安達 智次郎

profile

所属球団
元阪神タイガース
氏 名
安達 智次郎(あだち ともじろう)
ポジション
生年月日
出身地
投手・外野手
1974年8月21日
兵庫県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
神戸ドラゴンズ(ボーイズリーグ)
出身高校
神戸村野工業高校(兵庫県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1992年 ドラフト1位 阪神タイガース
所属球団( )内は背番号
1993年~1999年 阪神タイガース (12→99)
引退
1999年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:7年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

next stage

2000年~2002年  阪神タイガース 打撃投手
2002年~現在   焼酎バー「Rocket Ball」
2004年~現在   NPO法人 美蹴館ベースボールスクール
2006年~現在   神戸美蹴館ロケッツ設立(中学硬式チーム)
【 店名 】
Rocket Ball (ロケットボール)
【 住所 】
神戸市中央区中山手通1丁目17-6 北野フェニックスビル3F
【 営業時間 】
20:00~
【 定休日 】
日曜日・祝日
【 問い合わせ 】
直接ご来店ください
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://blog.livedoor.jp/bishuukan/archives/cat_50005599.html

interviews

「プロ野球生活ではいろんな経験ができて楽しかったよ。1人でも多くの子供達が野球を続けていけるようなプロジェクトを実現させるのが今の目標かな」

  • 真木
    「こんにちは、お久し振りです。 今日はお店開店前のお忙しい時にすみませんが、よろしくお願いします」
  • 安達
    「いえいえ、こちらこそよろしく」
  • 真木
    「村野工業の安達さんって言ったら僕達の世代では超有名な選手だったので今でも覚えてますよ。 僕って野球をするのは好きでしたけど見るのはそうでもなくて、プロ野球の選手とか甲子園の高校球児とかあまり詳しくないんですよ。 そんな僕でもハッキリと覚えてますからね~。
    子供の頃から有名な野球少年だったんですか?」
  • 安達
    「全然そんな事ないよ! だってピッチャーを始めたのも中学3年生の春からで、それまではずっとファーストやってたんだよ」
  • 真木
    「そうなんですか~? 今の今までそんなイメージ全くなかったです。 超エリートコースのピッチャーなのかと思ってました」
  • 安達
    「僕、子供の頃に小児ガンになってずっと運動を禁止されてたんだ。 だから学校の体育の授業とかもずっと見学してるような子供だったんだよ。 手術して何年も経って大丈夫ってなったのが小学校の3年生だったかな。 それで最初は家の近所のソフトボールチームに入ったんだ」
  • 真木
    「そんな大変な思いをしてたんですね」
  • 安達
    「だけどね、なぜか運動が出来なかったのに体育の授業中に友達が走ってるのを見てても絶対俺の方が速く走れるとか、休みの日にソフトボールを見てても絶対俺の方が打てるとか根拠のない自信を持ってたんだよね」
  • 真木
    「やってもないのにですか? それはまたあつかましい話ですね~(笑)。 それから野球はどんな風に始める事になったんですか?」
  • 安達
    「ソフトボールチームに入って1年くらいしたら、隣町の少年野球チームの人が来て『このソフトボールチームに左投げでバネのある子がいるって聞いたんだけど?』っていきなり来たんだ。 チームで左投げは俺一人だったから、今度はその人から家に連れて行ってくれって頼まれて・・・。 そんな流れで野球チームに誘われたのが小学校4年生だったかな」
  • 真木
    「それで野球に転向したんですね。 その時もピッチャーではなかったんですか?」
  • 安達
    「そうだね。 入ってすぐ、4年生の時から6年生のチームで1番・ファーストで試合に出してもらってたんだ。 そのまま中学の2年生まではず~っとファーストだったね。 左投げで背も高い方だったからね」
  • 真木
    「じゃあ逆にピッチャーをやるようになったキッカケは何だったんですか?」
  • 安達
    「中学3年生の春、ある日ファーストで試合に出てて当時の村野工業高校の部長さんが見に来てたらしいんだ。 その時に、守備でイニングの最初にボール回しするでしょ? 普通にファーストで取ってピッチャーに返すその投げ方を見て、その部長さんがこの子はピッチャーにするべきだって言ってたみたいで、次の練習に行ったら監督からいきなりピッチャーをやれって言われて始めたのがキッカケなんだ」
  • 真木
    「へ~、そんなドラマみたいな話あるんですね~。 じゃあそれからエースになるんですね?」
