條辺 剛

profile

所属球団
元読売ジャイアンツ
氏 名
條辺 剛(じょうべ つよし)
ポジション
生年月日
出身地
投手(右投・右打)
1981年6月8日
徳島県

【球歴】

出身中学(出身チーム)
阿南第二中学校 軟式野球部
出身高校
阿南工業高校(徳島県)
出身大学
その他出身チーム

【プロ野球歴】

プロ野球入団
1999年 ドラフト5位 読売ジャイアンツ
所属球団( )内は背番号
2000年~2005年 読売ジャイアンツ(96→57)
引退
2005年

【プロ野球(NBA)通算成績】

通算:6年
登板 先発 勝利 敗戦 セーブ ホールド 投球回数 被安打 被本塁打 与四球 与死球 奪三振 失点 自責点 防御率
111 1 9 13 6 0 125.2 131 19 72 2 113 74 64 4.58

next stage

2006年~2008年  宮崎県・香川県でうどん作りの修行
2008年~       讃岐うどん「條辺」開店
【 店名 】
讃岐うどん「條辺」
【 住所 】
埼玉県ふじみ野市上福岡1-7-9
【 営業時間 】
7:00~15:00(麺切次第終了)
【 定休日 】
毎週火曜日(祝日の場合営業 翌日休み)
【 電話 】
049-269-2453
【 地 図 】
場所はコチラ
【 WEBサイト 】
http://www.johbe-udon.com/

