- 所属球団
- 元近鉄バファローズ
元東北楽天ゴールデンイーグルス
- 氏 名
- 森谷 昭仁(もりたに あきひと)
- ポジション
生年月日
出身地 - 外野手(右投・両打)
1979年10月8日
京都府
【球歴】
- 出身中学(出身チーム)
- 桂川中学校 軟式野球部
- 出身高校
- 豊川高校(愛知県)
- 出身大学
- -
- その他出身チーム
- -
【プロ野球歴】
- プロ野球入団
- 1997年 ドラフト3位 近鉄バファローズ
- 所属球団( )内は背番号
- 1998年~2004年 近鉄バファローズ (31→00)
2005年~2008年 東北楽天ゴールデンイーグルス(00) - 引退
- 2008年
【プロ野球(NBA)通算成績】
- 通算:11年
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試合数 打数 得点 打点 安打数 二塁打数 三塁打数 本塁打数 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 打率 133 131 35 3 24 5 0 2 23 6 0 6 0 38 .183
- 2009年~2010年途中 飲食店アルバイトで修行
2010年8月6日 焼き鳥屋「夢叶」オープン!
- 【 店名 】
- 焼き鳥「夢叶(ゆめか)」
- 【 住所 】
- 京都市西京区川島有栖川町77-4
- 【 営業時間 】
- 17:00~23:00
- 【 定休日 】
- 毎週水曜日
- 【 電話 】
- 075-393-0533
- 【 地 図 】
- 場所はコチラ
- 【 WEBサイト 】
- http://ameblo.jp/moritanibrother/
「今は毎日毎日、朝から晩まで大忙しなんですけど、たくさんの人にお店に来てもらっておいしいって言ってもらえる事が毎日のエネルギーになってるんです。」
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- 真木
- 「久し振りだな~。森谷とはドラフトの同期入団同士だから、他の選手よりも親近感があるね。」
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- 森谷
- 「そうですね。真木さんとはポジションも違ったし年齢も離れてたので現役時代はあまり交流はなかったですけど、こうやって再会するとやっぱりドラフト同期って特別ですね~。」
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- 真木
- 「それにしても現役11年は頑張ったね~。まあ、もともと入団当時から持ってる素質はピカイチだったもんね。 あと何かが備わってれば超一流選手になってたんだろうけどな~。(笑)」
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- 森谷
- 「何かって何でしょうね~?」
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- 真木
- 「ちょっと難しい事になると頭が混乱しちゃうんだよな~? サインがパニックになったりとか・・・。 有名な話だからわざわざ言わなくてもみんな知ってるだろうけどね!(笑)
ところで森谷は出身高校は愛知県の豊川高校だけど、地元はこのお店の近辺で京都市内なんだ?」
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- 森谷
- 「そうなんですよ。 こうこうには俗に言う野球留学で行ったんです。だから小学校とか中学校の頃はこの近くで野球をやってたんですよ。」
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- 真木
- 「へ~、そうなんだ。 野球はいつくらいから始めたの?」
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- 森谷
- 「小学校3年生からですね。小学校から中学校まではピッチャーとショートを守ってたんです。身長は低かったんですけど、その頃から足と肩には自信ありました。」
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- 真木
- 「やっぱりその頃からプロ野球選手になりたいって思ってた? たしかお父さんが元プロ野球選手だったんだよね?」
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- 森谷
- 「そうです。 小学生の頃から文集とかではプロ野球選手になりたいって書いてた記憶があります。 一番身近にいる父親がプロ野球選手だったから、そりゃメチャクチャ厳しかったですよ。 真冬に外で裸で素振りをさせられて、汗が出たら呼びに来い!って言われたりとかが普通でしたね。」
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- 真木
- 「真冬に裸で? さすがになかなか汗なんか出ないだろ?」
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- 森谷
- 「そうなんですよ。 しかも家が学校から近くて、裸で素振りしてたら友達とかにも見られて恥ずかしいじゃないですか! 今だから言えますけど、近くの公園に行って真冬なのに水道で体を濡らして帰ったりとかしてたのを覚えてますね~。 こんなサボってたなんて言っちゃダメですかね・・・。」
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- 真木
- 「大丈夫、大丈夫。 それが事実なんだから。 じゃあお父さんが厳しくてよく練習をしてたんだ?」
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- 森谷
- 「はい。平日は学校が終わってからチームの他の子供達も集めて暗くなるまで素振りしたり走り込みをしたり・・・、これが小学生の練習か?って言うくらいメチャクチャ練習させられましたよ。 でもそのお陰で、それまでお荷物集団って言われるくらい弱かったチームが、京都で2番目に大きな大会で優勝したりメッチャ強くなったんですよ。」
