- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
- 氏 名
- 高塚 信幸(たかつか のぶゆき)
- ポジション
生年月日
出身地 - 投手・捕手・内野手
1979年8月2日
和歌山県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 和歌山シニア
- 出身高校
- 智弁和歌山高校(和歌山県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1997年 ドラフト7位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1998年~2003年 近鉄バファローズ (66)
- 引退
- 2003年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:6年年
-
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 -
- 2004年~現在 「金鮓(きんずし)」若旦那
- 【 店名 】
- 金鮓
- 【 住所 】
- 兵庫県洲本市本町4丁目1-39
- 【 営業時間 】
- 17:00~22:00
- 【 定休日 】
- 日曜日
- 【 電話番号 】
- 0799-24-5460
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://tabelog.com/hyogo/A2806/A280602/28020741/
「淡路島は近場のリゾート地として楽しめるところが多いんですよ。お店にも気軽に来てもらえると嬉しいですね」
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- 真木
- 「どうも、開店準備の忙しい時間にありがとうな」
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- 高塚
- 「いえいえ、仕込みの昼休み中なので大丈夫ですよ」
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- 真木
- 「もうここ淡路島に来て職人さんになって何年になる?」
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- 高塚
- 「え~っと2004年からですから9年目ですかね」
-
- 真木
- 「もうそんなになるんだ~? 俺も1年に1回か2回くらいしか来れてなくて、最初の頃はまだ自分では寿司を握れてないって言ってたけど、途中からは高塚本人が握ってるんですよってお寿司を出してくれるようになったもんな~」
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- 高塚
- 「そうですね。まだ握れなかった頃が懐かしいですよ」
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- 真木
- 「今じゃ立派な寿司職人な訳だけど、もともと野球を始めたキッカケは何だったの?」
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- 高塚
- 「小学校1年生の時ですね、3歳上の兄がいて野球チームに入ってたんです。父も母も仕事で家にいなかったからいつもそこに付いて行ってたら、監督に『誰だ?』って声を掛けられるようになってチームに入りましたね」
-
- 真木
- 「1年生だったら野球になるわけじゃないもんね?」
-
- 高塚
- 「そうですね、その頃は球拾いとかボール遊びって感じでしたね」
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- 真木
- 「それから学年が上がるにつれ試合に出るようになって? その頃からピッチャーだったの?」
-
- 高塚
- 「いえ、ピッチャーもやってはいましたけど、主にはキャッチャーでしたね」
-
- 真木
- 「キャッチャーだったんや? じゃあ本格的にピッチャーをやり出したのは中学になってから?」
-
- 高塚
- 「そうですね。中学では、最初は学校の軟式の野球部に入ろうと思ってたんですけど、父親が和歌山シニアって言うチームの代表と勝手に話を決めてきて、結局硬式のシニアでやる事になったんです。本格的にピッチャーを始めたのもそこからですね」
-
- 真木
- 「和歌山シニアって言ったら強いチームだもんね~。 それで高校は智弁和歌山だよね? 高校を智弁に決めた理由は何だったの?」
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- 高塚
- 「高校も最初は違うところに行くつもりだったんですけど、シニアのチームメイトが智弁の練習に参加するって事でついでに一緒に行ったんです。そこでピッチング練習をしていたら声を掛けてもらって・・・。 それでよく話を聞いてみたら、入試の勉強をしなくても合格できるって事を聞いたので決めましたね。その頃は高校受験の勉強をしなきゃいけないって事がすごく嫌だったんですよ。 不純な理由でしょ~?」
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- 真木