interviews

「中継ぎピッチャーのイスを失うのが怖くて、肩の痛みを隠して無理を続けてしまったんです。 でもやっぱり自分の体に無理をしてしまうのは良くないですね」

  • 真木
    「久し振り! 仕事終わったばっかりで疲れてるところゴメンね」
  • 條辺
    「いえいえ、全然大丈夫ですよ。ちょうどさっきお店を閉めたばっかりで片付けてるところなんです」
  • 真木
    「お店、朝早くから開けて、お昼過ぎで閉めちゃうんだってね」
  • 條辺
    「そうですね。営業時間は朝の7時からお昼15時までにしてるんです。その分、毎日仕込みの為に夜中の2時過ぎに起きてるんですよ」
  • 真木
    「2時過ぎ? それじゃ、プロ野球の現役時代とは完全に正反対の生活リズムなんだ? 1軍の時は、ナイターが終わって何だかんだ家に帰って寝るのがそれくらいの時間だもんね」
  • 條辺
    「そうですよね~。確かにそんな生活でしたね。 ウチのお店は、麺から自分で仕込んでるので、毎日それくらい時間掛かっちゃうんですよ」
  • 真木
    「へ~、そんな本格的なうどん屋さんなんだね。 うどん屋さんって言っても、麺は出来たものを仕入れて出すお店の方が多いんじゃないの?」
  • 條辺
    「多いかどうかは分かりませんけど、僕は、自分自身でイチから仕込んだ麺で食べてもらいたくて、そこから始めたかったんです」
  • 真木
    「もちろん野球選手にはそんな事出来るわけないだろうから、そういうところに修行に行ったって事だ?」
  • 條辺
    「そうですね。現役時代からジャイアンツの先輩の水野さんにかわいがっていただいて、将来は飲食店をやりたいんですって話をしてたんです。それで、ジャイアンツから戦力外を通告された日にも水野さんから電話をもらって、改めてそんな相談をさせてもらってたら、それだったらうどん屋さんに修行に行ったらどうだ?って水野さんも一緒にうどん屋さんにお願いしに行ってくれたんですよ」
  • 真木
    「水野さんとは同じ四国出身だったよね? ホント、野球界の先輩・後輩のつながりって深いよな~。 特に同じ学校出身とか、同じ県出身とか、同じ時期に一緒にプレーしてなくても何か共通点があるだけで関係が深まっていったりもするしね~。 こういう事は俺達も含めてずっと続けていけるようにしたいよね」
  • 條辺
    「もちろん水野さんだけって訳じゃないですけど、ホント良くしてもらってます」
  • 真木
    「でも何で飲食店をやろうと思ったの?」
  • 條辺
    「僕ね、子供の頃にプロ野球選手になれるなんて思ってもなかったんですよ。小学生の時の文集とかでも、将来の夢は「飲食店経営」だったんです。 プロ野球選手って言うのは、その次の夢みたいな感じでした」
  • 真木
    「そうなんだ~。じゃあ1番目と2番目、両方とも夢を叶えちゃったんだ~」
  • 條辺
    「そう言われればそうなりますね~。 でも、こんなにしんどい事とは思ってもなかったですけどね~(笑)」
  • 真木
    「子供の頃は野球選手よりも飲食店の方がやりたかったんだ?」
  • 條辺
    「飲食店をやりたかったと言うか、まさかプロ野球選手になれるなんて想像もできなかったって感じですよ。 小学校でも中学校でも、常に1歳上にすごい先輩がいたから、僕なんかがなれるわけない・・・ってね」
  • 真木
    「野球はいつから始めたの?」
  • 條辺
    「小学校の2年生くらいですね。友達に誘われてチームに入って。 って言っても、田舎だったし今とは違って、学校終わって遊ぶって言ったらいつも野球して遊んでた感じでしたからね。 今は野球して遊べる場所も少なくなってきて、家の中でゲームして遊ぶ・・・とかが多いみたいですね~」
  • 真木
    「確かにそうだね~。俺も記憶では、友達と遊んでるだけなのに汗だくになったり、ぜえぜえ言うほど走り回ったりして、自然と体を動かして遊んでた記憶だね
    ピッチャーはいつからやるようになったの?」
  • 條辺
    「ピッチャーは小学校5年生くらいからですね。でも、さっき言った1歳上のすごい先輩とずっと一緒だったから、先輩がいる間はショートを守ったりが多かったですね。 小学校でも中学校でも、その人が卒業をしてやっとエースで投げれるって感じでした」
  • 真木
    「そうなんだ~。 それで高校には野球目的で進学したの? 阿南工業ってあまり聞かないよね?」
  • 條辺
    「そうですよね~。 確かに、後にも先にも他にプロまで行ける選手って出てこないんじゃないかな~。 僕は、どうしてもプロに行きたいんだって思ってた訳じゃなかったから。 県内のほとんどの高校からは声を掛けてもらってたんですけど、入学してすぐに試合に出れそうで、しかも家に近かったって言うのが高校選びの決め手でしたね(笑)」
  • 真木
    「そうなんや~。野球選手の大半は、甲子園に出たい、プロに行きたいって思って強豪校に行きたがるのにね~。その正反対だったんだ。 それでいつから試合に出れたの?」
  • 條辺