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- 真木
- 「中学の時もその流れのまま厳しかったの?」
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- 森谷
- 「そうですね。 チームの他の子供たちはなくなりましたけど、僕一人は、手の皮がベロベロになるくらいとにかく素振りばっかりさせられてましたね。」
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- 真木
- 「でも、その時の練習があったからこそ、その先の野球人生があったんだろうね。 その当時はそんな事は分からないよな~。
自分がプロに行けるんじゃないかって意識をするようになったのはいつくらいから?」
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- 森谷
- 「それは中学の時くらいから思ってましたね。 自分で言っちゃいますけど、チームとかその地域では結構ズバ抜けてたのが自分でも感じてましたから。 実際、高校1年生になって3年生が夏の大会で負けて新チームになった途端にレギュラーも取れて、その頃くらいからプロのスカウトの人達も見に来てくれて注目してもらってたんですよ。」
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- 真木
- 「それで実際ドラフトの時はどうだったの? 事前に指名される事は聞いてたの? どこか希望球団とかはあった?」
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- 森谷
- 「そうですね。 結局6球団くらいから、上位ではないけど指名する予定ですって聞いてたので、どこかには指名されるだろうとは思ってましたね。 希望球団って程ではないんですけど、当時西武ライオンズの松井稼頭央さんに憧れてたので、西武に行きたいって気持ちはありましたね。」
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- 真木
- 「プロに入ってみてどうだった? 良い面でも悪い面でも思い出に残ってる事ってある?」
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- 森谷
- 「う~ん、良い面で言えば、近鉄の時に中尾コーチと立石コーチと出会った事ですね。こんな僕にレギュラーを取らせてやるって思ってくれてる事がすごく伝わってきました。 立石コーチなんて、その日の試合の僕の事だけを書き留めてくれたノートが何冊も出来てましたもんね。 ホント、このコーチの為にレギュラーを取らなきゃって思わせてくれました。
悪い思い出で言えば、何回も何回もあるんですけど、ここって言う大事な場面で代走に行った時にけん制でアウトになった時のベンチの静けさですね・・・。 これはホント、何とも言えない地獄でしたよ。」
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- 真木
- 「たしかに! その光景、よく見た気がする! しかも、1回や2回って数えられるような回数じゃないもんな?」
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- 森谷
- 「メッチャ競った試合の後半ですよ『このバッターが出たら代走行くぞ!』って言われてて、ベンチも盛り上がって代走に送り出してもらうんですけど、一瞬にしてけん制でアウトになると、さっきまでのベンチの盛り上がりがウソのようにみんな静まり返って、暗~い顔して目も合わせてもらえないんですよ・・・。 そこに帰っていかなきいけないこの辛さ! 数え切れないほど経験しましたね。」
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- 真木
- 「そんなこんなで戦力外になって・・・。 それからまだ現役続行を希望してこだわらなかったの?」
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- 森谷
- 「そうなんです。 もう戦力外になった時点で野球は続ける気がなかったんです。だから1回目のトライアウトは受けなかったんですけど、そしたら応援してくれてたファンの人達が『何で?』って声が多かったので、それで2回目のトライアウトは受けたんです。 何年も何年も、レギュラーを取れるチャンスはもらい続けてて、ことごとく自分でチャンスをつかみきれなかったので、もうこれ以上やってもレギュラーは取れないだろうなって割り切ってたんです。 自分でも驚くくらいあっさりと引退する事に決心できましたね。」
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- 真木
- 「そうだったんだ~。 若いうちに引退したわりに、幸せな野球人生の幕の降ろし方だったんだね。 で、その時には引退して何かやりたい事はあったの?」
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- 森谷
- 「それが全く無かったんですよ。 今考えると、そんなあっさりと引退したんだからそれを考えてから辞めるべきだったんですよね。 野球を辞めても何でも出来るだろ~って甘い考えがあったんですけど、しばらく考えても何も出てこなかったんです。
ず~っと悩んで迷ってる時に、僕の弟が料理人だったんですけどちょうど前職も辞めてフリーだったんです。それで弟も心配をしてくれてタイミングも合ったので、じゃあ一緒に飲食店をやろうって誘ってくれたんです。 その弟の言葉に救われて、そこから1年3か月くらい飲食店のアルバイトに行ったんです。」
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- 真木
- 「やっぱりアルバイトって大変だった? アルバイト自体は経験あったの?