- 「たしかに不純だね~。 でもそれで、高2の春の甲子園で準優勝、高3の夏の甲子園では優勝しちゃうんだからすごいよね~。やっぱりそれには、高嶋監督率いる名門・智弁和歌山の野球があるんかな? 智弁和歌山ってどんな練習してたの?」
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- 高塚
- 「長い・苦しい、って練習ですね・・・。それでも体が健康な時は頑張れてましたけど、2年の夏の大会が終わってくらいに本格的に肩を壊してしまって投げられなくなったんです。それからは精神的にも辛かったですね」
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- 真木
- 「普段の練習時間はどれくらいなの?」
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- 高塚
- 「学校がある日は昼の2時半くらいから夜9時くらいまでですね。学校の制度で、野球部はみんな国際スポーツ課ってクラスで午後の授業が練習になるんですよ。他の一般は超進学校で、毎年東大に何人も行くような学校なので、他に部活もないんです。だからグラウンドも野球部専用みたいなもんでしたね」
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- 真木
- 「じゃあ練習練習で根性野球なんだ? 現実的に自分がプロに行けるかもって思い出したのはいつくらいだった?」
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- 高塚
- 「高校1年の秋くらいでしたね。和歌山予選で勝って近畿大会でも勝ってセンバツを決めてたんで、その頃からプロのスカウトや新聞なんかに取り上げられるようになってきてですね」
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- 真木
- 「そうなんや? でも、結局は2年の途中で肩を壊したまま高校野球生活を終えたわけでしょ? 肩の故障持ちのままドラフトに掛かるってほとんどないケースで凄いと思うな。 ドラフト前後ってどうだったの?」
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- 高塚
- 「自分も正直ドラフトは諦めてましたね。ある名門の社会人チームからも内定をもらってましたし。そしたらドラフトの数日前、高校の野球部の練習に出てバッティングピッチャーをやってたところを、たまたま近鉄のスカウトが来られてて見たらしいんです。それを見て投げれそうだと言う事で指名されたそうなんです。 でも実際ドラフトの当日は悔しいと言うか良い思いはなかったですね。と言うのも、同級生の中谷が阪神のドラフト1位で指名されてて、やっぱり周りからも比較されますし、自分自身でもそういう風に考えちゃいましたね。正直、嬉しいって感情は記憶にないですね」
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- 真木
- 「いろんな状況があるだろうけど、ドラフトに掛かって嬉しさがないって複雑だね~。
今までの長い野球人生の中で、一番記憶に残ってる事ってどんな事?」
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- 高塚
- 「う~ん、高校1年の秋の大会で、和歌山大会でも近畿大会でも、準決勝・決勝が連投だったんです。そしたらその2大会とも、翌日の決勝では打ち込まれてしまって連投が効かない、体力の無さを痛感させられたんです。それがメチャクチャ悔しくて、それから毎日、夜の9時に練習が終わってから照明は消えてるんですけど残って1時間は走り続けたんです。後にロッテに入団する同級生の喜多と一緒に居残り練習を欠かさなかったですね。
そのお陰で翌春のセンバツ甲子園では4連投で準優勝する事が出来ましたからね。やっぱり練習はウソをつかないって事ですよね」
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- 真木
- 「一番の記憶が悔しかった事って言うのは高塚らしいね。大の負けず嫌いなんだよね~。(笑)
じゃあ今度はプロ生活の中で嬉しかった思い出は?」
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- 高塚
- 「嬉しかったのは何と言っても、1年目のシーズンが終わってから行った教育リーグですね。その年は沖縄のハイサイリーグってやつだったんですけど、プロに入って初めて試合で投げたんです。入団してからはず~っとリハビリと強化練習ばかりで、シーズン後半にやっとブルペンやバッティングピッチャーを投げれるまでなったんですけど、まだ試合では1度も登板をしてなかったんです。だから自分のプロ生活の初登板だったんですよ。これで何とか来年につながるって思って嬉しかったのを覚えてますね」
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- 真木
- 「それだけ長い期間試合から遠ざかってたら嬉しいだろうな。よくシーズン中に試合に投げずにトレーニングコーチから走らされて、ピッチングコーチからトレーニングをさせられてって姿を見てたもんな~。
じゃあ反対にプロ生活での悪い思い出は?」
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- 高塚