    「1年の時からピッチャーで投げさせてもらってましたね。でも全然勝てなかったし、入学してから2年生の秋くらいまでスピードも上がらなかったし、伸び悩んでましたね~。 それで2年生の冬休みとかを利用して、知り合いにお世話になって何週間か関西の社会人チームに練習参加させてもらったんです。そこで走り込んだりピッチングも見てもらったりして、冬が越えて春になったらいきなりスピードが上がってたんです」
  • 真木
    「そんなすぐにスピードが上がるって事は、それまで大した練習をしてなかったって事だね(笑)? それで3年生になってから一気に大活躍だ? 何か思い出に残ってる試合とかある?」
  • 條辺
    「後からジャイアンツのスカウトの人に聞いたんですけど、その試合を見て指名するのを決めたんだって。 徳島県内の大会があって、準決勝か決勝だったと思いますけど、投げては14奪三振、打ってはライトスタンドに3本のホームランを打ったんですよ。それを見て、右にホームランを打てる選手なんてそうはいないぞって事だったらしいです」
  • 真木
    「打つ方の評価だったの?」
  • 條辺
    「そうなんですよ~。 僕はピッチングの評価が欲しかったんですけどね・・・。 基本的にプロ球団から届いた調査書は全部打者としてですね。ジャイアンツにも打つ方で評価されてたんですけど、僕がどうしてもピッチャーをやりたいって言ったら、じゃあ2年間で1度も1軍のマウンドに立てなかったら打者に転向するって条件でピッチャーをやらせてもらったんです」
  • 真木
    「そんな裏話があったんだ~? でもそれでキッチリ1年目から1軍のマウンドに立ったんだもんね~。 プロではどうだった?」
  • 條辺
    「1年目は最終戦の消化試合での先発ですから戦力になってた訳ではないですけど。 でもやっぱり2年目3年目にはしっかりと投げれたし、しかも優勝まで経験できたのがすごい思い出になってますね。その後はずっと肩の故障との戦いだったから辛かったです。2年目の夏頃には痛みを感じてて、先輩たちからは早く言って休めろって言われてたんですけど、その時の中継ぎのイスを失いたくなくて、ずっと我慢しながら投げ続けちゃったんですよ。それでそのまま3年目までだましだまし投げてたら、最後には1か月に1回は痛み止めの注射を打たないと投げられない肩になってしまいました。 やっぱり終わってみると、あの最初の時に先輩たちの言うとおりに休んでれば良かったのかなって思いますよね」
  • 真木
    「そっか~。 やっぱり試合で投げさせてもらってる時に自分から言って休むのってかなり勇気がいるよな~。 でもその勇気を出さなきゃ大変な事になっちゃうからね。 野球選手は、自分の体は自分で守らなきゃね。
    じゃあ條辺の場合は、肩の故障も限界で引退する決心が出来たんだね」
  • 條辺
    「そうですね。最後トライアウトは受けましたけど、正直もう肩は限界を越えてましたね。 もう何年も経ちますけど、今だに軽いキャッチボールでも痛みますからね」
  • 真木
    「引退してからはどう? いきなりうどん屋さんの修行に行ったみたいだけど、やっぱり想像以上に大変だった?」
  • 條辺
    「そうですね。 まず引退してすぐ実家に帰った時「お疲れさん」くらいは言ってくれるかと思ってたんですけど、父親からは「今からが大変なんだ!」って言われましたね。「成功と言うのは1つの事を10年20年以上続けた事を言うんだ」って。 「一度、個人事業を廃業したようなもんなんだから、もう失敗は許されないぞ!」って言われて、それがすごく心に響いたんですよ。 だから堅実にやらなきゃって自分に言い聞かせて、チェーン展開するようなうどん屋さんじゃなくて、イチから自分で仕込んで食べてもらうようなうどん屋さんを目指したんです」
  • 真木
    「現役時代のイケイケの條辺からじゃ想像できないような考え方になったんだね~(笑)」
  • 條辺
    「ハハハ、生まれ変わりましたね!」
  • 真木
    「じゃあ最後に、現役時代に応援してくれたり、今でも応援し続けてくれる人たちに何か伝えたい事はある? 特にないか?」
  • 條辺
    「いえいえ、ありますよ! 現役時代に無視してた訳じゃないんですけど、そこまで感謝の気持ちって少なかったと思うんです。でも、やっぱりユニフォームを脱いだら特に、人に応援してもらえる事ってすごい事だと思うし、ありがたい事だなってすごく感じる事が出来るんです。 今でもこうやってお店をやってたら、わざわざ遠方からでもお店に来てくれたりして、すごく嬉しいですし感謝の気持ちでいっぱいになるんですよ。 もっとこういう気持ちを現役時代から思えてたら良かったな~って思いますね」
  • 真木
    「やっぱりみんな同じ事を思うんだね。 俺たちはもうユニフォームを着る事はないけど、今ユニフォームを着てる選手やこれから着る事になる未来の選手たちには、どうにかして現役の時からそういう気持ちを持って欲しいと思うね」
  • 條辺
    「そうですね~」
  • 真木
    「今日はホント疲れてる時にありがとう。 またお互い一般社会でも頑張っていこうな」
  • 條辺
    「そうですね。 こちらこそありがとうございました」
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