  • 安達
    「いやいやいやいや、全然! 結局ピッチャーでも3番手くらいで終わったよ。 中学の時ピッチャーとして公式戦で初めて投げたのが、夏の全国大会予選の決勝戦。 当時のルールで、ピッチャーは連投をしたらダメってあったんだけど、エースと2番手が二人とも準決勝で投げてしまってたから俺しか投げられなかったんだよ。 しかも決勝の相手は春の全国大会で優勝してたチームだったんだけど、そのチーム相手に完投して勝ったんだよ。 それからちょっと注目してもらえるようになったかな」
  • 真木
    「公式戦の初登板が決勝戦で、しかも全国優勝してるチーム相手に完投勝利なんて、持ってるモノ持ってましたね~」
  • 安達
    「そこまでしたら全国大会行っても投げさせてもらえると思うやろ? それが投げさせてもらえなかったんだよ~(笑)」
  • 真木
    「ますますドラマみたいな少年時代だったんですね~。 面白い話ばかりで全部書ききれなくなってしまうので次いきますね。 それで自然と村野工業に行く事になったんですね?」
  • 安達
    「いやいや、ちょっと注目され出したから他の高校からもお誘いはもらってたんだよ。PLとか天理とか他にも熱心に誘ってくれた高校もあったから母親とはそっちで決めてたんだよ。 でも父親はお前は村野工業に行けって、もう手続きまで済ませて来たって言われて・・・。 正直言うと、マジかよ~って思ったね。 その時の村野工業って、何年か連続で2回戦で敗退してる高校で、練習はメチャクチャ厳しいのに試合では勝てないってイメージだったんだよ」
  • 真木
    「やっぱりお父さんはピッチャーにするようにアドバイスをくれた事を恩に感じてたんですかね?」
  • 安達
    「そうだろうね~。 確かに僕自身も恩は感じてたんだけどさすがに行く事までは考えてなかったんだよね。 それで高校に入学したら、まあピッチャーとしてもヒョロヒョロだったからなんだけど、案の定負けてばっかりよ。 2年生の春だったかな、上宮高校と練習試合をして3イニングでホームランを6本打たれて17点取られたんだ。ボッコボコに。 試合後、監督から『どうだった?』って聞かれて、素直に『投げるボールがありませんでした』って答えたら、『じゃあピッチャーなんかやめてしまえ!」って怒られたんだ」
  • 真木
    「分かります! 僕もピッチャーやってて何回か経験あります。 どこ投げても打たれそうでアウトの取り方が分からなくなるんですよね。 これ以上の屈辱はないですよね。 まだフォアボール出して自滅してって方が良くはないですけど自分に言い訳ができますしね」
  • 安達
    「それで俺もイジけてたわけよ。そしたら今度は父親から、もしお前が悪い事をしたり人に迷惑を掛けたとしたらいくらでも俺が助けてやれる。 でも、マウンドの上だけは助けてやれないんだから自分で何とかしてみろ!って言われて目が覚めた気がしたね。 それをキッカケに始めた事があって、毎朝3時半に起きて5時に学校に行って、1周300mあるグラウンドを100周走るように決めたんだ。 雨の日だろうと正月だろうと、3年生の夏の大会が終わって引退してからもずっと12月31日まで毎日続けたね。 試合の日に完封した日だけ50周にするってご褒美を作って、それを目標に続けたんだ」
  • 真木
    「100周ですか? 1周300mだから・・・、30kmですね。 もちろんそれとは別に学校が終わって普段の野球部の練習も厳しいんですよね? 言われてやらされてた訳じゃなくて自分で決めてですよね? すごい意識の高い高校生だったんですね~? でもそういうのがあってのドラフト1位だったんでしょうね。 やっぱり練習はウソをつきませんね。
    ドラフトはどうでした? 安達さんくらいなると指名されるのは確実だったでしょうからあまりドキドキしませんでした?」
  • 安達
    「そんな事ないよ、メッチャ緊張したよ。 まあ指名については事前に阪神や巨人とかから上位で指名してもらえるって連絡は入ってたからマシだったけど、でもドラフト中に待機する会見場に入ったら100人以上の報道陣がいて目の前に束になったマイクが置かれてて、こんな大袈裟になってて指名されなかったらどうなるんやろ?カッコ悪いやろうな~って思ってたのをハッキリ覚えてるね」
  • 真木
    「巨人からも上位指名の可能性あったんですね? じゃあ松井秀樹さんのクジを阪神が当ててたら、巨人の安達投手になってたかもしれないんですね。
    実際にプロに入団してからはどうでしたか?」
  • 安達
    「仕事としてやってるんだから楽しいとかはおかしいのかもしれないけど、プロ野球生活7年間はいろんな経験をさせてもらえて楽しかったね。 ピッチャーとしてはサイドスローにも挑戦したし、野手にも挑戦したし、その後またピッチャーに復帰して挑戦したし、その後はバッティングピッチャーもやらせてもらったしね。 たぶんこんないろんな経験できた人ってなかなか少ないと思うんだよね。 ピッチャーで入った人はピッチャーだけとかね。 普通はそういう感じやんか? もちろん1軍で投げれなかったし悔しい思いもたくさんしたけど、幸せなプロ野球選手だったと思ってるね」