- 「現役最後のシーズンで、その時は打者に転向していたんですけど、2軍にいて8月くらいになると今年でクビを宣告されるだろうなって雰囲気はあるじゃないですか。自分自身でも感じてはいましたけど、そんなある時期から2軍の試合前練習で、グラウンドでバッティングを打たせてもらえなくなってバッティングD班だけが室内で打たされるようになったんです。その時はホンマにむかつきましたね。
まあ案の定、そのシーズンの2軍の最終戦でバッティングD班が揃って代打起用ですよ。よくある思い出作りですよね。 思いっ切り振ってやろうと思いましたけど、ずっと室内でしか打たせてもらえてなかったんでタイミングも取れずにどん詰まりのショートゴロで終わっちゃいましたけど」
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- 真木
- 「それはなかなかひどい話だね~。そんなあからさまにしなくてもな~。
それで最後、戦力外を通告されてからはどうしたの?トライアウトとかは受けなかったの?」
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- 高塚
- 「トライアウトは受けませんでした。もう自分でも無理だと思い込んでましたしね。と言うより、もうその頃は野球を辞めてスッキリしてた感じでしたね。グラウンドに行くのもユニフォームを着るのも憂鬱になってたくらいですから。 言い方悪いですけど、気持ちが腐ってましたね」
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- 真木
- 「そっか~、その気持ちわかるな~。俺も同じ気持ちあったからね。
それからすぐにこの職人さんになるんやんな? その気持ちの変化とか、始めてみてどうだった?」
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- 高塚
- 「正直、修行の初日は、俺には無理だ~って悩みましたね。全く包丁が動かないんですよ。修行に行った先の料理長がやさしくて、初日から包丁を持たせてもらえて大根の「かつらむき」を教えてもらうんですけど一日中かかっても出来なくて・・・。普通の包丁だったら出来るのが、その包丁だと全然動かないんですよ。野球とはまた違ったイライラする辛さがありましたね。結局1週間くらいかかって、その料理長にやさしく教えてもらいながら乗り越えられましたね。 それからは料理に面白さも感じるようになって、ホント料理長には感謝してますね」
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- 真木
- 「野球の根性とは違うんや? 根性は野球で嫌と言うほど鍛えられてるのに、違う根性となると手強いな。料理の世界はまた全く分からない世界だな~。それが今となっては立派な若旦那だもんな~。
じゃあ最後に、今までの野球人生を振り返って、今からの野球選手になる子供達やその家族の人達に何かアドバイスをしてあげてくれる?」
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- 高塚
- 「う~んそうですね~。難しいですけど、とにかく野球の本当の楽しさを味わって欲しいですね。面白さとか奥深さをね」
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- 真木
- 「野球の本当の楽しさってどんな事?」
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- 高塚
- 「それはやっぱりヒットを打ったり盗塁したり、ピッチャーだったら抑えたり、試合に勝ったりする事ですかね。そういう経験をすればする程、自然と努力する事が出来るんじゃないですかね?」
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- 真木
- 「高塚の包丁も同じだもんな? 出来るようになってきて面白さが感じられるようになったから続けられてるんだもんな?
じゃあ本当に最後で、今まで応援してくれた人やこれから応援してくれる全ての人達にメッセージがあれば」
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- 高塚
- 「そうですね~。ここ淡路島で、野球から握り寿司に変わりましたけど新たな世界で頑張り続けてますので、また昔みたいに多くの人達に応援して欲しいですね。
お店には、もちろん淡路島の人達も多いですけど、大阪・神戸や四国からも来てくれたりしますので気軽に来てもらえれば嬉しいです」
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- 真木
- 「結構・プロ野球仲間とか芸能人の人も来るお店なんだよね?」
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- 高塚
- 「そうなんです。淡路島は、海もきれいだし温泉もあるしで、近場のリゾートとして楽しむところが多いんですよ」
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- 真木
- 「今日は忙しいところ本当にありがとう。また美味しいものを食べさせてもらいにくるからよろしくね」
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- 高塚
- 「はい、喜んで!」