- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
元千葉ロッテマリーンズ
- 氏 名
- 高柳 出己(たかやなぎ いずみ)
- ポジション
生年月日
出身地 - 投手
1964年6月2日
埼玉県
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 久喜南中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 春日部工業高校(埼玉県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- 日本通運
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1987年 ドラフト1位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1988年~1995年 近鉄バファローズ (20)
1996年 千葉ロッテマリーンズ (30) - 引退
- 1996年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:9年
-
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率 119 91 29 30 0 - 571.2 603 73 185 12 293 289 271 4.27
- 1998年~2002年 佐川印刷㈱ 軟式野球部 顧問
2003年~現在 「たかやなぎスポーツアカデミー」 開校
「高柳整骨院」 開院
- 【 名称 】
- たかやなぎスポーツアカデミー
- 【 住所 】
- 大阪府羽曳野市野268-5
- 【 開講日 】
- 月~金 16:30~
- 【 対象 】
- 幼稚園児 小学生 中学生 大学生
- 【 電話番号 】
- 072-939-9119
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://takayanagi-baseball.com/
「あの10・19のダブルヘッダーは異常だったね。普段では緊張なんてする事ない選手でも震えるくらい緊張してたし、プロ野球選手が涙を流しながら試合してたんだよ。」
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- 真木
- 「こんにちは、今日はお忙しい中ですがよろしくお願いします」
-
- 高柳
- 「いやいや、こちらこそ」
-
- 真木
- 「僕も近鉄にいた頃はよくこの近くまで通ってましたけど、最近は来ることがないので懐かしいです。 藤井寺球場ってここからすぐそこでしたよね?」
-
- 高柳
- 「そうだね。 もう今は球場を取り壊して学校が建ったりしてるけど、まだ球場があった頃はここから照明塔が見えてたね」
-
- 真木
- 「そうでしょうね~。 高柳さんと言えば、古き良き近鉄バファローズの全盛期のピッチャーでしたもんね~。 あの伝説の10・19ダブルヘッダーでも先発してますしね」
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- 高柳
- 「ハハハ、翌年のダブルヘッダーにも先発してるんだよね。ノックアウトされたけど・・・(笑)。 あの時は、普段は絶対に緊張なんかしない他のピッチャー陣が揃いも揃ってみんな緊張しちゃってて、俺も前日はヤバかったね~」
-
- 真木
- 「あ~、やっぱりそうなんですか? 僕が近鉄に入団した時のベテランの先輩達とかコーチの人達に当時の現役選手だった人も多くて、すごい歴史的な試合なんですけどなんとなく身近にも感じるんですよね。 やっぱり高柳さんもプロ時代の思い出って言ったらそのダブルヘッダーが一番になるんですか?」
-
- 高柳
- 「そうだね~。 次の年のダブルヘッダーは、あのブライアントのホームラン4連発も目の前で見てるんだよね」
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- 真木
- 「ホント、すごい時代ですよね~。 あくまで話に聞いてるだけなんですけど、その頃の先輩達ってみんな迫力があってメチャクチャだったってよく聞かされてました」
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- 高柳
- 「確かにメチャクチャだったね。 当時の藤井寺球場って内野と外野の間にブルペンがあるんだけど、紙を丸めてボールを作って、よく試合中に野球をして遊んだりしてたんだよ。 話せばキリがないけど、そんなんばっかり」
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- 真木
- 「そうなんですか~? 僕たちの時代でそんな事をしてたら間違いなく怒られてましたけど、その当時の近鉄は特別だったんでしょうね~」
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- 高柳
- 「ホント、いい加減な野球人生だったな」
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- 真木
- 「とは言っても子供の頃はメチャクチャ練習したんじゃないんですか? 高柳さんって野球を始めたのはいつからなんですか?」
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- 高柳
- 「中学に入ってからだね」
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- 真木
- 「え? 小学校の頃はやってないんですか?」
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- 高柳
- 「うん、小学校の頃は剣道をやってたから野球は全くしてなかったんだ。 でも、その剣道のおかげでピッチャーのけん制とかフィールディングが得意になったんだよ。 剣道って動きの素早さを求められるし、ステップも早いんだよ。 どこでどうなるか分からないもんだよね~」
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- 真木
- 「へ~、子供の頃の剣道の経験が野球に役立ったって珍しいケースですね~。
じゃあ中学からは結構真面目にやってたんですか?」
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- 高柳
- 「いや、中学でも10人集まるかどうかくらいの学校の部活だったから、全然真面目になんてやってなかったね」
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- 真木
- 「そうなんですか? じゃあ真面目に頑張ったのは高校入ってからですか?」
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- 高柳