  • 真木
    「そうなんですね~。 僕なんか悔しさとかジェラシーとかで、しばらくは野球に対してコンプレックスを感じる時期が長かったですけどね。ちっちゃい人間でしたよ。 だから正直バッティングピッチャーのお誘いももらったんですけど、複雑すぎて出来ませんでした」
  • 安達
    「俺なんか現役を引退してからは家の靴関係の仕事を手伝いながらフラフラ遊んでたんだよ。 そんな時阪神球団から電話が鳴って、間違い電話だろうと思いながら電話に出たらマネージャーからで、『今何してるんだ?』って聞かれて遊んでますって適当に答えたら明日球団に来てくれって言われて軽い気持ちで茶髪のまま行ったんだ。 そしたら野村監督が左のバッティングピッチャーを探してるんだけどやってくれって言われて、その日のうちに野村監督に会ってフラフラしてる事を怒られながらも次の日からやり出したんだ」
  • 真木
    「じゃあそのバッティングピッチャーになる前の話ですけど、現役を引退する時って現役を続けられる場所を探したりとか現役にこだわる気持ちとか、実際にやめてからしばらくして後悔したりとかはなかったんですか?」
  • 安達
    「全然なかったね。 もう草野球やって楽しもうって。 実は当時近鉄でコーチをされてた小林繁さんからはダメになったらウチに来いよって声を掛けてくれてたし実際に電話ももらったんだけど断ったんだ。 俺さ、入団の時に余計な事を言ってんだよね。 プロ野球生活の全てをタイガースの為に捧げますって。 まあ、最後くらいは自分の言った事を実現しようと思ってね、ダメになってきてからは腹をくくってたね。
    それからは草野球一本で楽しもうってね」
  • 真木
    「すごいサッパリですね~。珍しいですよね。
    じゃあバッティングピッチャーも含めて引退をしてから一般社会に出てから苦労と言うか大変な思いをした事ってありますか?」
  • 安達
    「やっぱりプロの時は何でもしてもらえてたと思うね。 洗濯だって練習後にカゴに出しといたら次の日にはたたんで置いてあるし、道具とかも全部球団が運んでくれるしね。 それが今では当たり前なんだけど、特に自営業だから何でも自分がやらなきゃ誰もやってくれないからね。 お店の場所も自分で探さなきゃいけないし、お酒だってなくなったら買いに行かないといけないし、売上の管理だってしないといけないし。 普通の事なんだろうけどそりゃ大変と思ったね」
  • 真木
    「反対に引退してから充実して嬉しい事って何ですか?」
  • 安達
    「今が充実してるかな。 そりゃ生活していくので精一杯だけど、でもやっぱり子供達に野球も教えてるしね。 子供たちはすごいよ。パワーももらえるし、良い事も悪い事もとんでもない事をやらかしてくれるんだ。 プロ野球選手はやめてるけど、野球はやめてないからね。 それが一番かな~」
  • 真木
    「やっぱりみんな野球に携われる事が幸せなんですね。
    そんな安達さんから、全国の子供やその家族の人達に伝えたい事があればお願いします」
  • 安達
    「伝えたいって訳じゃないんだけど俺の指導方針としては、あれはダメ!これはダメ!とは言わない事かな。 ここまでは良いよ、こんな風にやったらいいと思うよ、と言う感じで否定するんじゃなくて肯定的に表現するようにしてるね。 子供って枠を作ってしまうとその枠を越えたがるんだよ。 枠は作ってないよって見せといて、もっと大きなところで枠を作っといたら良いんだって。その枠の中だったら大人がすぐに探しに行けるし連れ戻せるんだよ。 短所ばっかりを指摘するんじゃなくて、長所をどんどん伸ばして短所を目立たないようにしてやろうって」
  • 真木
    「なんかすごい深い話ですね。 何年もたくさんの子供達と接してきたからこそ感じる事なんでしょうね~。 キャリアの違いですね。
    じゃあ最後に、野球に関わらず全ての人にメッセージがあれば・・・」
  • 安達
    「う~ん、大した事ではないんだけど、俺にとってはドでかい事をやってやろうって思っていろんな人に相談しながら練ってる事があるんだ。 今は明かせないんだけどね。 だからその時にたくさんの人に応援してもらえたらと思うかな」
  • 真木
    「そんな事を考えてるんですね~? メッチャ気になりますよ。 それは予定ではいつくらいの事なんですか?」
  • 安達
    「やろうとしてる事は全然営利目的とかじゃなくて、親の事情とか家の都合で野球が続けられない子がいるとメッチャ辛いんだよね。 今そのプロジェクトについて言える事はこれくらいかな。 俺が45歳になるまでに達成できなければ立ち上げられないと思ってるんだけどね。 それまでに頑張るよ」
  • 真木
    「あの頃の村野工業の安達投手と同じくらい衝撃的な事になるんですね? その時はまた声掛けてください。 今日は本当にありがとうございました。 今から約8年間、安達さんの動きを楽しみに待ってますね」
  • 安達
    「うんうん待ってて、必ずやり遂げるわ。 ありがとう」
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