井戸 伸年

profile

所属球団
元大阪近鉄バファローズ
元オリックス・バファローズ
氏 名
井戸 伸年(いど のぶとし)
ポジション
生年月日
出身地
外野手
1976年12月28日
大阪府

【球歴】

出身中学(出身チーム)
豊中シニア
出身高校
育英高校(兵庫県)
出身大学
徳山大学
その他出身チーム
住友金属→住友金属鹿嶋→シカゴ・ホワイトソックス(マイナー)

【プロ野球歴】

プロ野球入団
2002年 ドラフト9位 大阪近鉄バファローズ
所属球団( )内は背番号
2003年~2004年  大阪近鉄バファローズ  (64)
2005年        オリックス・バファローズ (96)
引退
2005年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:3年
試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率
0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0

next stage

2006年~2008年  医療法人 健昌会 営業
2009年~現在    関西メディカルスポーツ学院 硬式野球部監督
2011年~現在    ベースボールジム 塾長
【 名称 】
関西メディカルスポーツ学院
【 住所 】
兵庫県西宮市甲子園七番町9-27
【 電話 】
0798-41-7055
【 活動日 】
月~土曜日
【 入学資格 】
中学校卒業以上
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://www.kanmedi-baseball.com/

interviews

「時間は掛かりましたけど、ようやく良いチーム作りが出来てきました。今年が勝負だと思ってるんですよ。」

  • 真木
    「今日は練習前の忙しいところ申し訳ないけどよろしくです。」
  • 井戸
    「いえいえ、こちらこそよろしくお願いします。」
  • 真木
    「噂には聞いてたけど監督頑張ってるみたいだね~。今は社会人チームが減る一方だからアマチュアの選手は野球が続けられる環境があって喜んでるだろうね。」
  • 井戸
    「まだまだこれからなんですよ。もっとたくさんの人に知ってもらって、更に高いレベルでプロ野球を目指して野球を続けたいって言う選手が自然と集まってくるチームにしたいんです。」
  • 真木
    「そうだね~。もちろんどんな選手であっても野球が好きな選手が一番だけど、そんな中でもやっぱり志の高い選手が一人でも多ければそれだけ質の良いチームが出来るだろうしね。
    井戸も、高校から大学、社会人と続けて、更にアメリカに挑戦してから日本のプロ野球に入団してきたんだもんね~。 元々は野球を始めたのは何歳くらいの頃だったの?」
  • 井戸
    「小学校の4年生くらいでしたね。 それまでは小学校の低学年の頃からずっとサッカーをやってたんですよ。 真木さんも同じくらいだと思いますけど、マンガ「キャプテン翼」世代だったでしょ?」
  • 真木
    「確かに! キャプテン翼は人気だったね~。 じゃあサッカーをやめて野球をやり出したって事?」
  • 井戸
    「いえ、サッカーは学校のクラブとしてやって、週末に地域の野球チームで野球をやってたんです。 だから小学校の頃は両方やってましたね。 野球をやり出してからは、当時の阪急ブレーブスの本拠地だった西宮球場が近かったのでよく見に行ってましたよ。」
  • 真木
    「スポーツ少年だったんだね~。」
  • 井戸
    「でも元々塾にも行ってて勉強もしてたんですよ。それで6年生の時に親から私立の中学校受験をしなさいって言われて、それが嫌だって親に言ったら、じゃあ勉強と野球のどっちかを自分で選びなさいって言われて、当然のように野球を選んだんです。 それからは自分で決めた事に責任を持てと言われて、野球に対してもすごく厳しく言われるようになりましたね。」
  • 真木
    「最初から親が決めつけて言うんじゃなくて、子供に対しても選択させてくれて理解のある親だったんだね。」
  • 井戸
    「そうですね。でも父親も大学までは野球をやってたので、野球を選ぶならそれだけ真剣に取り組めと言われて、父親と毎日の練習の約束をしたんです。 学校から帰ったら父親が帰ってくるまでに「バットを振る」「ランニングをする」「腹筋・背筋・腕立て伏せをする」、それと庭でティーバッティングが打てるようにしてくれてたので父親が帰ってきたらティーを打つ。それを毎日続ける事が約束だったんです。」
