりとか。あとは挨拶とか礼儀とかにもかなり厳しかったです。 でもそのお蔭で上宮高校に進学してもしんどいって思う事はあまりありませんでしたね」
  • 真木
    「高校はどうだった? 上宮高校って言ったら名門校だからいろいろと大変な事も多かった?」
  • 杉本
    「もちろん監督も厳しかったし大変だったけど、でも1学年上のキャッチャーの先輩がすごく尊敬できる人で、この先輩がいたからピッチャーとして成長できたんだと思います。当時はまだコントロールが悪くて四球を出したらダメだと意識しすぎてたんです。そんなある時、その先輩から『四球を出しても結局は点を取られてないんだから気にするな!』って声を掛けられて、それから何か吹っ切れたような気持ちになれて思い切って投げられるようになったんです。そしたら不思議と四球も減ったんですよね」
  • 真木
    「あ~、俺もピッチャー出身だからその気持ちは分かるな。今考えれば簡単な事なのかもしれないけど、マウンドの上にいるとなかなかそうは思えないんだよね。しかもそれが中学生とか高校生とかだったら尚更だよね。
    それで3年生の夏の予選中に骨折をしたんだっけ?」
  • 杉本
    「そうなんですよ~。大阪予選のベスト16の時、試合前のウォーミングアップ中だったんですけど、球場の外の狭い場所でアップをしててチームメイトとぶつかって転びそうになったんです。その時とっさに左手をついたら痛めてしまって。それまで骨折なんてしたことなかったのでまさか折れてるなんて思ってもなくて、メチャクチャ痛かったんですけどその日は4番・ファーストのスタメンだったのでそのまま試合には出たんです。しかも3安打打ったりして勝ったんですよ。でも結局それが左手首の骨折だったので、それ以降は投げられずに終わりましたね」
  • 真木
    「ピッチャーにとって投げる方の手の手首なんて生命線だもんね。指先の感覚とかリリースの感覚とか全く変わってしまうだろうし苦労しただろうね~」
  • 杉本
    「そうですね。結局高校の時に1回とプロに入ってからも2回で、同じ個所を3回手術する事になりましたね」
  • 真木
    「プロに入ってからもしばらくはケガとの闘いだったんだよね? 最終的にリハビリとかもして投げられるようになった時は、ケガする前の感覚に戻れたの?」
  • 杉本
    「いえいえ、やっぱり最後まで手首には悩まされましたね。プロに入って2年間は、手術もしたしリハビリばっかりで全然野球が出来なかったんですよ。やっと3年目になって投げられるところまではきましたけど、やっぱり手首の感覚は普通ではなかったので特に変化球の指先の感覚には苦労しましたね。
    それでも3年目の8月12日、二軍の近鉄戦にリリーフでプロ初登板をしたんです。その時はやっと自分もプロのマウンドに立てたんだって実感できて嬉しかったのを今でも覚えてますね」
  • 真木
    「今になって振り返ってみたらプロ野球生活ってどうだった?」
  • 杉本
    「う~ん、今となってみればケガも含めて良い経験が出来たし、その経験が今になって活かされてるんだと思えますけど、やっぱり当時は苦痛の毎日でしたね。もちろんプロに入団する前からのケガではあるんですけど、プロに入った瞬間から他の選手とは別メニューばっかりでしたし、そうなるとどうしても焦りも出てきてケガのリハビリにも良くなかったと思うんですよね」
  • 真木
    「プロ生活のほとんどがケガとの闘いって言うのは大変だったと思うな~。それでもこうやって現役を引退しても野球に関わり続けられるってところが本当に野球が好きなんだろうな~って思うよ。 それだけケガに苦労させられたら、もう野球はいいやって思ってもおかしくないと思うけどね」
  • 杉本
    「そうなんですかね? 僕は自分が選手を辞めても何かしら野球と関わり続けたいって思いはずっとありましたね。もともとグラブを何個も持ってたりするくらい野球の道具が好きだったので、最初は野球用具のショップを始めたんです。お店をやってる時から、近所の子供達や親から空いてる時間で教えてくれないか?って要望があって、最初はお店を家族に任せられる時間だけ教えに行ったりしてたんですよ。そしたらだんだん子供達が多くなって時間が足りなくなってきたんです。それで思い切ってショップをやめて野球塾に専念する事にしたんです」
  • 真木
    「今日一日だけだけど教えてるところを見させてもらって、杉本君本人も子供達も、みんな楽しそうにやってたね」
  • 杉本
    「僕自身はとても楽しいですよ。 最初の頃に教えてた当時小学校3年生くらいだったかな、その子が今度、野球推薦で高校に進学する事になったんです。そういう些細な事でも自分の事のように嬉しく思いますし、もっともっと一生懸命野球に取り組める子が増えていってくれたらいいな~って思いますね」
  • 真木
    「小学生や中学生を毎日のように教えてる杉本君から、全国の野球少年たちやその家族の人達に何かアドバイスをするとしたらどんな事ですか?」
  • 杉本
    「そうですね~、自分が教えてる子達にも常に言ってるんですけど、とにかく自信を持ってプレーしなさいって。どのスポーツでも同じだと思いますけど、やっぱりメンタル(精神面)の部分が重要になってくるので、自信がなくて不安なままプレーするのと、自信を持って堂々とプレーするのとでは結果が変わってくるんですよね。 それは僕自身が経験してますからね」
  • 真木
    「その自信ってどうやったら持てるようになると思う?」
  • 杉本
    「これもウチの子達には言ってますけど、常に目標を持たせるんです。簡単すぎてもダメだしムチャな目標でもダメ。時には遊び感覚の目標だったりする事もあるんです。例えば、全員で阪神タイガースの鳥谷選手の打ち方のマネをしてみようとかね。 それを出来てれば褒めてあげるし、出来てなければ怒るんじゃなくて出来てないって事を教えてあげるんです。 そうやって次までに出来るようにチャレンジさせるんです」
  • 真木
    「子供を教えるからこその工夫だね。まだ子供だからこそ、野球の楽しさも伝えていかなきゃいけないし、反対に楽しいだけでもダメだしね~。 心から野球が好きで杉本君本人がいろいろな経験をしてきてるから子供達にも伝わる事が多いんだろうね」
  • 杉本
    「これは僕の勝手なんですけど、僕に出来なかったことを子供達にはたくさんしてほしいと思いますね。最終的には、僕の教えた子供達がプロで1勝してくれたら幸せでしょうね~」
  • 真木
    「そういうのいいね~。杉本コーチの為に!みたいなね。 ここ大阪の堺市からたくさんのプロ野球選手が生まれる事を期待してるよ!」
  • 杉本
    「はい、子供達に頑張ってもらいます!」
  • 真木
    「今日は本当にありがとう」
  • 杉本
    「いえいえ、こちらこそです」
  • 真木
    「またちょこちょこ遊びに来させてもらうから、よろしくね」
  • 杉本
    「はい、いつでも来てください」
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