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- 森谷
- 「いえ初めてでしたね。 お店の中でも一番年上で「オッチャン」って呼ばれてましたもんね。 でも悩んで迷ってた時期は何もする事もなくてホントに精神的に落ち込んでましたし、この後、自分たちのお店を持つ為に頑張らなきゃって思ったら時給800円のアルバイトでも一生懸命できましたね。 今までは野球って言う自分の得意分野で生活をしてましたけど、ホント社会って厳しいんだな~って感じさせてもらいました。」
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- 真木
- 「その下積み期間を乗り越えて、こうやって弟さんと2人でお店をオープンしたんだもんな? 今はどうなの?」
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- 森谷
- 「そうですね~。 今は毎日こうやって朝から夕方の開店前までずっと2人で仕込みをして、それでお客さんもたくさん来てくれておいしいって言ってくれますし、すごく充実した毎日が送れてますね。 ファンの人だったり野球をやってる時にお付き合いしてた人達だったり、こんな引退した僕の事を覚えててくれて結構遠くからも来てくれたりとか、ホント嬉しいです。」
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- 真木
- 「そうなんだ。 お店も順調そうで何よりだね。 じゃあもう少し順調に落ち着いたら、今度はまた違った形で野球と向き合っていくんだと思うけど、今からの野球少年や将来の野球選手たちに何か伝えておきたい事とかアドバイスってある?」
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- 森谷
- 「野球って勝負事なので難しいかもしれませんが、とにかく野球を楽しんでほしいですね。 僕自身、高校までは野球が好きで楽しんでやれてたんですけど、プロに入ってからはなかなか楽しいって思いながらは出来なかったんですよ。 プロでも野球が楽しいって思えてプレーできてたら、また違ったプロ野球生活が送れてたのかなとも思いますね。」
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- 真木
- 「それ分かる! 俺もプロでは楽しいと思えてなかったな~。 やっぱりプロでは成績が年俸にも響いてくるし、毎年クビになるんじゃないかってビクビクしながらって言うのも事実だし・・・。 学生の頃までは好きだから野球をやってるって気持ちの方が強かったけど、プロになるとお金を稼ぐとか生活をしていく為に野球をやってるって変わってしまってたかな。」
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- 森谷
- 「そうですよね~。 子供の頃とか高校の頃とかは自分で考えて練習もして、その成果を試合で試して試合に出るのが嬉しかったですけど、正直プロに入ってからは代走に行くのが嫌だな~とか、ネクストバッターの時に、前のバッターに打たないでくれって心で思ってたり・・・、失敗するのを恐れてすごく消極的でしたね。」
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- 真木
- 「みんなそのプレッシャーとの戦いだったんだよな。 そういう意味で考えると、メンタル面ってホント重要な部分なんだろうね。
じゃあ最後に、このサイトを見てくれてる皆さんに伝えたい事があればお願いします。」
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- 森谷
- 「そうですね~、今はこうやってお店をやってるので、とにかくお店に来てもらえる機会があれば気軽に声を掛けて欲しいです。 たまにお客さんから『野球の話をするのは嫌ですか?』って聞かれるんですけど、全然そんな事なくて、僕は野球の事しか分からないですし、野球を通していろいろな人達と話も出来て勉強させてもらいたいと思ってるんです。」
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- 真木
- 「じゃあ気軽にお店に来てもらって気軽に声を掛けて欲しいんだね?」
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- 森谷
- 「そうですね。」
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- 真木
- 「今日はせっかくのお休みに、弟さんにも一緒に来てもらっちゃって申し訳なかったね。」
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- 森谷
- 「いえいえ、営業日は開店前でもゆっくり話せる時間がないので、休みの日の方が僕も助かるんで。」
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- 真木
- 「ホントありがとう。 また俺も食事に来るからその時はよろしくな。」
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- 森谷
- 「もちろんです。 こちらこそありがとうございました。」