  • 真木
    「へ~、なかなか小学生にしてはハードなメニューだね。それはいつまで続いたの?」
  • 井戸
    「中学生までずっとでしたね。自分で決めたんだからちゃんと最後までやり遂げなさいって言われて、やらされてた感じですけどね。 でも後になって考えたら、それがすごく良い経験だったなって思えましたね。」
  • 真木
    「そうだよね。子供の時なんか、自分からそこまで追い込んで練習できる子の方が少ないだろうしね。 たとえやらされてるんだとしても、それがキッカケで自然とやる習慣が身に付けば良い事なんだしね。
    そういう経験があったから育英高校みたいな厳しい高校でも頑張れたんだろうね。」
  • 井戸
    「中学生まではその父親の厳しさとの戦いだったので、正直、父親から逃れる意味で寮のある高校に行きたいと思ってたんです。それでいつかは絶対に父親を超えてやる!って想いが強かったですね。 いざ高校に行ってみると、また別の意味で練習とか先輩後輩とか厳しくて大変でしたけどね。」
  • 真木
    「高校からは社会人の住友金属に行ったんだよね? そこではどうだったの?」
  • 井戸
    「いや~、ここは本当にすごかったです。まさに根性野球でしたよ。 結局1年目の終わりで住友金属自体が休部になってしまったので1年しか経験してませんけど、僕の野球人生の中で一番濃い時期だと思いますね。 とにかくすごかったんですよ。」
  • 真木
    「噂には聞いた事あったけど、そんなに激しいんだ? 今になって考えて、その経験は良かった? それとも無駄な経験だった??
  • 井戸
    「いや、本当に経験出来て良かったですよ。今の自分の中でも、この時の経験が教科書になってるようなもんだと思います。 ただ、今からもう一回その経験をしてみろって言われたら絶対に逃げますけどね~(笑)」
  • 真木
    「へ~、そんなにすごいんだ? そんな経験を言葉で表現は出来ないだろうけど、例えばで言ったらどういう事なの?」
  • 井戸
    「いや~本当に表現するのは難しいんですけど、例えば練習が始まる前の集合の時点で既にスパイクを履いて始めるんですよ。ウォーミングアップが最初からスパイクですよ。他には、他の先輩の話なんですけど、内野ノックでボールが顔面に当たって前歯が折れて落ちたんです。そしたらその先輩は歯を拾ってポケットに入れてすぐに「もう一本!」ってノックを続けたんですよ。もちろん口から血も出てる状態ですよ。もうそんなのが当たり前のチームでしたね。 普通のシートノックなのに、外野を守ってて吐いてしまうくらいハードでしたね。 とにかく何をしててもプレッシャーが半端じゃなかったです。
    でも、戦う執念ってここで学んだと思いますね。」
  • 真木
    「やっぱりそうなんだね。 厳しさとか苦しさの中から得るものって大きいんだろうね~。
    その後は今度アメリカに挑戦に行ったんだよね? アメリカはどうだった?」
  • 井戸
    「社会人でもドラフト指名を待ってたんですけど指名が掛からなかったので自分で見切りを付けたんです。年齢も25歳だったので次の挑戦がしたくて。 それで知り合いの人に手配をお願いしてアメリカにテストを受けに行ったんです。そこで契約できると言う事になったので迷わず行きましたね。
    そこでの経験って言うのもやっぱり今に活きてるんですけど、アメリカってチームとして指導方針が統一されてるんですよ。 日本ってどっちかと言うと、コーチによって言ってる事が違ったりとかしませんでした?」
  • 真木
    「確かにそうだね。俺も現役の時に、コーチ同士で指導方針が違うって言うのはよく感じた事かな。アメリカってメジャーからマイナーまで何チームもあるのに、それが統一できてるなんて素晴らしい体制だね。」
  • 井戸
    「今となって考えれば、日本の体制みたいにコーチによっていろんな意見があるって言うのもいろんな野球が勉強出来て良いって言う考え方も出来ますけど、でも現役の時で特に結果を求める時は迷いも生じてしまうし、なかなか余裕を持って聞き入れられなかったですよね。」
  • 真木
    「それが今の指導に取り入れられてるんだね~。
    その後の日本のプロ野球はどうだった?」
  • 井戸