- 「そうなるかな~。 高校は結構厳しかったしそこそこ強い学校だったからね。 でも1歳上にプロに行った先輩もいたからほとんど試合にも投げてなかったし、甲子園にも出れなかったからね」
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- 真木
- 「高校からやっと本格的に練習するようになって、それで高校卒業後に日本通運の社会人野球に進んで全日本のメンバーにも選ばれたんですよね? やっぱり元々の持ってる才能が違ったんでしょうね」
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- 高柳
- 「たまたまなんだよ。 高校卒業の時も特に進路が決まってた訳でもなかったしね。 自分から明治大学のセレクションを受けに行って、それまでの間、知り合いにお願いして日本通運で練習をさせてもらえるようになってたんだ。 結局、明治大学からも合格はもらってたんだけど日本通運からも声を掛けてもらって、1か月くらい練習をさせてもらってた日本通運の雰囲気がメチャクチャカッコ良くてそれで決めたんだ」
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- 真木
- 「なんかいろいろと話を聞いてると、高柳さんって何か強運を持ってそうですよね~。
ドラフトはどんな感じだったんですか? 1位指名だから、他の球団からの誘いもあったんですよね?」
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- 高柳
- 「まあ、どこまで本当だったかは分からないけど、何球団かからは指名の意志は聞かされてたね」
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- 真木
- 「それが結局近鉄が一番だったって言うのはどうでした?」
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- 高柳
- 「関東の人間からしたら近鉄って正直嫌だったね~。 監督も誰なのか知らなかったし、先輩選手でもあまり知らないようなチームだったからね。 正直、指名されて涙が出てきたね。 残念で・・・・・」
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- 真木
- 「でも、結局はそういうチームに行ってもそんな伝説に残るような最高の試合も出来て、しかもそこで2年連続でダブルヘッダーの先発をしてるんですもんね~。 やっぱり高柳さんは何かを持ってますよね。
それから現役の最後はロッテに1年行ってるんですよね?」
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- 高柳
- 「そうだね。 やっぱり年齢的に肩も壊れててずっと痛みとの闘いだったんだよ。そういういろんな事情もあって、名前は言えないけど当時のコーチとケンカをして最後ユニフォームを脱ぐ決断をしたね。
とは言っても、やっぱりユニフォームを脱いで1年くらいかな~、何をしてもやる気が出ないし、特に何をしてた訳でもなかったね」
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- 真木
- 「やっぱり高柳さんでもそういう時期があったんですね~。
そういうのを乗り越えて、今はこんな立派な施設で野球を教えてて羨ましいです」
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- 高柳
- 「野球を辞めてからもたくさんの人にお世話になってやってこれたよね。 現役の頃からお付き合いさせてもらってた社長さんの会社の野球チームを手伝ったり、たまたま治療院をされてる人に声を掛けてもらってここを始めるきっかけになったり。
ホント、感謝感謝だよ」
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- 真木
- 「一旦は現役野球生活が終わっても、こうやってまた野球に関わる仕事が出来てて羨ましいです。
今はこうやって子供達に野球を教えてると思いますけど、その高柳さんから、頑張ってる子供達やその家族の人達にアドバイスをもらえませんか?」
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- 高柳
- 「とにかく『勉強もしろ!』かな。 やっぱり何をするんでも、ある程度は勉強が出来るようじゃないとダメだよね」
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- 真木
- 「あ~、それ僕も同じく思います。 僕は勉強が出来るかどうかよりも、ただ体を動かすだけじゃなくて勉強をする集中力があるかどうかが大切だと思ってるんです」
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- 高柳
- 「そうだね、そういう事くらいできないと、大人になって事件を起こしちゃったり辛抱する事が出来ない大人になってしまうんだよね」
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- 真木
- 「さっきも子供達を指導してる時、みんなにテストがどうだったか聞いてましたよね?」
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- 高柳
- 「こうやって言い続ける事で、みんな自然と意識が持てるようになって成績も変わってくるんだよ」
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- 真木
- 「昔みたいに野球だけをやってれば良いとか、勉強なんかしなくても良いなんて、今の時代は通用しないですもんね。
チームの指導者もそうですし、こうやって高柳さんみたいに野球を教えてる人達がそういう指導をしてれば聞く耳も持ってくれるでしょうね」
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- 高柳
- 「そんな事ないよ。 みんなその場だけで聞いてる子が多いよ。 大人が根気強く言い続けないと」
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- 真木
- 「僕も今、子供達に指導したりする身なので、またいろいろと教えてくださいね」
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- 高柳
- 「おう、いつでも遊びにおいで」
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- 真木
- 「今日はお忙しいところ申し訳ありませんでした・
また今後ともよろしくお願いします」
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- 高柳
- 「OK!こちらこそありがとう」