    「アメリカから帰ってきて近鉄バファローズにテストをしてもらってドラフトに指名されたんですけど、入団後はなかなか試合に出るチャンスも少なかったですし、でも周りにはスター選手もいたし出来る人がたくさんいて、ここでもすごく良い経験が出来ましたね。試合に出られない苦しさや辛さも経験できたし、なぜ出来ないのか?と言う事に真剣に考えて取り組みましたし、すぐ近くでお手本になる選手も見れましたしね。
    何よりも良い仲間が出来た事が一番の財産ですね。」
  • 真木
    「何かプロ野球の世界で嫌な思いをした事もある?」
  • 井戸
    「僕達みたいに試合にあまり出られない選手って、やっぱり普段のバッティング練習ってすごい大切だったんですよ。上手くなりたいって言うのももちろんですけど、そこでアピールしないとチャンスをもらえないわけですから。だからそのバッティング練習で遊び感覚を持たれるのが嫌でしたね。
    でも反対に、そういう出られない選手の気持ちをすごく大切にしてくれるコーチもいるんですよ。当時近鉄にいた中尾コーチとか立石コーチなんかは、僕達みたいな選手の気持ちを理解してくれてすごく助けられました。」
  • 真木
    「あ~、中尾コーチと立石コーチの名前はよく同じ話で聞くね。俺も近鉄にいた頃に2人ともコーチでいたけど、投手と野手で部門は違ってもよく声を掛けてもらった記憶があるな~。現役から離れて時間がたっても、いつまでもそういう気持ちを忘れない指導者になっていきたいね。
    プロを引退する時はどうだった? プロじゃなくても現役を続けられる事を追い掛けなかったの?」
  • 井戸
    「全く無かったですね。僕の考えは野球は契約があっての世界だと思ってましたから、契約できないと言う事はそれが自分の評価だと思ったのでキッパリと諦めましたね。
    普段から後悔しないように精一杯取り組んでたつもりだったので意外とサッパリと諦められました。」
  • 真木
    「それで一旦は普通の仕事に就職したんだよね? そこではあまり苦労しなかった?」
  • 井戸
    「そうですね~。プロの前に社会人も経験してたからですかね、そんなに抵抗はなかったですし、僕は基本的に人と接する事が好きな方なので苦労は少なかった方ですかね。」
  • 真木
    「そっかそっか~。そこは元々の性格と社会人の経験とでスムーズに社会に入れたんだね。
    じゃあ最後に、今からプロを目指して頑張ってる子供達とか、それをサポートする家族の人達に伝えられる事をお願いします。」
  • 井戸
    「僕が一番思うのは、ありきたりかもしれませんがとにかく人に対して感謝の心を持って欲しいですね。僕自身が、ず~っと周りの人達に助けられて支えられてここまで来れてますから感謝だらけなんですよね。自分一人の力だけではなかなか難しい事も多いと思うんですよ。協力してくれる、応援してもらえるような人になって欲しいと思いますね。」
  • 真木
    「確かに感謝の心を持ちなさいってよく耳にするから聞き流されそうだけど、本当に大切な事だと思うね。 野球をやってると、特に子供のうちは実力だけで上っていけると思ってしまうだろうからなかなか実感できないかもしれないんだけどね 大人になっていった時に本当に実感するよね。」
  • 井戸
    「あとは、やっぱり夢や希望を持ち続けて、それを叶える為に何をしなければいけないのかを考えて欲しいですね。子供だけじゃなくて、それをサポートしてあげる人も同じように、厳しさの中でフォローしてあげる事も大事な事だと思うんです。褒めてあげる時も必要だろうし叱ってやる時も必要だと思います。どっちもフォローなんだと思いますね。」
  • 真木
    「それは子供であっても大人であっても同じ事が言えるんだろうね。まずは相手をよく観察して相手の気持ちを理解しようとする事がスタートなんだろうね。」
  • 井戸
    「そうですね。僕の場合はある程度大人の選手を指導していますので、肝に銘じて選手に接していきたいと思います。」
  • 真木
    「今日は本当にありがとう。 今から練習だろうから、練習も見学させてもらうね。」
  • 井戸
    「どうぞどうぞ、まだまだこれからのチームですけど見てやってください。」
  • 真木
    「じゃあ井戸監督の姿をジックリと見させてもらって失礼するね。」
  • 井戸
    「ありがとうございました。」
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